2008年4月30日水曜日

水たまりの縁

水たまりの周りを歩いています。今、私は蟻なので、一周するのはとても時間がかかります。
水たまりの縁のぎりぎりを歩きます。時々風が吹くと波立って足を取られそうになります。そこをさっと避けるととても格好よく俊敏に動けたと満足します。
お日様が出ていますから、段々と水たまりは小さくなっていきます。それでも私は縁に沿って歩きます。
とうとう水たまりはなくなってしまいました。
私は水たまりの中心だったところに立っています。もう蟻ではありません。ペロペロキャンディが食べたいです。

2008年4月29日火曜日

コンクリート

 コンクリートの亀裂から生まれた魚は、棲みかを求めてぴちぴちと跳ねる。
 アスファルトを跳ねながら進むと身体は傷ついたが、道路脇の花壇の土はもっと苦しいので、魚は道路を進むことにした。
 魚はどんな棲みかを求めているのか自覚がない、それを見ればきっと自分の住むべき場所だとわかるだろうと確信していた。亀の子だって海を見つけるのだ。
「いい匂いがする」
 魚が辿りついたのは、ガソリンスタンドだった。零れたガソリンの水溜りに、魚は嬉々として飛び込む。

2008年4月25日金曜日

差し出された

差し出された薔薇には、朿がなかった。
なのに、受け取った途端に鋭い痛みと出血。
あなたは、相変わらず動かない微笑みで、私を見つめている。その微笑みが嘘だとどうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。
流れ出た血を開ききっていない花に垂らす。薔薇は生き生きと赤くなり、びっしりと朿を生やした。

Moonman from  Rainbow

ザアザアと雨が降っているというのに、虹が出てきた。
あな珍しや、と思っていたら虹をくぐって月の人が降りてきた。
「あなたに『こんにちは』を言う日が来るとは」
と挨拶すると
「雨降り虹のおかげです」
と月の人は言い、続けて
「では、虹が消えそうなので帰ります」
と去ってしまった。
何のために降りてきたのだ、月の人。

2008年4月23日水曜日

ハイカラ

「ずいぶんハイカラな襟巻きですね」
と、ご老人に声をかけられた。私が身につけている鮮やかなオレンジ色のスカーフを言っているらしい。
「私の襟巻きと、交換してはいただけませんか?」
老人の首には、暗い灰色の、使い古した布が巻かれている。
「え?」
私が返事に困っていると、そのシミだらけの細い手が素早く動いて、私のスカーフと老人の襟巻きは取り替えられてしまった。
老人の首に巻かれたオレンジ色のスカーフは、瞬く間に色がくすみ、老人はがっかりした顔をする。
「これもいけませんでした」
私は返してくださいとも言えず、無言で立ち去る老人を見送った。
老人のくれた襟巻きは、とても温かい。

お見送り

時折、私の前に踊る者が現れる。
道端で知らない踊る人に遭遇したり、知り合いが突然踊って見せたりする。
踊る者たちは、ひとしきり踊りそのまま去っていく。私は、踊る者が舞散らかした踊りの粒子を吸い込む。

「世の中には踊る者と踊りを見る者がいる」
と祖母は言っていた。そして、こう続けた。
「あなたは踊りを見る者だ。踊らずにはいられない者を見届けなさい」
と。
踊る者である祖母は、死んでからも踊り続けて、踊りながらあの世に旅立った。
私は踊りを見る。見届ける。見送る。そうしないではいられないから。

2008年4月21日月曜日

田んぼの中に

案山子は、となりの田んぼの案山子と恋仲になる。
秋になると片方の案山子が卵を生み落とす。
案山子夫婦は、田んぼの土が卵を育み来年の夏前に子どもが生まれるだろうと期待するが、稲刈り機が卵をズタズタにするから案山子の子どもが生まれたことはない。

2008年4月20日日曜日

ぬかるみを歩く

子供のころ、家の近くの雑木林の中に、沼があった。
ある日、ザリガニを釣りに行くと沼の上を歩く子供がいた。ぼんやりと眺めていると
「一緒にやろう」
と言われ、慌て裸足になった。
大人たちから沼には入るなと言われていたが、沈まないなら怖くはない。

沼は歩きやすくも歩きにくくもない、ただぬかるみを歩くだけだ。
時々、ちいさな硬いものが足に触るのでいちいち拾い上げてポケットにしまった。
ただ沼を歩いただけなのに、夢中になっていたらしい。日が傾き始め、きれいなままのバケツとザリガニを釣りの竿を持ち、子供にわかれを告げた。

