2009年8月1日土曜日

海中ホテル

思い出話をしよう。僕は15歳の中学生で、修学旅行の時の話だ。
海沿いの暖かい町だった。特急とバスと船を乗り継いでホテルに着いた。
ホテルは海の中にぽつんと立っていた。特になんの変哲もない、どこかの町のビジネスホテルのような作りだった。
先生は言った。「ホテルに着いたから、荷物を持って船を降りなさい」
ホテルの入り口は一階で、それはもちろん海の中だった。
泳ぎに覚えのある奴は平気な顔で飛び込んで行ったけれど、生憎僕は泳げない。完全なカナヅチだった。
とうとう船にはマナミと僕だけになった。マナミもやっぱり泳げなかったのだ。
マナミは「一緒に行こう」と僕の腕を掴んだ。思いの他しっかりしがみついてきたので、僕にもう一つ緊張が加わった。けれど僕はマナミに感謝もしていたのだ。僕のほうこそ誰かにしがみつきたい気分だったのだから。
マナミの身体の重みは僕に勇気をくれた。

ホテルにどういう魔法が掛かっていたのだろう、海の中では呼吸が苦しいこともなく、身体は思い通りに動かすことが出来た。導かれるように、ホテルの入り口まで沈んでいった。
僕はマナミと手を繋いだままホテルに入ると、髭を生やしたフロントマンが笑顔で迎えてくれた。髭が潮の流れに合わせてゆらゆらと動いているのが可笑しくて、僕とマナミは大笑いしたけれど、フロントマンはちっとも怒らなかった。
「三年二組、皆様お揃いですね。海中のお部屋になさいますか? それとも海上のお部屋に?」
もちろん、僕もマナミも海中の部屋にしたよ。

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