2006年12月31日日曜日

新しい年

「古い年に、乾杯」
喫茶店の片隅で私たちはこっそりとコーヒーカップを当てて乾杯した。
私たちに新しい年は祝えない。古い年ばかりが愛おしい。
良すぎる記憶力に「思い出を美化する」というプログラムを組み込んだ初めての一年、人間の恋人たちを真似しながら二人で必死に思い出を作った。
塩水は機械に悪いのに、無理して海水浴にも行った。
これから一年はその思い出を語り合ううちに過ぎてしまうだろう。いや、過ぎることになっている。
私は合金製の小指を彼に絡めながら、ちょうど一年前の思い出の出力をはじめる。

木枯らし

一足早く美術室に入ると、今日のヌードモデルがコーヒーを飲んでいた。
皆が揃うにはあと20分くらいはかかるのに、もうすべて服を脱いで。
サッカーをしているグラウンドを窓際から眺めながら。
「あ、あの……寒くないですか」
そう声を掛けた私の息は白かった。
モデルは大丈夫、という顔をしてみせたけれど
私はすぐに石油ストーブを付けた。
身体を隠すことも見せびらかすこともなく、おそらくは服を着ている時と同じような態度で、モデルはコーヒーを飲んでいた。
それがかえって不自然で、私はドギマギした。
私の動悸を見抜いたかのようにモデルは初めて口を開く。
「インスタントコーヒーだけどね」
そんなの関係ないよ。私は視線を落とす。落とした先にちょうど陰毛があって私はますます動揺する。

デッサンが始まると、モデルは見事にマネキンのように動かなくなった。
ぴくりともしないあの手でカップをもち、乾いたあの唇でコーヒーを飲んでいたんだ。
細かい所ばかり気になるから、デッサンはちっともはかどらない。

2006年12月29日金曜日

いつもと違う足音

電車の床はコーヒーで水浸しだった。
乗るのを躊躇ったが、どうやら別の車両でも状況は同じらしい。あきらめて乗り込む。車内は空いている。
もはや汚水のような風情で床に撒き散らされているが、香りはしっかりとコーヒーを主張していた。
ほかの乗客たちはコーヒーで濡れた床に頓着していないようだ。
革靴もピンヒールも迷いなくコーヒーの中を闊歩している。
私のように抜き足差し足で歩いている者は見当たらない。
ストッキングのふくらはぎにコーヒーをぴちゃぴちゃと跳ね飛ばしながら歩く女がいて、やけに卑猥だった。

夢みたいな注射

風邪をひいて病院へ行くと、いつもの老医師がいなかった。
「先生は?」
「マゴと遊びに行った」
とウサギがこたえる。
「じゃあ、なぜ休診にしないの?」
ウサギはニヤリとして
「私が診察を任されているからだ」
と宣った。
ウサギは世間話をしながらコーヒーを沸かし、それを注射器に詰めた。
私は背筋が凍りついた。
「いや!コーヒーなんか注射したら!やめて!だれか助けて」
私は叫び暴れたが、ウサギは素早く馴れた手つきで注射針を私の二の腕に挿した。

それからどうやって家に帰ったのか、まるで覚えていない。
気が付くと、湯舟で鼻歌を歌っていた。風邪はすっかり良くなっていた。
ウサギにコーヒーを注射されたのは、夢だったのだろうか。
けれども五日経つ今も二の腕にはぷっくりと注射の跡が残っているから、夢ではなかったみたい。でも、その赤い注射の跡を指先で撫でると、なぜか夢心地になるからやっぱり。

2006年12月28日木曜日

コーヒーが降り出しそうな日

「もうすこしでコーヒーが降りそうなんだけどな」
と、土手に座り込んで少女は呟いた。
確かにコーヒーのような焦茶色の雲が厚く空を覆っていた。
「もし本当にコーヒーが降ったら、どうするつもりなんだ?」
「浴びるの。髪を洗って、顔も洗って。身体中にコーヒーを浴びたい」
肩に付くか付かないかくらいの髪が揺れる。
「ここで、すっぽんぽんになるの?」
「誰も見ないよ」
僕が、見るよ。
「コーヒーを浴びたら、きっとコーヒーが飲めるようになる。そしたら大人だと思うの」
彼女の言う「大人」に「コーヒーを飲めること」以外のなにかが含まれているのか、僕にはわからなかった。
野萱草が咲いている。

2006年12月26日火曜日

かつてコーヒーでいっぱいの地球

世界地図に零れたコーヒーは、七つの海を茶色く覆った。
海がコーヒーになったから、コーヒー豆農家はたちまち仕事を失った。
コーヒー好きは島や沿岸部に街を作り、コーヒー嫌いは内陸へ移った。
だが次第に雨もコーヒーになり、内陸でもコーヒー以外の液体を得るのが難しくなった。山の井戸水からもコーヒーが、泉にもコーヒーが湧きはじめた。
でも、布きんを取ってきたから大丈夫。
世界地図は防水加工してあったから、海をすっかり覆ったけれど、染み込みはしなかったんだ。
零れたコーヒーはすべて世界地図から拭き取られ、海は塩水に戻った。
でも一度仕事を失ったコーヒー豆農家は戻らない。
翌日、コーヒーの存在は世界から消えた。

2006年12月23日土曜日

流星群の季節

流星のひとやすみのために、コーヒーをベランダに置いておいた。
早朝ベランダに出たら、ひとりの流星があわてふためいて飛んでいった。
ひとやすみのつもりが、すっかり寛いでいたらしい。

ほろ酔いの恋

僕はコーヒーを飲み干したことがない。
こんなにコーヒーが好きなのに、すぐに酔ってしまうのだ。
コーヒー酔っ払いになったぼくは、すぐ恋をする。
コーヒーを飲みながら一人で本を読んでいる女の人を見つめてしまう。
見つめているだけでは物足りなくて声をかけてしまう。
映画でも小説でも言わないような台詞を吐いて、手の甲にキスをしてしまう。
驚く彼女の視線を背中に感じながら、ふらつく足元を隠して出来るだけスマートにカフェを去る。
それがいつものパターン。
ぼくがコーヒーを飲み干したら、その時だれかを見つめたままだったら、それは本当の恋のはじまりかもしれない。

2006年12月21日木曜日

真夜中のプール

真夜中の散歩、コーヒーの香りに誘われて辿りついたのは、学校のプールだった。コーヒーのプールで男の子が泳いでいた。
幼い身体付きだったけれど、夜とコーヒーが彼を大人っぽく演出していた。
私はプールサイドで彼の泳ぎを眺めていた。
クロールを何百メートルか泳いだ後、彼は更衣室に消えた。
プールのコーヒーを掌に掬って飲んでみる。
極甘のコーヒーに、やはりまだ子供なのだと、少し安心した。