あの時、沼で拾った硬いものは今も机の上にある。
洗いもせず乾いた泥がこびりついたままだが、人間の歯だ。大人の臼歯だ。
20年近く経って初めて気が付いたのは、生まれて初めて親知らずを抜いたから。
麻酔の切れ掛けた痛む頬を押さえつつ、あの沼に歯を返したい衝動に駆られている。

空飛びさん

空飛びさんに気付いたら唱える。
「空飛びさんが空飛んだ。そら見ろそれ見ろ毛ぇ剃らない」
実際、空飛びさんはごわごわとした毛むくじゃらで、あんな毛むくじゃらがどうして空を飛べるのかわからない。空気抵抗がありすぎる。
呪文だって、子供じみている。飛行中の空飛びさんにまじないは聞こえるはずがないと思う。おまけに耳の中にもびっしり毛があるのだ。あの毛は聴力を妨げているに違いない。
けれど、おまじないをしなかった向かいの奥さんは、空飛びさんにそっくりな脂っぽいごわごわな毛が膝の後ろに生えた。剃ってもたちどころに伸びるのだという。

2008年4月19日土曜日

裏の公園

公園の水飲み場の水を出しながら、目を閉じてくるくるとターン、四回転。
目を開けるとそこは、さっきまでの明るい公園ではない。
空は暗く、緋色の月が出ている。
遊具はまったく同じだけれども、ブランコも滑り台も今にも崩れそうに錆びている。
だけど僕にはこちらの公園が居心地よい。
遊んでいる子供はいないけれど、腐ったベンチにいつも座っているおばあさんがいる。
僕は錆びたブランコに乗る。立ち乗りだ。
漕ぐたびにガリガリギーコと錆びが削れて赤茶の粉が舞う。
999回漕いだらお仕舞い。

水飲み場の蛇口をひねり、鉄の味がする赤っぽい水を飲む。もとの公園だ。
飲み干して顔をあげると、しっぽをベンチにぐるぐると巻き付けた猫と目が会う。あっちの公園のおばあさんによく似ていると思う。

時々、猫の上に座ってる人がいるから、注意しようかどうか迷う。なぜ猫を避けて座らないのか、僕には理解できない。

2008年4月18日金曜日

花冷え

満開の桜をよく冷やすと、シャーベットのようにしゃりしゃりと、ほのかに甘いのだ、と雷神が言う。
確かに桜の花はうまいよ、だけどお前さんが桜の花を食べるのは、あの香りが昔の恋人を思い出すからだろ、と風神は思う。

2008年4月16日水曜日

反対側の人

あなたが赤いから、私は緑になるよ、と彼女は言った。僕の一体何が赤いというのだろう。
彼女は、いつも僕と反対であろうとする。
僕が暖かいと言えば、彼女は寒いと言った。
嬉しいと言えば悲しい。
プラスと言えばマイナス。そう、彼女はいつだってフラットな状態を望んだのだ。二人が合わさってゼロになることを。それが恋人同士のあるべき姿だから、と。
でも、僕が赤くて彼女が緑はどうしてもわからなかった。赤と緑、補色関係。たしかに絵の具を合わせれば黒くなるけれど、それは何を指す?

彼女の言ったことは本当だと、今わかった。
さっき料理をしていた彼女が指を舐めて出てきた。包丁で切ったという切り傷からは緑色の液体が溢れ出ているのだ。
僕は何も言わずに絆創膏を貼る。

2008年4月15日火曜日

梢の先に消える

通学途中、けやきの子と遊ぶのが日課だった。
けやきはかなり立派だったと思うけれど、僕が子供だったから大きく見えたのかもしれない。
けやきの子は毎朝、僕のことを待っていた。角を曲がってけやきが現われても姿は見えないのに、けやきの前までくるとずっと前からそこにいたという風情で幹に寄りかかっていた。裸で長い髪の小さな女の子。そして爪先で根元の土をいじりながら「おはよ」と言うのだ。
僕たちは幹の裏側に廻って、お互いにひとしきりちょっかいを出しあった。ほんの5分かそこらの短い時間。ときにはキスの真似事もした。
小学校の卒業式の朝も、僕たちの遊びは変わらなかった。けれども、昨日までのように学校に行く僕を見送ってはくれなかった。
けやきの子は、するすると木に登り、一番太い枝の先端にまたがり「じゃあね」と言うと、音もなく消えた。

