2008年9月30日火曜日

く #a0000f

胡桃がクリスマスにくれたのは、熊のぬいぐるみと孔雀色の口紅だった。
口紅をつけて、くるんとでんぐり返しを繰り返すと、隈無くくしゃみが出た。

「く」#a0000f

2008年9月28日日曜日

き #e8b233

キャッツアイに刻みつけた傷は、綺麗でも汚くもなく、ただキラリとそこにあった。
きみがどんなに気紛れでもあの季節がまた来た。
キャッツアイは鬼気迫るキスを期待する。
きみは聞き耳を立てるが、器用な狐に気付かれて、汽笛が鳴るから、聞こえない。

「き」#e8b233

2008年9月26日金曜日

解剖学的嗅ぎ煙草入れ

煙草入れが煙草の解剖をすっかり終えるのに、五分とかからない。その頃には煙草を鼻に入れたって何の味も香りもしないはずなのだが、三郎さんは実に満足そうに嗅いでいる。煙草入れはそれが不思議で仕方ないのだけれど、三郎さんは煙草入れには入れないので、煙草入れは三郎さんを解剖できずにいる。

2008年9月25日木曜日

焔心

 真夜中である。不動明王は生き物の気配に声を荒げた。
「何奴!」
 気配のする辺り目掛けて、降魔の剣を振り下ろす。焔が飛ぶ。
 焔に包まれた気配の正体に不動明王はさらに大声で言った。
「なんと!そなたは千手観音殿の。右十九番目の御手ではあるまいか」 
 不動明王は恭しくそれを拾い上げ、羂索を丁寧に巻いた。
「いたいけなる御手なるかな。熱かったであろう、済まぬことをした」

 以来、不動明王像が穏やかな容貌になったと評判になった。不動明王がいとおしそうに携える手首は、羂索に包まれて人々からは見えない。


 


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アトリエ超短編投稿作



2008年9月24日水曜日

か #ff0000

火星からの風が傾けば、かつての雷は絡繰り仕掛けの傘地蔵に変わる。
家政婦の片岡さんは、各地の傘地蔵を回収して火災報知器に改良した。
傘地蔵は感度抜群の火災報知器だから、火災保険証は紙屑だ。

「か」#ff0000

2008年9月22日月曜日

お #000000

惜しみなく音楽を送り続ける。
大きすぎるオルガンがオギュスタ・オルメスをオートマチックで演奏する。
オランウータンがお馴染みの音頭でお尻を振っている。
遅かれ早かれオルゴールにも汚染が及び、踊り始めるだろう、とお月さまのお告げがあった。
思わず雄叫びを上げたオランウータンは、己の大声に驚いて、落ち込んでいる。

「お」#000000

2008年9月19日金曜日

ジャングルの夜

 アスファルトを突き破って、翡翠葛が伸びる。電信柱に、街灯に、信号に巻きつくと途端に花を咲かせた。月明かりに妖しく翡翠色が輝く。
 続いてセクロピアが伸びると、あっという間に蟻の大群が押し寄せる。
 くたびれたビジネスマンがのそのそと這い出してくる。蟻に集られるのも厭わず、セクロピアの葉を食みながら、つかの間の睡眠を貪る。

2008年9月18日木曜日

やさしいこうげき

コスモス畑できみを見失った。コスモスは僕の背丈よりずっと高く、見渡すことができない。
硬い茎を掻き分けながら歩きまわり、只管にきみの名を呼び続けたが、ぼくの声は全部コスモスの花が吸い取ってしまう。
諦めてしゃがみ込んだ。座ったまま見上げるとますますコスモスは高く、空は切れ切れにしか見えない。
きみとの距離が少し離れつつあることは気がついていたけれど、何もコスモスの中で失うことはないじゃないか。
独りごちると一斉にコスモスがこちらを向いたのがわかった。
ぼくはコスモスに潰されかかっている。ピンク一色かと思っていたコスモスは、よく見れば色とりどりだ。白もピンクも濃いピンクも。模様入りも、グラデーションも。
このまま潰されるのも悪くないかなと思いながら、目を閉じた。

2008年9月17日水曜日

え #f791ba

遠慮がちなエッチな映画を閲覧した。
エキゾチックな絵描きさんとエコノミストの駅員がエスカレーターで、えもいわれぬエロチックなエスプリで結ばれる話だ。
絵描きさんは駅員さんのえくぼに、駅員さんは絵描きさんの臙脂色のエナメル靴に微笑みかけた。
得体の知れない映像が延々と流れる。
エクスタシーは永遠に得られない。

「え」#f791ba

2008年9月15日月曜日

う #96828c

海に浮かぶ馬はウクレレが上手い。自惚れ屋の馬は人も羨む美しいうなじに挿した鱗を輝かせながら、ウクレレ片手に歌を歌う。
海原の馬を宇宙からうっとりと見つめるのは、牛飼い座に生まれた胡散臭いウサギである。
ウサギはウクレレも歌も上手くない。馬を眺めるほかは、うとうととうたた寝をするか、薄気味悪い占いをして現つを抜かしている。

「う」#96828c

いつか見た夢

「夢でなら、いつだって逢っているじゃないか。こうして」
と、きみは言った。
きみに逢える夢は、いつも岩だらけで色のない場所。花や蝶を愛でることも、水辺で遊ぶこともできない。強い風が吹く岩場で足の裏の痛みに耐え、立ち尽くしたまま大声で言葉を交わす。
「だから!ぼくの夢は、夢の中だけでは終わらないことなの!」
ここじゃ手も繋げない。そんなのはイヤだ。
言おうとしたところで、目が覚めた。ポロポロと涙が溢れる。
そうだ、夢は叶ったんだ。きみの背中に顔を埋める。まだまだ涙は溢れ出て、ぼくの涙はどんどんきみの背中を転がり落ちる。シーツの色が変わる。
きみはまだ眠っている。もう夢の中にぼくはいないはずなのに。
ぼくは花瓶に花を絶やさない。ここはもう夢じゃないから。