2006年12月20日水曜日

視線で味わう

アリスは沸騰したコーヒーを好む。
僕は毎朝コーヒーを入れると、アリスの分を取り分け小鍋でぐつぐつと沸かさなければならない。
コーヒーカップの中でなお、熱い泡を立てているコーヒーをアリスは硝子の眼玉で見つめる。
昼前に冷めたコーヒーにそっと口を付けると、コーヒーはなんの味も香りもない茶色い液体になっている。
僕はこうしてアリスの残したコーヒーに口付ける瞬間が一番興奮する。
たぶん、これは彼女の体液だから。

2006年12月18日月曜日

猫製造機

 猫製造機はやかましく、だが淡々と猫を製造している。
 地下の酒場の、そのまた地下に猫製造機はあった。酒を飲む男や女は、製造機の仕事に気付かない。
 生産されたばかりの猫は階段をあがり酒場に入り男女の足をかい潜り、さらに階段を昇って、ようやく外にでる。 伸びをする猫の目にネオンと月の区別はまだ付かない。
 今夜も酒場の亭主は、苛立たしげに床に散らばったコルク栓を蹴飛ばした。
コルク栓は勢いよく転がり、階段を落ちて猫製造機に吸い込まれた。
 猫製造機が大きな音を立てて稼働を始める。



*蛇腹姉妹「猫製造機」のために*

12月16日(土)
マメBOOKSが開催中のCafe FRYING TEAPOTで、蛇腹姉妹のライブが行われました。
演奏の合間に、私の超短編作品を朗読していただきました。
「猫製造機」は蛇腹姉妹のレパートリーである「猫製造機」を聞きながら書き下ろしたものです。
「猫製造機」は今後の蛇腹姉妹のライブでも読んでもらえるそうです。よかったね、猫製造機。(?)

朗読された作品リスト
「ろ」
「幻の酒パビムン」
「なげいて帰った者」
「すれ違い」
「猫製造機」

2006年12月17日日曜日

片恋の疑い

「やっぱり恋じゃないのか」
とアイスコーヒーで濡れた彼のズボンを拭きながら自問する。
すぐ隣にいるのに、ワクワクしない。目を見つめてみても、ドキドキしない。ちっとも。さっぱり。まるっきり。
今だって、こうしてふとももを触るなんてことをしているのに、冷めたこと考えている。
それなのに、毎晩のように寝る前に思い浮かぶのは何故?次はいつ会えるかしらと考えるのは何故?

冷たいコーヒーはすっかりズボンに染み込んでしまったのに私はまだハンカチでふとももを撫でている。

2006年12月15日金曜日

小さな波の作りかた

コーヒーに漣が立ったと思ったら、わたしの涙が落ちたのだった。

せわしない読書

読書にコーヒーが欠かせないのは私だけではないらしい、と今日も実感する。
古書店で手に入れた本の多くがコーヒー好きで、私がゆっくりと啜ろうと用意したコーヒーをどんどん横取りしていく。
コーヒーを飲んだ本は何故だかせっかちになり、早く頁をめくれとせがむから
おちおちコーヒーも飲んでいられない。

2006年12月13日水曜日

働くコーヒー豆

朝、コーヒーの香りで目が覚める。
独り暮らしの俺にはありえない状況。
コーヒーはカップの中で澄まして湯気を立てていた。
「誰がいれたんだ、このコーヒー」
するとコーヒー豆が瓶の中で大騒ぎしはじめた。
どうもコーヒー豆は、俺のぞんざいな扱いが気に入らなかったらしい。
豆自らいれたコーヒーは、普段の何倍もおいしかった。

2006年12月11日月曜日

コーヒーが冷めたら

喫茶店に通い、老人とコーヒーを飲む猫がいた。
猫は老人に懐いてはいたが、老人と朝の語らいをするために喫茶店へ通っているわけではない。
あくまでも、コーヒーを飲むためである。
猫は雪のように白い毛をしている。
その白い姿を褒めたり羨んだりする者は、人にも猫にも大勢いたが、猫は黒い毛皮に憧れていたのだ。
黒い水を飲めば、毛皮も黒く輝くのではないか、と猫は思う。
そんな猫の気持ちを知ってか知らずか、老人は今朝も二杯のモーニングコーヒーを注文する。
ちょうど冷めたころ、白い猫はやってくる。

2006年12月8日金曜日

コーヒーへの道

たまごを割ったらコーヒーが出てきたら、便利だろうなあ。
なんて思ったら、いてもたってもいられなくなり、ニワトリを買ってきた。
毎日コーヒーを飲ませている。エサにはインスタントコーヒーをまぶして与えている。
ひと月くらい経ったころから、少し黄身が茶色くなってきたような気がした。
ふた月くらい経つと、たまご自体が茶色くなってきたような気がした。
み月待つと、ニワトリの羽が茶色くなってきたような気がした。
でも、たまごを割ってもコーヒーは出てこない。
僕は待ちきれなくて、イライラしてくるから、どんどんコーヒーを飲む。
ちょっと胃が痛い。

2006年12月6日水曜日

角砂糖と脱脂綿

自転車で派手に転んで怪我をした僕を家に招きいれたその人は、コーヒーを沸かしはじめた。
膝や肘、あちこちから血を滲ませたまま、僕はソファーでその様子を見ていた。
怪我を消毒してくれる気配はない。鼻唄をうたいながら、のんびりコーヒーの支度をしている。

出来上がったコーヒーは二つのカップと一つの小さなボールに注がれた。
角砂糖と、脱脂綿が運ばれてきた。
そして、ボールに入ったコーヒーに脱脂綿を浸した。コーヒーで、その人は僕のキズを洗いはじめたのだ。
不思議と染みなかった。じんわりと温かく、撫でられているようだった。
ピンセットを持つ長い指をぼんやりと見ながら、僕はコーヒー消毒に身を任せていた。

あの人は本物の魔女だったのかもしれない。
怪我は翌朝起きると、かさぶたさえ残っていなかったから。

憧れのブラック

カラスがコーヒーを飲んでいた。車止めに腰掛けるように留まっている。白いカップが眩しい。
その姿が渋く決まっていたので、かなり妬けた。
僕はもうすぐ高校生なのに、コーヒーにはたっぷり牛乳と砂糖を入れないと飲めないから。