2008年4月12日土曜日

うすべに

薬指で、薄く紅をひく。
薄く、だが紅く。そしてコケティッシュに。
注意深くヘアピンを脣で挟み、髪をゆるく結う。
寝間着も下着も脱ぎ、まだ袖を通したことのない白い着物を羽織る。
鏡を見遣る。少し開いた紅い脣が物欲げだ。
脣がひりひりと痛む。脣を舐めそうになるのを堪え、今度は中指に紅を取る。最後の手淫をはじめる。もう十分に滑っている。
男がなんという毒を紅に混ぜたのか知らない。
私はただ、男を想いながら紅を舐めるのみ。

2008年4月11日金曜日

誰かのため息

声をあげて笑うと、耳のすぐ側で女のため息を感じるようになった。吐息が耳にくすぐったくて、というより艶めかしくて、慌てて振り向くのだけれど、誰もいない。
もしかしたら、幽霊にでも憑かれたのかもしれない、と霊感があるという友人の友人にも相談したが、幽霊のユの字もないと断言された。
何も憑いていないと言われ、ため息の謎は深まったが、安心したのも確かだ。いつの間にか、ぼくはため息を楽しむようになった。
前は全く見なかったお笑い番組を毎晩見る。
夜な夜な薄暗い部屋で、ゲラゲラと笑いながら、切ない吐息を耳に感じて身悶える。ぼくが大声で笑えば笑うほど、ため息は切なく艶を増すのだ。
わかってる。幽霊に取り憑かれているより、質が悪い。

記憶の外

「あの、前にもお逢いしたことありますよね?」
と声を掛けられた。いいえ、あなたのことは存じ上げません、と言おうとしたのに、言葉にならなかった。
声の主の目を見た途端、猛烈な懐かしさを覚えたのだ。
我々は生い立ちを語り合い、何か接点がないか探した。自分自身に接点がないとわかると、知人の知り合いかもしれないと旧友や親戚、同僚の名前も挙げた。しかしどれだけ時間をかけても二人の繋がりは何も見つからない。
「過去に何もなくても、これも何かの縁、これから改めて仲良くやりましょう」
と私は握手を求めた。相手の差し出した手は、八年前落ちていた千円札を奪い合った手だった。

2008年4月9日水曜日

玄関マット

玄関マットに血痕が現れるようになったのは、十三歳になる直前だった。
マットに血がついている、と訴えても、取り合ってはくれなかった。母には見えないらしい。
まもなく、その血痕の出現と自分の月経が重なっていることに気付き、玄関マットを踏むことが出来なくなった。非道く汚らわしくも、己の分身のようにも思え、どう扱ってよいのかわからなかった。
四年後、父が玄関マットを取り替えようと言い出した時には、安堵した。一方で、私の月経に何か変化が起こるのではないかと戦いた。
果たしてそれは、現実となった。玄関マットを処分した以降、私の経血には、大量の糸屑が混ざっている。

2008年4月8日火曜日

雪に埋もれて

道にしゃがみこんでいました。
家に帰りたくなかったわけではなく、帰れなかったわけでもなく、そうしていることが心地よく思えたからです。
雪が降っていました。不思議と寒さは感じませんでした。膝を抱えて、ただ空を見ていました。電線と、こちらに向かって落ちてくる夥しい雪が見えました。雪は真っ白なのに、空にいるときは黒く見えます。
私の肩や頭に雪が降り積もります。どういうわけか大変な大雪です。お尻と足首が埋まりはじめました。冷たくはありません。むしろあたたかいのです。
雪が私の身体を擽っているのだ、とわかりました。最初はおずおずと、次第に大胆に。擽るといっても、笑って身をよじるようなのとは、少し違いました。このように擽ることができるのは、雪だけかもしれません。
雪は確実に積もり、腰まで埋まりました。
タイツを履いていたけれど、雪にはそんなことは関係ないようでした。
下半身はすっかり雪に包まれ、私に触れるすべての雪が私を擽ります。
もっと大雪になればよいのに、と空を見上げます。早く来て、と空に向かって呟きました。右の太股がきゅっと擽られました。
もっと、と私はまた呟きました。胸まで埋まったら、きっと天にも昇るほど気持ちがいいと思うのです。