2008年9月13日土曜日

い #fffced

イタリアで一番人気の石ころは、未だに池から出られずに苛々している。
イメージチェンジだと威張りちらして、一張羅にイヤリングもつけ勇んでみた。
如何ともしがたいいまいちな石ころの出立ちに、イタリア中が居眠りで悼む。

「い」#fffced

2008年9月12日金曜日

あ #ffe842

アイスクリームとあんみつを平らげたあと、赤裸のあたしの足首を持ち上げて頭を入れる。
あなたがあれやこれやと味見をするから、あっという間に汗だくになる。
「あんまり甘いものを愛すると、あらゆるところに蟻が溢れるよ」
と煽っても、あなたは相変わらず天邪鬼だ。ありがとう、とだけ挨拶してあっちへ行ってしまう。明日まで逢えない。

「あ」#ffe842

2008年9月10日水曜日

鐘尽堂動物園

キリンの首が長いのは、みなさんよくご存知でしょうが、ここの園のキリンの首といったら、長いの長くないのって。
ただ長いだけじゃあ、ありませんよ。自在に伸びてあっちへくねくね、こっちにくねくね、よく動き回ります。
キリンのろくろ首? しぃ。それは言わない約束ですよ、和江はひどく怒りますから。
和江は、賢くて気立てのいい奴です。四六時中長い首で園を見廻って、園内の動物の世話を焼いてくれる。皆慕ってますよ。たびたび私のところへやって来ては、やれ象の松助さんが下痢気味だ、チンパンジーの千代さんが悋気の虫だ、フラミンゴの三郎くんが骨折した、と逐一報せてくれます。
「せんせ、かあいそうだから、すぐ行って見てやっておくれよ」
てなことを言いますよ。
えぇ、獣医を始めてかれこれ三百……何年でしたかな。ここへ来てから百八十八年、こんなに楽させてもらってる園はありませんよ。
おっと、閉園の鐘が鳴りましたな。鳴り終わる前にお帰り下さい。え? なんと、おたくさんには聞こえないと。それはいけません。
和江、ちょっと。ライオンの銀二を呼んできておくれ。あぁ、そうだ、ご馳走だよ。こちらのお客さまだ。

2008年9月8日月曜日

嘘つきカーナビ

樹海のペンションの住所を入力すると
「その住所は存在しません」
とカーナビは言った。画面には正しく地図が出ているのに。私のため息を聞いたかのように、カーナビは続ける。
「一番近い国道までナビゲーションします」
カーナビの言われるままに車を走らせた。標識を確認する気もなく、周りの景色が変わるのにも気付かなかった。身体も頭も重たくて、カーナビの声に時折ハッとする。
「到着しました」
と言われて顔をあげると、そこは海岸だった。樹海は?
「あなたは樹の海よりも水の海のほうが似合います」
それだけ言うと、画面は真っ暗になった。

2008年9月5日金曜日

Ω

Ωの中に入ってみたら、案外広くて驚いた。いや、案外なんてもんじゃないね。それは宇宙だった。
あんまり心地よくて素粒子になりかかったけれど、あの娘のことを思い出したら帰りたくなってのこのこ這い出した。やっと出たと思って振り返るとΩは既になくΑがあるだけだった。時計を見たら、さっきより三分戻っていた。

先生の言う通りに

友達のちょっかいが癪に触ったのだろう、今にも暴れだしそうな少年を先生は肩を掴み、しっかりと見つめる。
「ほら、深呼吸して。先生の目を見てごらん」
はじめは顔を反らしていた少年も、しばらく見つめられているうちに根負けしたのか、ようやく先生に顔を向けた。
少年は先生の眸にイルカが浮かんでいるのを見た。イルカは少年に気がつくと、飛び上がってくるんと回ってみせた。
「イルカ……?」
そう呟くと、イルカは水に潜ってしまう。目の前には先生の顔があるだけ。
気がつくとあれほどドクドク騒いでいた心臓も落ち着いている。
「もう大丈夫だね、席に戻りなさい」
もう一度、先生の顔を覗き込むが、急に恥ずかしくなったのか、少年は黙って席に戻る。

2008年9月2日火曜日

ものしり博士と船旅

「ぽっぽー!」
と言って、ぼくたちの船は誰にも見送られないまま出航した。
ぽっぽー、と叫んだのは博士だ。なぜならこの中古の船は警笛が壊れていて、鳴らそうとすると「鳩ぽっぽ」を歌いだすからだ。
出航の警笛が鳩ぽっぽでは格好がつかない、と博士は言うけれど、博士の声の警笛はもっと格好がついてなかったと思う。
ともかく、ものしり博士とぼくは海に出た。博士は港で遊ぶぼくを助手に任命した。
「私は世間でものしり博士と呼ばれているから、海の旅も困ることはない、任せなさい」
けれども、博士がものしりかどうか、ぼくは早くも疑っている。
だって博士は、面舵いっぱい! って言いながら左に進んでるもの。

2008年9月1日月曜日

不吉な靴下

履き慣れたスニーカーであちこち靴ずれになってしまった。
家に帰るとすぐさま靴下を脱ぐ。あぁ、新しい緑色の靴下に血痕が……ちょっと奮発していいのを買ったのに。
しげしげと靴下を眺めていると、赤い花の花畑のように見えてきた。
血液は黒く染み込まず、流れ出した時より赤く花咲いている。