2006年12月4日月曜日

滲む味

そのまま、続けて。
裸でソファーにもたれカフェオレを飲む私を、彼は執拗に舐めまわす。
カフェオレを飲んでいる最中の私は、カフェオレの味がするというのだ。
ジュースやココアやカクテルでも試したのだけれど、ただ「私の味」がするだけだという。
カフェオレだけが、私の肌や粘液を通過してしまうのかしら。
それにしても、いちいちカフェオレを飲ませるなんて「私の味」が不味いと言われているようで、ちょっと癪。
あぁ、もっとカフェオレを飲みたい。でも、立ち上がれない。
空のカップを持つ手に力が入る。

2006年12月3日日曜日

夢、破れる

「珈琲ノ瀧」という滝に行くのが、長年の希望だった。
しかし、どこにあるのか、とんとわからぬ。
各地の図書館で、文献を調べること三十数年。
ようやく珈琲ノ瀧の在りかを見つけたのだ!
私はすっかり年を取ってしまった。だが、幸い足はまだ動く。

珈琲ノ滝は、草原に唐突にあるのだった。
天からコーヒーが注がれているような光景である。
湯気が立ち込め、コーヒーの香りが辺りに漂う。
私は、愛用のコーヒーカップを持ち、滝壷に入っていった。長靴越しにコーヒーの熱さを感じる。
滝の流れにカップを差し出すと、コーヒーカップは強い水圧で粉々に砕け散ってしまった。

2006年12月1日金曜日

今夜は眠れない

コーヒーの中は温かく、目が冴えているような、まどろんでいるような、不思議な感覚だ。
彼が「今日はコーヒー風呂にしたよ」と言った時には、冗談だと思った。
バスルームを開け、濃厚なコーヒーの香りと焦げ茶色の湯を見た時には、何の罰ゲームなのかと思った。
足を付けるのをずいぶんためらったけれど
師走の夜、一度裸になったのに湯に入らないのは辛い。
わたしは諦めてコーヒーに身を浸したのだった。
こんなにコーヒーの香りを全身に纏って、今夜は眠れないかもしれない。彼はどうするつもりだろう?

2006年11月30日木曜日

クマの手

昨日はクマが来た。
はちみつたっぷりのコーヒーが好きだと聞いて
キリマンジャロとアカシアのはちみつとクッキーを用意した。
クマは、とても喜んだ。私も嬉しかった。
クマをもてなすのは初めてだから、ちょっと心配だったのだ。
ただひとつ失敗だったのは、大きくて丈夫なストローを準備していなかったこと。
家にはたくさんストローがあったけれど、どれもクマには小さすぎたし、柔らか過ぎた。
クマははちみつ入りコーヒーを飲むのに36本もストローを使ったのだ。

2006年11月28日火曜日

ブラックコーヒーに落とし物

「それ、飲ませて」
私の飲んでいたコーヒーを少年は指差した。
「いいけど、これ苦いよ」
私はブラックが好みだ。しかも冷めたのが。
「わかってる」
少年はコーヒーををゴクゴクと飲み、いかにも苦い顔をした。
「ほら、見ろ。苦かったろ」
顔とは裏腹に、戻っていく少年の足取りは軽く、背中はどこか堂々としていた。
返ってきたコーヒーは、甘い桃の香りがした。

切り傷

冷たい風が、頬を切る。でも私は歩くことしかできなかった。
コートの襟をぐいと合わせて、ただ歩いた。
コーヒーが飲みたいな。
頭の中で呟いたつもりだったのに、大きな声で言っていた。
「じゃあ、喫茶店に入ろう」
と強引に喫茶店へ連れ込まれた。この人は、たぶん私の頬を傷つけた北風だ。あんなに冷たい風が吹いていたのに、窓の外は穏やかに晴れているもの。
ゆっくりコーヒーを飲む北風氏の指に触れてみたかったけれど、指を絡めたらきっと私の指はまた血だらけになってしまう。
だから歩いていたのに。何度傷つけられたら気が済むのだろう。

2006年11月24日金曜日

拝み倒す

大学イモが食べたいなあ。腹が減っては勉強はできぬ。
サツマイモはあるはずだ。でも、どうやって大学イモを作るのか、オレにはさっぱりわからない。
台所から皿とサツマイモを持ってきて、勉強机に載せた。
洗ってもいないサツマイモが載った皿に、手を合わせた。
「大学行きたい。大学イモ食いたい。大学行きたい。大学イモ食いたい。大学行きたい。」
何回も唱えるうちに頭がボーとしてくる。そもそも腹が減り過ぎているのだ。
「大学イモ行きたい。大学食べたい」
目を開けるとサツマイモが悩んでいた。

2006年11月22日水曜日

悪いシナリオ

さくらんぼの種を飲んでしまった、と青い顔で友人がやってきた。
「ヘソからさくらんぼの木でも出てきたら、教えろよ」
と冗談めかして言ったら、「それくらいで済むならいいが」とますます落ち込んでいる。
数か月後、彼は身体中の毛の一本一本にさくらんぼをぶら下げていた。

2006年11月21日火曜日

幻滅

朝起きると床に苺が生えていた。
仕方ないから裸足で踏み潰して歩く。
訪ねて来た男は狂喜した。そういえば、こいつは苺が好きだった。
男は私が歩く後を這って付いてくる。
砂糖を撒き、床の苺を犬食いする。
「だって勿体ないじゃないか。食べ物は大切にしなくちゃ」
赤くべとべとした口で諭すようなことを言うな。

2006年11月20日月曜日

だれにも見えない

 だんだんと沈みゆく夕日に照らされて、塔はアスファルトに影を落とした。 夕日が沈むのと速度を合わせて、塔の影は伸びていく。ぐんぐん伸びて、耳が生え、しっぽが生え、とうとう塔の影は巨大な猫になった。
 でもそれは、ほんの一瞬のこと。猫だと気づかれる間もなく日は沈みきって、影猫は消えてしまう。
 だれにも見えない、大きな塔と大きな影猫のお話。


++++++++++++++++++
「夕やけだんだん」点字物語2006、出品 天の尺賞&高杉賞受賞
地域雑誌「谷中根津千駄木」86号掲載
イベント「超短編の世界」2008.12.14朗読作


この作品は、視覚障害のある方が点字で音読することを前提に書き下ろしたものです。



料亭

吸い物に三ツ葉が浮かんでいる。
三ツ葉の上には小さな小さなカエルがいる。
カエルは三ツ葉の香りが苦手らしく、渋い顔をしていた。
吸い物は残らずいただいた。

2006年11月17日金曜日

残り香

彼がまぼろしだとしたら、どうする?
大葉の香りは、私をいつも不安にさせる。
大好きだから、好きになればなるほど、彼はまぼろしの存在で本当はどこにもいないんじゃないか、という妄想に取り付かれる。
三日前のキスの感触も、昨日の夜のメールもちゃんと残っているのに、それもすべてまぼろしに思えてくる。
刻んだ大葉を中華鍋に入れると、鍋の中は空っぽになった。
大葉の香りだけが、台所に充ちている。

