2006年5月30日火曜日

緑を濡らす

蝸牛が這うのでアベンチュリンのブレスレットはますます濡れたように艶やかになる。
それを見た蝸牛がまた喜ぶから
蝸牛は四六時中、ブレスレットを這っている。
だから私は蝸牛を腕にぶら下げて歩かなくてはならない。
話し相手には困らないけど。

2006年5月28日日曜日

やわらかな、ばら色

ロードクロサイトという石を雑貨屋で見つけた僕は、にわかに心がざわついた。
思い出せそうで思い出せない。
「ねぇ? この石のカンジ、何かに似てるような……」
と彼女に呼び掛けた。
「どれ?」
振り向いた彼女のくちびるを見たぼくは、もっと心がざわめいた。
ああ、僕はロードクロサイトにキスをしたかったんだ。

青の惑星

深海の城は瑠璃で出来ていた。目の前に突然現れた建造物に私は驚いた。深い海の色に瑠璃は溶け込み過ぎている。
「敵に見つからないようにカモフラージュしているのですか?」
と城主に尋ねると、そうはないと応えが返ってきた。
「この石は星空のようだと、聞きました。星空はとても美しいのでしょう?先祖はまだ見ぬ星空をここに造ろうとしました。けれどもこの城はちっとも目立たないのです」

2006年5月27日土曜日

Little‐Rainbow

梅雨の午後、気持ちが沈んだ僕のために、ラブラドライトが虹を出してくれた。

2006年5月24日水曜日

オレンジの雫

「喉が渇かない?」
と僕は彼女に言った。
たいしたお金もないのに、僕らは隣町まで歩いてきた。学校の制服のままで。
彼女はまっすぐ前を見て歩き続ける。
僕はその横顔を時々見たり、繋いだ手に力を込めてみたけれど
やっぱり彼女は前を見たままだ。
たぶんよくて数日だ、この駆け落ちの真似事は。そう、僕たちは真似事の駆け落ちしかできない。
そんなことは彼女もわかってるはずだ。でも彼女の手は熱い。
「あきちゃん。おれ、喉渇いたよ」
もう一度言うと、学校を出てから初めて彼女がこちらを見た。初めて見る、強い瞳で。

僕は近くにあった公園のベンチに座らされた。
「かずくん、上向いて、口開けて」
僕がその通りにすると、彼女は胸元から僕がプレゼントしたペンダントを引っ張りだした。
安物だけど、シトリンという宝石がついている。
僕の開いた口の上でペンダントが揺れる。
彼女は涙を流しだした。
「え? なんで泣くの?!」
「だめ、口開けてて。こぼれちゃう」
ペンダントからオレンジジュースが落ちてきて僕の喉を潤した。
彼女は涙を流しながら、やっぱり前を見つめている。

2006年5月23日火曜日

緑の目玉

レオナルド・ションウ゛ォリ氏はグリーンのパジャマにナイトキャップを着けると
グリーンの枕と毛布のベッドに潜り込み
握りしめた孔雀石の渦を数えながら眠りにつく。
おやすみなさい、ションウ゛ォリ氏。よい夢を。

2006年5月20日土曜日

ルビーが彩る手

彼女の綺麗な紅い爪がマニキュアを塗ったものではないと聞いた時、私は本当に驚いた。
彼女は除光液を染み込ませたティッシュを爪に擦りつけて見せた。
爪は紅いままだし、ティッシュは白いまま。
「母がね……」
そこで彼女は悪戯っ子のように瞳を輝かせた。
「ルビーを食べてたんだって。私がお腹にいる間。金持ちでもないのに、ルビーをどこから調達したんだろうね?だから私は全然信じてないの」
切った爪はどうするの?!と聞いたらなんだか卑しいような気がして、止めた。

2006年5月18日木曜日

煙の瞳

学校の通学路に古道具屋がある。
店の出窓に外を眺めるように置いてある人形を僕は必ず一瞥する。
立ち止まることは出来ない。
同級生か誰かに、人形を見つめていることが見つかるのは、困る。
彼女の瞳はスモーキークォーツで出来ていた。
小学生の時、買い物帰りにその店の前を通った時、母が言ったのだ。
それからだ、その人形が気になるようになったのは。
物憂げでどこを見ているのかわからない、そんな瞳に僕は一瞬激しく吸い込まれる。目が合ってもいないのに。

