2010年1月8日金曜日

アストロン

その時計店には、文字盤しか売っていなかった。
店の中には、籠がひとつあって、その中に腕時計の文字盤が、ざらざらと入っている。それだけ。
「僕は腕時計が欲しいんです」
店主は、
「まあ、とにかく気に入るのをお探しなさい」
と、諭すようなことを言う。
僕は仕方なく、籠の中を漁り、細いラインが並ぶ白地の文字盤を選んだ。
「ほぅ、若いの、これは随分と由緒あるものだよ。ちょっと長旅になるが、大丈夫かい。いや、心配はいらない。そうだねぇ、四分くらいかな。向こうでは四十年だけれどね。時計が君に自己紹介をしたくてウズウズしているよ」
店主に渡した文字盤は、いつの間にかベルトもクォーツもついていた。
「さぁ、腕に嵌めて。ぴったりじゃないか。よく似合うよ。ほら、針が動き出した」
見ると、秒針が反対回りに動いている。これは、一体どういうことだ。
「時間旅行だ。この時計が見てきたものを、そっくり見てくる旅だよ」
店主の声が、ぐるぐると渦巻いて遠くなった。

タイトルの「アストロン」は、初のクォーツ腕時計(セイコー製)の名前です。
実は、書いてからクォーツ時計について軽く調べて、アストロンを知ったのだけど、1969年の12月発売らしい。本当に40年だった(驚)ので、こりゃ使わない手はないとタイトルにした次第。