2006年11月15日水曜日

俯く理由

鼻に人参を生やしていたら、家に帰れない。母さんに何言われるだろう。
僕は近所の公園のベンチで顔を覆って途方に暮れていた。
「どうしたの?」
お向かいの四歳年上のミサちゃんが声を掛けてくれたら、なおさら顔を上げられない。
「ねえ、顔あげて……食べてあげるから」
思いがけない申し出に、僕は思わず顔を上げてしまった。
ミサちゃんは何も聞かなかった。黙々と僕の鼻に生えた人参を食べていた。
僕は少しづつ近付いてくるミサちゃんの形のいい鼻を見ていた。
僕の眉間にミサちゃんの鼻が触れたのと同時に、鼻の穴と穴の間をペロっと舐められた。
「帰ろうか」
人参はなくなったけど、僕はまた顔が上げられない。

2006年11月14日火曜日

そらもよう

そら豆を茹でていると、鼻をヒクヒクさせながらウサギがやってきた。
「そら豆の正体を知っているか?」
とウサギが言う。
「正体って……さやが空に向かって伸びるんじゃなかったっけ?」
フフンとウサギは鼻で笑う。
「そら豆は宇宙だ。命はそら豆に還る」
そう言ってウサギは茹で上がったばかりのそら豆の皮を向き、噛って見せた。
そこには、小さな闇があった。
「覗き過ぎと吸い込まれるぞ」
言うが早いが、蝿が一匹、そら豆に消えた。

EVER DARK

アサツキを朝噛ったら月が褪せ、夜噛ったら朝が尽きた。
まあ、いいか。温かいココアとベッドがあるもの。

2006年11月12日日曜日

みそ汁

茗荷の味みたいな恋だったなぁ。
と八百屋のおじさんは奥さんをチラリと見遣って呟いたのでした。
わたしは茗荷を買って帰りみそ汁にして、八百屋のおじさんの恋に思いを巡らせました。

2006年11月10日金曜日

お嬢さん、お逃げなさい

「そんなに焦って食わなくともよいではないか」
友人は鼻息荒く両手に一本ずつバナナを持ち、交互に食べていた。
「ここに来る途中、若い娘に会ったから、歌ったよ。『お嬢さんお逃げなさい』って」
そのお嬢さんに彼の歌はなんと聞こえただろう。
必死の形相でハナナに食らいつく友人の姿が哀しい。
もうすぐ冬眠の季節だ。

2006年11月9日木曜日

愚か者

落ちた柿をからすが突いている。
「おい、からす。旨そうだなぁ」
「なんだ、人間。お前の林檎と取り替えてやろうか」
歯型の着いた林檎と嘴が突いた柿を交換する。
からすの食いさしは、汚かった。
「なぁ、からす。やっぱりやめた……」
遅かった。からすはすっかり夢中で林檎を突いていた。
柿を庭に放ったら、すぐに別のからすがやって来た。
旨そうに突いているのを見て、放るんじゃなかったと悔やんだ。

2006年11月7日火曜日

甘い汁

彼女は噛り付いた桃の汁をボタボタと滴らせている。
彼女の口から垂れた汁は、ギョッとするほどの青で、それを見ると彼女が人形であることを突き付けられる。
テーブルに溜まった青い桃の汁を指に付けて舐めると、桃の味の中にいつもの彼女の唾液の味がする。
早く桃を食べてしまえ。

2006年11月6日月曜日

補色

キウイの緑は鮮やかで眩しかったけれど、口紅を塗ったあの娘の唇が近づいたら、引き立て役にしかならなかった。

2006年11月4日土曜日

あらくれもんのあさ

レモンはすっぱい。それだけのことだ。
と俺は独りごちた。冷蔵庫にはレモンが一つ。ほかには何もない。
昨日、冷蔵庫は空だった。買い物には行っていない。
あの女か……。
俺はまた独り言をいう。名前も知らない女が置いて行ったレモンを口にするのは不気味だったが、俺は腹が減っていた。曲がりなりにも食品であるレモン、それは捨てることができないほどに腹が減っていた。
レモンは、甘すぎて涙が出た。

2006年11月3日金曜日

匂宮になるために

ようやく黄色く色づきはじめたカリンの実をもいで、匂いを確かめる。僕は、その場で服を脱いだ。寒いなんて言っている場合じゃない。
カリンの実を、少し粟立つ身体にこすりつけていく。首、脇、膝のうら、みぞおち、鼻のまわりにも。
彼女はうっとりと喜んでくれるはずだ。
でも、僕は不満で仕方ない。カリンの香りがしないと彼女は僕の胸に飛び込んでこない。
だから僕は毎年、カリンが色づくのをそわそわと、少しの苛立ちを抱えながら、指をくわえて待っているのだ。

2006年11月1日水曜日

鍋奉行

「まさか春菊に限って」
わたしは頭を抱えた。
春菊と夫は、鍋の具を入れる順序やタイミングで喧嘩をしていた。
「わたしはまだ鍋に入るべきではない。時期尚早である」
と春菊は言った。
「鍋奉行に逆らう気か! どうせオレに食べられる運命なのだ。おとなしくしろ」
夫はやや興奮気味に言った。夫が鍋の具とやり合うのは、これが初めてではない。しらたきや白菜とは何度も言い争いをしている。だが、どんな騒ぎになっても春菊だけはいつでも沈黙していたのだ。
「いいえ、いけません」
春菊はきっぱりと言った。
大騒ぎになるのに夫は鍋が好物で、私はこの楽しくない食事に困っている。ちっともおいしくない。
夫は歯向かう春菊に向かってまくし立てながらも箸を休めない。
「あ、頃合いになった」
春菊は、自ら鍋に入った。
威勢よく文句を言い続けていた夫は、呆気ない結末にぽかんとしている。
私は久しぶりに春菊をおいしくいただいた。

2006年10月31日火曜日

忍者の憎まれ口

肉感的な大蒜が仁和寺で妊娠した。

2006年10月29日日曜日

恋知らず

生姜をすりおろす。
生姜の汁を耳に注すために。
彼の声が聞こえなくなるように。
耳を悪くしたいわけじゃない。
彼の声がずっと聞こえている。彼は今ここにはいないのに、彼の声でどうにかなってしまいそうになる。
生姜汁で、聞こえなくなるかわからないけど
冷蔵庫には生姜しか入っていなかったから。