夜十時、塾の帰り。いつもきっちりカーテンが閉まっている古道具屋の窓が、開いている。
今なら人通りも少ない、友達に会う心配もない。
僕は初めて人形の前で立ち止まる。
〔この娘が好きなんだろ?〕
野良猫が言う。
「まだ目が合ったこともないんだ」
〔なら、起こしてやるよ〕
猫はひょいと窓に飛び乗ると、彼女の陶の頬を舐めた。
彼女の煙った瞳が輝きだした。
「コンバンハ」

2006年5月16日火曜日

かまびすしいカエル

自転車のサドルで干からびかけていたカエルを風呂に入れ、飯を食わせてやった。
カエルは米搗きバッタのようにペコペコしながら
「一晩泊めて下さい」という。
カエル一匹泊めるのに何の迷惑があるだろう。
「いいよ、ゆっくりしていきな。オヤスミ」
「ありがとうありがとう。おやすみなさい」

翌朝、カエルはカエルの形のまま石になっていた。
慌てて調べると「ユナカイト」という石のようだ。
「おい、お前さんはカエルなのか?ユナカイトなのか?」
と石に呟き掛けると
「ゲーコゲーコ」
と返事した。

2006年5月14日日曜日

回遊

アクアマリンの指輪の中で鰯が泳いでいるのを見つけた時、ぼくはお腹が鳴った。

2006年5月13日土曜日

猫の指輪

子供の頃飼っていた猫はレッドジャスパーという名前だった。
長くて発音しにくいからジャス、と呼んでいた。
ジャスは物心ついたころにはおばあさん猫だった。
お気に入りのクッションにグテっと寝そべっているか、よろよろと歩いているか。
時々朱い目でこちらを見て愛想を言った。
忘れもしない小学二年の五月十三日、朝起きるとジャスはいなくなっていた。
父は、死に場所を求めて出て行ったのだと言った。
よくわからないかったけど父がそう言うのだから、そうなのだろう、と考えることにした。
ジャスのお気に入りだったクッションに、
レッドジャスパーの石がついた指輪が置かれていたのは、
ジャスが出て行ってから五十日後のことである。
私の手はあれからずいぶん大きくなったが、
いつも指輪は左手の人差し指にぴったりと嵌まる。

2006年5月11日木曜日

ペンギンキャンディ

〔飴玉見つけたぞ?〕
とペンギンが差し出したのは、黄色い大きな飴玉……ではなくて宝石だった。名前はわからないけど。
「これは飴玉ではない。石だ」
と僕はペンギンに告げる。
〔これは人間の飴玉ではない。イエローカルセドニーだ〕
なんだよ、ペンギンのくせに石の名前知ってるのか。
〔これは人間の飴玉ではない。ペンギンの飴玉だ〕
ペンギンはポンと石を放り投げるとクチバシで捕まえた。
「ペンギンの飴玉?どんな味なんだ?」
〔パイナップル〕
ペンギンがパイナップルの味を知っているとは、信じられないけど。
〔そして空を飛ぶ〕
ペンギンはすごい勢いで飛んでいった。
「夕飯には帰ってこいよー!」

2006年5月10日水曜日

涙の予言

妊娠中、つわりが酷くて妻はよく泣いていた。
涙を拭ったハンカチは、何故かほんのりと緑色に濡れていて
俺は訝しんだが、妻は気にしないで、と言っていた。
夏の朝に生まれきた娘の胸には、小さな雫型の石がついていた。
淡い緑色。褐色の肌にはあまり目立たないが、時折強く輝いた。
妻が緑色の涙を流したのは、赤ん坊の石のせいだったのか。
俺はその石を外そうと試みたが、妻に止められた。
「とてもよく似合っているじゃない?」
ペリドットという石だと、産婆が言った。
宇宙の子だ、と老人が言った。
うるさい、俺の娘だ。

2006年5月9日火曜日

ストーンウォーク

満月の晩、黒猫は小さな白っぽい石を噛えて帰ってきた。
黒猫は慎重に少女の手に石を落とす。
「きれいな石。ナンナル、これ何?」
「月長石だなぁ。ちょっと疲れているようだ。キナリ貸してご覧」
月は石を胸に充てた。
「もう大丈夫」
石は青みがかった乳白色に輝きだした。
「ねぇ、ヌバタマ。どこで拾ったの?この石」
石が月に逢いたいから連れていけと付き纏っていたことを黒猫は語らない。

