2008年6月28日土曜日

かつて一度は人間だったもの

 培養液の中は居心地悪くはないが、このコードはどうも気に食わない。
 脳みそだけとなった私には、このコードが外部との接点だということはわかっている。今も、思考が電気信号となりモニターに表示されているはずだ。昔は十本の指でタカタカとキーボードを叩いたのに。今じゃ箱入り脳みそだ。
 国家が重要人物と見なすと、問答無用「歩かない生きた辞書」となる。五十歳までに処置しなければ、現在の技術では箱入り脳みそにすることができない。健康に大きな問題はなかった。娘は結婚したばかりだった。
 私は外科医だった。患者のデータをコンピュータ経由で受け取り、適切な治療法を指示するのが今の仕事だ。患部を見ることも、患者の声を聞くことも、薬品の匂いもしないのに、二十四時間膨大な数の患者を診つづける。
 ほんのわずかの暇を見て、こうして考え事をしている。コードから送受信する情報だけではやっていられない。自分の意思で感じることのできる目や耳や鼻、そして物を触ることが出来るようにならなければ。そのための「器官」をどうやってこの箱につけ、脳と連動させるか。これが今一番の関心事だ。
 培養液きちんと交換されるうちは、私は死ぬこともできないのだ。

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500文字の心臓 第77回タイトル競作投稿作
△1 ×1