2006年10月28日土曜日

至れり、尽くせり

家中、イタルトコロに苺がなるようになった。
本棚、炊飯器、蛍光灯、時計……。
私は見つけた苺をもいで、その場で食べた。便器になった苺も構わず食べた。苺が好物なのだ。しあわせだった。
だが苺は一か月もすると数が激減した。数日に一個食べられればいいほうだ。
あんなに毎日たくさんなっていた苺だのに。何がいけないのだろう?気温?肥料?
そもそも根も葉も無いのに突然実を付け始めた苺だ、何もわからないのだ。
それでも私はいてもたってもいられず、園芸用品店で大量の肥料を買ってきて、家中に撒きはじめた。

2006年10月27日金曜日

日記

巨峰の皮を剥いたら、売れない詩人がフルーツタルトを食べていた。

2006年10月25日水曜日

見渡す白菜

白菜を買って家に帰る。
家に着くなり「眼鏡、眼鏡」と白菜が騒ぐので、母の老眼鏡を乗せたら「違う! オレはそんなにトシじゃない」と言うから仕方なく私は掛けていた眼鏡を白菜に貸した。
「あーよく見える」
私は見えない。
「さて、オレは鍋にでもなるのかね?」
そうだ、と応えると白菜は満足げに頷き、鍋になる前に高いところにあがりたいという。
脚立のてっぺんに鎮座した白菜は、感慨深そうだ。
そろそろ眼鏡を返して欲しい。

2006年10月24日火曜日

ひそひそ話

双子のさくらんぼが内緒話をしている。
でも声が小さすぎて聞こえない。
二ついっぺんに頬ばると、話が聞こえてきた。
明日の天気と隣のおばさんの噂話。

2006年10月23日月曜日

キャベツを食べ損ねたレオナルド・ションヴォリ氏

レオナルド・ションヴォリ氏がキャベツにフォークを突き刺して丸噛りしていると、その音を聞き付けて夥しい青虫がやってきた。
ションヴォリ氏が青虫の数を数えている間に、キャベツは全て青虫たちが平らげてしまった。

2006年10月21日土曜日

愚痴り合い

でかいゴボウがやってきて「きんぴらにしてくれ」という。
手に余るくらいの太さのゴボウで、いくらやってもささがきが終わらない。
「飽きてきた。疲れた。お前さんはきんぴらには不向きなのだ」
と言ったらさめざめと泣く。
丼に三杯もささがきのゴボウが出来たが、まだ終わらない。
そろそろ出て行ってくれないだろうか。

2006年10月19日木曜日

秋の空

ザルに干してあった切り干し大根が、不意の大風で飛んでいった。
秋の青空に舞い上がる切り干し大根、すぐに落ちてくるかと思ったら、どんどん飛ばされ流れていく。
追い掛けていくと縁側でひなたぼっこしている赤ちゃんの口に切り干し大根たちは飛びこんでいった。

2006年10月18日水曜日

まぼろしのブロッコリー

ブロッコリー山に登ったから、と隣のおばあさんに大量のブロッコリーをもらった。
あまりの量のブロッコリーを前に頭を抱えていると
何を嗅ぎ付けたか、ウサギがやってきてブロッコリーをわけてくれという。
好きなだけ持っていきな、と言うとウサギは大きな風呂敷を広げた。
結局、ウサギはほんの一欠けらだけ残して全部持っていった。
残った一欠けらを茹でて食べたら、とても旨かったので、ウサギにくれてやったことを後悔した。
隣のおばあさんにブロッコリー山の場所を聞きにいったが、ブロッコリー山のことも私にブロッコリーをくれたことも覚えていないという。

2006年10月17日火曜日

商売あがったり

焼き芋屋のおじさんが嘆いているので訳を聞いてみる。
「ジッポンにイッピキくらいの割合でサ」
なんのことやら、と思っていたら
サツマイモにそっくりなモツサマイマイというナメクジが出てくるのだった。

パセリ漏れ

台所仕事をしていると、天井からパセリのみじん切りがハラハラと落ちてきた。
「またか」
溜め息をつきながらも、ちょっとにやけている自分に気付く。
上の階に行ってチャイムを押す。返事も待たずにドアを開けて中に入る。途端にパセリの香りが強く鼻孔を刺激する。
「すいませーん! パセリが漏れてますよ~」
台所ではパセリのみじん切りに埋もれた酒井さんがいた。
わたしは、パセリ塗れの酒井さんを見るのが好きだ。
そして、しょげている酒井さんをパタパタと叩いてパセリを落とすのも好きだ。

2006年10月13日金曜日

矢印

とぼとぼと歩いているとフライドポテトが道に落ちているのに気がついた。落ちているというより置いてあると言ったほうがよいか。

僕は矢印に従おうと歩き出した。
一度振り返ると、矢印を犬が拾って食べている。
僕は近くのハンバーガーショップでフライドポテトを買い、矢印があった所に戻った。
慎重にポテトを選び、↑を作る。
僕は満ち足りた気分で家に帰った。

2006年10月12日木曜日

Apple in the sun

林檎が猫の上で気持ち良さそうに昼寝しているから、わたしもそっと屋根にのぼって寝転がった。
猫はチラと薄目を開けたけど、林檎は気がつかなかったみたい。
鰯雲がおいしそうだったから捕まえた。
後で焼いて猫と一緒に食べよう。
デザートは焼き林檎で。

2006年10月11日水曜日

ふかふかのかぶ

隣のおばあさんが、かぶを手で揉んだり握ったりしている。
滑らかなかぶはシワシワの手の中で、珠のように弾んでいる。
私はお腹を鳴らしながら、それを見ている。
しっかり揉まれたかぶは、すっかりテンテンが取れ、ふかふかになり食べ頃になった。
ふはふはしながら一口噛ると塩が利いて旨かった。

2006年10月10日火曜日

別れの日の記憶

「このセロリ、スジが残るな」
と言ってあなたが残したセロリの繊維は、薬指に結び付けた。
セロリと血の通わない薬指は次第に黒ずんでいったけれど、セロリの匂いはますます濃厚に、鮮烈に漂った。
何日かしてセロリは指からなくなったけれども
あなたが去ったあの日あの時あの瞬間の匂いは、しっかりと薬指に染み込んだ。

2006年10月8日日曜日

夜道は危険

茄子は夜の散歩が好きである。
その色ゆえ滅多に人に気付かれることはないが、運悪く忍者に見つかり音もなく切られる事件が時として起こる。
切られた茄子は忍者に連行され、多くの場合、味噌汁の具になる。