2006年5月6日土曜日

観光案内ガイド

道に迷った時、どこに行けばよいかわからない時には、オランウータンに聞いて下さい。
少し高いところにいるか、ゆっくりと歩いているはずです。
彼らはこの街のなにもかもよく知っています。
おいしいレストラン、自転車置場、きれいな花を咲かせる木、公衆トイレ、眺めのよい場所、赤ちゃんのいる家……。
なかには地図を書いてくれるオランウータンもいるはずです。
では、ごゆっくり観光をお楽しみください。

【ショウジョウ科ボルネオオランウータン ボルネオ 絶滅危惧ⅠB類】

2006年5月5日金曜日

生きたストラップ

945b1aad.jpg携帯電話にニシメガネザルがしがみついている姿をよく見掛ける。
先日ついに、私の携帯電話にもニシメガネザルがくっついてしまった。
「なぜ、そんなところに?」
と私が尋ねる。
「移動が楽チンだよ」
と彼は答える。
彼は携帯電話から飛び跳ねて、昆虫を捕まえてくる。
「おいしいかい?」
と私が尋ねる。
「んまい」
と彼は答える。


【メガネザル科ニシメガネザル インドネシア】

2006年5月4日木曜日

旅はウヰスキーボトルで

「旅をしたかったのだけど、金がなかったんだ。だから親父のウヰスキーの壜を拝借したのさ。
慣れるまでは大変だった。船酔いならぬ、壜酔いだね。でも今は快適だ。海は美しいよ。キミも一緒にどう?」

わたしが浜辺で拾った壜の中には、男の子が入っていた。
彼は、わたしが誘いに乗らないと悟ると、まだ旅の途中だから海に戻してくれ、と言った。
わたしは、壜を波に乗せた。あっという間に壜は見えなくなった。
あ、どうやって壜の中に入ったのか、聞くの忘れた。

2006年5月3日水曜日

香典

午後十一時。白く浮かび上がる人影に私は凍りついた。
ハヌマンラングールに違いない。
顔が黒いから、表情を窺うことはできない。
私は鞄の中に、昼休みに食べ残したメロンパンがあることを思い出して、少しホッとする。
ハヌマンラングールは息のない子供を抱えていた。
私に気付いた彼女は立ち止まると「これから弔いなの!」と叫んだ。
私は耳を塞ぎたい気持ちをなんとか抑え
「メロンパンしかありませんが……」
とメロンパンを差し出した。
ハヌマンラングールは無言で受け取ると、音もなく去った。

【オナガザル科ハヌマンラングール インド 準絶滅危惧種】

2006年5月1日月曜日

罵詈無言

パルマの寡黙な令嬢
「唖か?」
と聞かれて
「莫迦!」
とひと言答えた。
黙殺されたパルマの令嬢。

There was a Young Lady of Parma,
Whose conduct grew calmer and calmer;
When they said, 'Are you dumb?'
She merely said, 'Hum!'
That provoking Young Lady of Parma.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

富士山

17才の時、富士に登った。学校を休んで、観光シーズンを避けて一人で登った。
頂上に着いたのは真夜中だった。朝を待つつもりでいた。日本一の頂でたった一人で夜を過ごすのは、おそろしく素敵だ。そう思いながらしゃがみ込み、近すぎる夜空を眺めていると
「あーん」
としわがれた声が聞こえた。
「あーん」
また声がする。私は懐中電灯を片手に声のする方へ向かった。
「あの、何しているんですか?」
「おや! 見つかってしまったねぇ」
こちらに振り向いた顔はしわくちゃに笑っていた。こんなに腰の曲がった老婆が、どうやって富士山頂まで登ってきたのだろう。
「食いしん坊なのよ、この子は」
老婆は、火口に人参を投げ込んだ。
「富士山が、食いしん坊……」
「そうだよ、ほかに誰がいる?」
と言いながら、今度はじゃがいもを投げている。
「ぼくも、なにかあげてもいいですか」
「あぁ、いいとも。喜ぶよ」
私はポケットに入れてあったチョコレートを一粒、火口に向けて投げた。
富士山が言った「おいしい」という声は、四十年経った今も鮮明に覚えている。

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500文字の心臓 第58回タイトル競作投稿作
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