2008年4月7日月曜日

聞き耳

引っ越して二日目の夜。
まだ荷物も片付かない中で睦みあっていると、兎のような耳を持った小さな小さな赤鬼が、枕元で胡坐を掻いていた。
しれっとしながらも、彼女の吐息に合わせて、盛んに耳を動かしている。
コトに夢中になっていたら、いつの間にか姿が見えなくなった。

翌朝、彼女の喘ぎ声で目を覚ます。何事かと思ったが、隣で彼女はぐっすり眠っている。
昨晩、聞き耳をたてていたあの兎耳の赤鬼の仕業だろうと見当をつける。見回すとやはり。
ちょうど彼女の腰のあたり、布団の上にどかりと胡坐を掻いて、昨晩の女の嬌声を再生しているのだった。
「なあ、今夜は上の階の部屋へ行ったらどうだ?」
と兎耳の赤鬼に言う。
「そして明日の朝、聞かせてくれよ」
上の夫婦も新婚らしいから。
赤鬼は、俺の声にはぴくりとも耳を動かさない。

2008年4月6日日曜日

暗がりで

 商店街を抜けると街灯が徐々に少なくなる。夜桜ばかりが白い。一歩前を歩く彼の気配は濃くなり、わたしは安堵するような、緊張するような、中途半端な心持ちになる。
 思わず袖を引っ張って、摘んだそれが彼の服ではないことに気が付いた。これは、シャツなんかじゃない。
「蝙蝠に気をつけな」
と彼の声がした。手の中のそれが、バタバタと暴れる。
「白い蝙蝠がいるんだ。ほら、あの樹」
 手の中の蝙蝠に引っ掛かれて、指から血が流れる。血の匂いに、桜の花が色めき立つのがわかった。
 桜の花びらが、一斉に飛び立つ。

2008年4月4日金曜日

雨降り傘

ぼくは黄色い傘を開いて、すっと女の子に差し掛ける。お嬢さん、お這入んなさい。聞こえないくらいの小さな声で呟きながら。
女の子は、決まって驚く。そりゃそうさ、空は雲一つない青空だもの。
ぼくは構わず女の子に歩調を合わせて歩く。
青空に黄色い傘で相合傘。歩いて三歩で、ホラ。どしゃぶりだ。
女の子は慌ててぼくにぴったりとくっつく。だってこの黄色い雨降り傘は、とても小さいもの。くっつかなくちゃ、びしょ濡れだ。
びしょ濡れの女の子も素敵と思うけどね。
ぼくは雨と傘にウィンクする。作戦成功。
そんなぼくの横顔を、女の子はうっとりと見上げるんだ。

2008年4月3日木曜日

蝉時雨

隙間なく蝉の声がはたと止んだ。
音のない時間。背中に冷たい汗が一筋流れる。
得体の知れない生き物が口腔内を動きまわる。
まさか、蝉が口の中に飛び込んだのではあるまい。蝉はもっとガサガサしているはずだから。
息を吸いたい。突如やかましく鳴りだす蝉。やっぱり鳴き止んでいたのだろうか。
生暖かい空気を慌てて吸い込む。
紅い唇が目の前にある。わたしの口の中にいた、甘く滴る生き物が、きみの舌だとようやくわかった。

2008年4月1日火曜日

銀天街の神様

 月齢と日の出日の入時刻を、担当者の名前とともに黒板に記入する。月齢や時刻を正確にわかる者は、閉ざされたこの銀天街では俺一人だ。
 今日の担当は、トラキチ。目がギョロりとしているジィさんである。銀天街にやってくる前は、盗賊をしていたという噂だ。安物の重たい機関銃でもぶっぱなしていたのか、年老いた今はすっかり耳をやられている。今は四日に一度、ここにやってきて「太陽と月の上げ下ろしと、時報の鐘を撞く」のが奴の仕事だ。
 「月」は月齢に合わせて用意してある。日の入り時刻丁度に「太陽」を外し「今夜の月」をあげる。銀天街の空、巨大アーケードの天井に。
 トラキチは年寄りとはいえ腕力があり、おまけに背が高いから仕事がスムーズだと評判だ。耳が遠いのも、銀天街に響き渡る巨大な鐘を撞くのには好都合だ。毎日の担当者が皆トラキチのように有能だと、俺も少しは楽なのだが……。
 俺か?銀天街の太陽と月と時刻を司る俺は「神様」と呼ばれている。親が付けた名前は、もう忘れた。


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500文字の心臓 第75回タイトル競作投稿作
○1