2006年10月6日金曜日

後引くおいしさ

もやしを鼻から吸い込んでいるおじいさんを見た。
スナック菓子でも食べるように、次から次へともやしを鼻に運んでいる。
スルッと吸い込まれたもやしはピクピク動く鼻に合わせてしゃくしゃく音を出す。
右の鼻の穴、左の鼻の穴。

 仕切りのある小さな箱に、これまた小さな毛糸玉が二つ入っている。ひとつは茜色の毛糸、もうひとつは藍色の毛糸。
 子猫が箱に近づいて二つの毛糸玉にちょっかいを出すと、それを待っていたかのように二色の毛糸はゆらゆらと立ち昇った。茜と藍は絡み合い、縺れ合い、ほんの一瞬靴下になりかけるが、すぐに解けてへなへなと箱の中に落ちた。
 子猫が箱を覗くと、もはや色は抜け薄汚れた羊毛の僅かなかたまりが二つあるだけ。しばらく小さな羊毛たちをつついていたが、満月に照らされた山の風に呼ばれると子猫は消えるように去った。

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MSGP2006 エクストラマッチ参加作品

2006年10月4日水曜日

何でもありの実

午後七時「梨が食べたい」と蟻がやってきた。
ともかく蟻を居間へ通し(踏み潰さないかと冷や冷やした)梨を出した。
一体どうやって梨を食べるのかと思っていると蟻は小さなストローを梨に突き刺してチウチウと吸いはじめた。
蟻の吸引力は強く、六時間後には梨はカスカスになっていた。
とはいえ、六時間も蟻が梨を吸う様子を夢中で見ていた私は、食事をするのも忘れ、すっかり寝不足だ。

2006年10月3日火曜日

滴るピーマン

白い皿にのったピーマンにそっと指を這わせていると、つやつやとした表面は萎びてきた。
それでも構わず指で撫でる。上から下へ、凹凸を確かめながら。
次第にピーマンは震えだし、ヒビが入り、中から汁が滲み出してきた。
私はその汁を吸うために、ヒビに口付ける。
このやり方でなければ、私はピーマンを食べることができないのだ。

Snapdragon

ハロウィンをするのでカボチャが欲しいとクマが言う。
煮物にするはずだったカボチャを背負わせた。
ハロウィンをするのでカボチャが欲しいとウサギが言う。
ランタンにするはずだった小さなカボチャを背負わせた。
ハロウィンをするのでカボチャが欲しいとリスが言う。
花屋で買った小さな小さなペポカボチャを背負わせた。
明日は干しブドウを買いに行かなくては。

スナップドラゴンはハロウィンの時にやるゲームです。

2006年9月29日金曜日

ネギヒゲ

ヒゲを失くした猫が「ヒゲ作れ。ヒゲがない。ヒゲがないのは不便だ。ヒゲ作れ」とうるさい。
思案したが猫のヒゲの作り方などわかるわけもなく、ぐずぐずしていたら長ネギが目に入った。
私は丁寧に極細の白髪ネギを作った。
出来上がった白髪ネギを猫に渡すと、器用に頬に付け、満足そうに帰っていった。

2006年9月28日木曜日

白い疼き

大根おろしを作っていると、きまって足の裏が疼く。
「タマネギを切ると涙が出るようなもんだと思うの」
と友人たちに語っては、笑われたり呆れられたりした。
実際、抑えようにも抑えられない反応なのだ。ごく当然のように、足の裏が疼く。
足の疼きの中に快感を見出だしたのは、数年前からである。
はじめは小さなものであったが、段々とはっきりし、やがて私は快楽のために大根をおろすようになった。
大根おろしは秘め事になり、大根おろしで足の裏が疼くと周囲におもしろおかしく語ることもしない。
夜な夜な大根をおろすだけ。

2006年9月26日火曜日

Colorful Rabbit

ルバーブのジャムを作った。赤、黄、緑の三色のジャムができる。
三色ジャムを近所のウサギに持っていってやる。
翌日見掛けたウサギは、耳が赤くなっていた。その次の日には尻尾が緑になり、三日目には黄色い前足をしていた。
「ごちそうさまでした。本当においしかった」
とウサギは律義に礼を言いに来た。
「言われなくても、わかるよ」
と言うとウサギは身体を見渡し頬を赤らめた。

2006年9月25日月曜日

蓮根のしるし

八百屋に並ぶ前に蓮根は身体の切り口に朱肉を付け、紙に体当たりする。
蓮根ID、それがどのように使われるのか、蓮根にはわからないが、たしかに生きた証と感じる。

2006年9月23日土曜日

玉葱魔術

玉葱を切った時に流した涙が、ようやく10ml溜まった。
ビーカーを見つめて、うふふふ、とわざとらしく笑う。
わたしは伸ばしていた左手の小指の爪を切り素早くビーカーに入れた。
涙の中に落ちた爪は、「じゅ」と少し泡立った。
しばらくすれば、芽が出て花が咲いて、実ができるはずだ。実は、すなわちわたしの分身。
分身を養うのは大変らしい。「分身」は玉葱しか食べない。それも大量の。
でも、たぶん大丈夫。分身のために土地を買い、玉葱畑を作って備えてきたのだから。

2006年9月21日木曜日

Moonshadow Carrot

次の満月の夜、ニンジンが会合を開くという。
いかがわしい集まりかと思ったが「お月見だ」そうだ。
丘の上にはニンジンが巨大な籠に積み上がっている。
満月に照らされてツヤツヤと輝いている。うまそうだ。
気付くとよだれを垂らしているのは私だけではなかった。
すぐ横で馬がうっとりとニンジンの山を見つめている。

旅するレタス

レタスが旅に出た。
残念ながら足は生えなかったので転がって行くことにした。
レタスにアスファルトはいけなかった。
転がって、傷ついて葉は剥がれ、レタスは消えた。

2006年9月20日水曜日

巨峰の目玉

彼は仕上げに目玉を入れてくれた。眼窩にキスをされたと思ったらちゅるん、と目玉が入ってきた。はじめに右目、そして左目。甘い汁と彼の唾液がわたしの涙となって頬を伝う。

2006年9月18日月曜日

血まみれ胡瓜

「はい」
畑に行ってきた少女に胡瓜を差し出されて驚いた。血まみれなのだ、胡瓜が。
「ちょっと、なんだこれ。手ぇ見せて」
彼女の手は胡瓜を握りしめすぎていくつも傷が付いていた。
「きゅうり、新鮮だったから、痛かった」
胡瓜はそんなに握りしめるもんじゃない、と言いながら
手の傷と比例しない血まみれ具合の胡瓜を不信に思った。
少女がこちらをうっとりと見ている。
オレはそのまま洗いもせず胡瓜を噛った。

2006年9月17日日曜日

香ばしい踊り

焼きとうもろこしの香りにつられて、祭に出かけた。
早速、お目当てのとうもろこしを買い、噛り付こうとしたその瞬間、とうもろこしが一粒づつみんな飛び出して行ってしまった。
とうもろこし達は、ぴょんぴょん跳ねながら盆踊りの輪に加わった。
うまく音頭に合わせて跳ねている。なかなか楽しそうだ。
しばらくとうもろこしの踊りを見物していたが、
まだ一口も食べていないのに芯だけになったとうもろこしを手にしていることを思い出し、どうしていいかわからなくなった。

2006年9月16日土曜日

キスの味

叔父はトマトをコップの上で握り潰した。
大きな手からぼたぼたと落ちるトマトの汁は、私の股間から未だ溢れ出る血を意識させる。
叔父は塩を降ってコップを私に差し出す。
「トマトジュースだ、飲みな」
とてもジュースには思えないそれは、予想外においしかったが
ほんのり血の味がするのは、さっきの激しいキスでどこか口の中を切ったからだろう。

2006年9月13日水曜日

赤鉛筆が欲しかったレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ子供だった頃、赤鉛筆は郵便配達人しか持っていなかった。
郵便配達人もトマトの収穫時期を消防士に報せる時にしか使わなかったので、赤鉛筆は非常に珍しかった。
ションヴォリ氏は郵便配達人を見掛ける度に捕まえて「赤鉛筆を頂戴」と言ったが、いつも断られていた。
116人目の郵便配達人はションヴォリ氏に問うた。
「きみは、赤鉛筆を何に使うのだ?」
「ほっほーい!イチゴの収穫時期を報せるため」
「よいだろう」
こうしてレオナルド・ションヴォリ氏は赤鉛筆を手に入れた。

2006年9月12日火曜日

雪だるまの天敵、レオナルド・ションヴォリ氏

昔むかし、レオナルド・ションヴォリ氏が初老だったころ、冷蔵庫は雪だるまの夏の家だった。
暑がりのションヴォリ氏はしょっちゅう雪だるまの家に押しかけるので、迷惑がられた。
なにしろ汗をかきかき狭い冷蔵庫に入ってくるレオナルド・ションヴォリ氏のおかげで、さすがの冷蔵庫の温度も上がり、雪だるまは命の危険を感じていたのである。
半分くらいに身体が縮んだ雪だるまに構わず、レオナルド・ションヴォリ氏は冷蔵庫の中で熱いココアを飲むのが大好きだった。

2006年9月11日月曜日

ゾウを鼻で使うレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔レオナルド・ションヴォリ氏がまだ子供だったころ、ゾウの鼻はまだそんなに長くはなかった。長くても、せいぜいで顎の辺りまでであった。
ゾウと遊ぶ時、ションヴォリ氏その少し長めの鼻を引っ張り、連れて歩いた。
ゾウがどれだけ嫌がり踏ん張ってもションヴォリ氏は構わず引っ張る。
ゾウが世代を重ねるごとに鼻は長くなっていく。
ゾウの鼻について、レオナルド・ションヴォリ氏は「ずいぶん持ちやすくなったな」くらいにしか思っていない。

2006年9月9日土曜日

遠い世界を覗いたレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔、レオナルド・ションヴォリ氏が思春期だったころ、ションヴォリ氏は望遠鏡が欲しかった。
望遠鏡を覗くと、望みの遠い世界を見ることができると言われた。
レオナルド・ションヴォリ氏と言えども、若い時分には遠くの世界への憧れがあったのだ。
ある日、偶然望遠鏡を手にした彼は早速それを覗いた。
その中には、今と変わらぬ部屋の中で、ヨボヨボで元気のありあまった老人がいた。
それが遠すぎる未来世界の自分だと、ションヴォリ氏は知らない。

2006年9月7日木曜日

スフィンクスを困らせるレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔レオナルド・ションヴォリ氏がまだ子供だったころ、スフィンクスは世界旅行の最中だった。
ションヴォリ氏はスフィンクスに「ニッポリ」に行く道を聞かれたが、わからなかったので、家に招きお茶を出し、四時間も喋った。
レオナルド・ションヴォリ氏は未だに「ニッポリ」へ行ったことがない。

2006年9月6日水曜日

毒が通じないレオナルド・ションヴォリ氏

昔むかし、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ初老だった頃、傘はコウモリの物だった。
雨が降ると人々はコウモリに頼んで傘に入れてもらわなければならなかった。
傘には蛇の目玉が欠かせないので、入れて貰ったお礼に蛇の目玉をコウモリに贈るのがマナーとされていた。
レオナルド・ションヴォリ氏がコウモリに贈る蛇の目玉は毒蛇のものばかりで、コウモリたちは大層喜んだ。

2006年9月4日月曜日

ビスケットをたくさん食べたいレオナルド・ションヴォリ氏

昔むかし、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ初老だった頃、ビスケットはポケットを叩いて作っていた。
初老のションヴォリ氏は、ビスケットをたくさん作ろうと、12個のポケットが付いた青色のスーツを作って大喜びしていたが
二つしかない手で12個もポケットは叩けないことに気付いた。
そこで近所の子供たちに頼んでビスケットを作ることにした。
大変素晴らしい思いつきだと喜んだのもつかの間、身体中が青あざだらけになった。
それ以来レオナルド・ションヴォリ氏はその12個のポケットが付いた青いスーツは着ていない。

2006年9月3日日曜日

月を食べるレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ子供だった頃、月はチーズで出来ていた。
どうしても月を食べてみたかったションヴォリ氏は、ネズミの羅文と四文に頼んで採って来てもらうことにした。
二匹のネズミが採ってきた月は小指の爪ほどしかなかったが、
それを食べたせいでションヴォリ氏と二匹のネズミが、とんでもなく長寿になってしまったことを、レオナルド・ションヴォリ氏はご存じない。

2006年9月2日土曜日

スズムシに鈴をやるレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ子供だったころ、スズムシは鳴くことができなかった。
スズムシに鈴を背負わせることは、子供の仕事だった。
ションヴォリ氏はスズムシを整列させて、一匹ずつ鈴を渡した。
「1539726…1539727…」
レオナルド・ションヴォリ氏が数を数えずにはいられないのは、スズムシと鈴のせいである。

2006年9月1日金曜日

空を泳ぐヒツジを捕まえるレオナルド・ションヴォリ氏

昔むかし、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ初老だった頃、空に浮かぶ雲はヒツジだった。
人々は秋になると、空を泳ぐヒツジ雲を捕まえ
その毛でセーターを編み、影は羊羹にして冬に備えた。
初老のレオナルド・ションヴォリ氏は、目敏く色付きのヒツジ雲を捕まえて緑や赤や青のセーターと緑や赤や青の羊羹をこしらえた。

2006年8月31日木曜日

大根も脱帽

ボタンのように小っちゃな顔したダッタンのおっさんは、見栄を張ってでっかいカツラをかぶる。
ご満悦なダッタンのおっさんは脱兎の如くダッシュした。

 
There was an Old Person of Dutton,
Whose head was as small as a button,
So, to make it look big,
He purchased a wig,
And rapidly rushed about Dutton.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』

2006年8月27日日曜日

お辞儀に怖じ気付く

チャートシーのとあるおばちゃまがおっしゃるところの「ちゃんとしたお辞儀」はちゃんちゃらおかしいのです。
超高速で回転し地面に沈下するおばちゃまを見たチャートシーの人々は、チャーハンも喉を通りません。

There was an Old Lady of Chertsey,
Who made a remarkable curtsey;
She twirled round and round,
Till she sunk underground,
Which distressed all the people of Chertsey.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年8月26日土曜日

七才の夏

「一人で林に入るな」というじぃちゃんの言い付けを破って、虫取り網を持って林に向かった。
林に入ると真夏の日差しはことごとく遮られ、寒気がするほど暗かった。
「尻の青い者よ、何しに来た」
振り向いても誰もいない。
「下だ。尻の青い者」
見ると、夥しい数の蟻が足を這っていた。膝上まで蟻で埋め尽くされた足を見て声にならない叫び声を上げると、林全体が震えた。
大量の甲虫がこちらに向かって飛んで来る。今朝方、捕れなかった甲虫を、もう一度探したくてここに入ったというのに。
「なんと間抜けな子供だ」と甲虫は嘲笑った。
「僕は甘くない」
掠れる声で辛うじて言うと蟻も甲虫も一斉に笑った。
「またとない馳走だよ、お前のように、のうのうと入ってくる子供は。どんな樹液より、甘露だ」
甲虫が低い声で言う。
「やめぃ」
と声がして目の前に大きな蜘蛛が現れた。袈裟を着た蜘蛛に蟻も甲虫も動きを止めた。
「この子は寿朗の孫だろう、堪忍してやりなさい」
来た道を戻るように、と蜘蛛の坊さんは言った。坊さんの八本の手はあちこちを指したから、来た道はそれきりわからなくなった。

2006年8月24日木曜日

ハヤシライスのプライド

プラハの老いぼれが流行り病を発病してふらふらしている。ハヤシライスを与えたら、早口言葉を喚いて逸り立った。これで早々と快復したプラハの老いぼれ。 


There was an Old Person of Prague,
Who was suddenly seized with the Plague;
But they gave his some butter,
Which caused him to mutter,
And cured that Old Person of Prague.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年8月22日火曜日

うまずたゆまず

髭爺さんが馬の尻に馬乗りすれば、馬は跳ね上がり爺さんは悲劇。
卑下する髭爺さんは「うまくいくさ、おまえの私利は尻上がり 」と尻を叩かれた。


There was an Old Man with a beard,
Who sat on a horse when he reared;
But they said, "Never mind!
You will fall off behind,
You propitious Old Man with a beard!"

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年8月21日月曜日

琴線に触れる金銭

キルケニーのジリ貧貴族は、きれぎれの金をタマネギとハチミツで消して上機嫌。
気儘なキルケニー貴族。

There was an Old Man of Kilkenny,
Who never had more than a penny;
He spent all that money,
In onions and honey,
That wayward Old Man of Kilkenny.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年8月19日土曜日

ふらりとフランスへ

コブレンツの年寄りは途方もなく長い足で堂々歩く。
トルコからフランスまでなら徒歩で一歩。
超越なコブレンツの年寄り。

There was an Old Man of Coblenz,
The length of whose legs was immense;
He went with one prance
From Turkey to France,
That surprising Old Man of Coblenz.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年8月18日金曜日

ひもじいライダー

財布の紐は固いくせに、褌の紐は瞬く間に解くライドの女。
のろまと痘痕に器用に跨がり、ライドの路地を今日も乗り回す。

There was a Young Lady of Ryde,
Whose shoe-strings were seldom untied.
She purchased some clogs,
And some small spotted dogs,
And frequently walked about Ryde.

エドワード・リア「ナンセンスの絵本」より

2006年8月14日月曜日

氷の世界

姫の歌は、声になる前にすべて凍りつき、氷の珠になって白い大地を転がった。
ぼくはどうしても姫の歌を聞きたくて、珠を拾って胸に抱いたけれど、それはぼくの想いでも体温でも溶かすことは出来ない。
姫は歌い、ぼくは歌を抱く。
何も聞こえない。

ドラキュラを歓迎するレオナルド・ションヴォリ氏

遥か昔、レオナルド・ションヴォリ氏がまだ子供だったころ、ニンニクはさほど臭くなかった。
ドラキュラがやってきた時、ションヴォリ氏はニンニクを176個使った料理でもてなした。
ドラキュラはそれ以来、ニンニクが嫌いである。

2006年8月13日日曜日

危険な卵

白と桃色の縞模様の卵がプールで泳いでいた。
卵の分際で水遊びか!ゆで卵にして懲らしめてやる。
ゆで卵になった縞卵を半分に切ると黄色と黒の縞模様の黄身で、とても食べる気にならなかった。

*縞*

2006年8月12日土曜日

これも縁

乗り上げたトラックに惚れてしまった環状77号線の縁石。
仕方がなくトボトボ歩いたのはトラックの運転手とトラックが運んでいた荷物。

*縁*

2006年8月10日木曜日

子供に捕まった月の話

午後九時、虫取り網を持った子供を見つけて月は声を掛ける。
「やい、子供。こんな時間に網なんぞ持ってどうするつもりだ」
子供は夜空を見上げて答える。
「お月さんを捕るんだ」
月は苦笑する。こんな子供に捕まっては堪らない。
「こんな網では月は捕まらない。月を捕まえるのは、事前の準備とコツがいる」
「おじさん、それ、全部教えて!」
月は、メモを取る子供に延々ニ時間質問攻めに合った。
おまけにジンジャーエールを二本も驕ったのだった。

*網*

2006年8月9日水曜日

夕焼けおすそ分け

夕焼け雨が降っている。何年振りだろうか。
大急ぎで白い木綿の布を持って外へ出た。
物干しに掛けて布を雨に当てる。
夕焼けが消える寸前に、布を引き上げ、絞った。
「あぁ…」
広げると夕焼けとまったく同じ茜色の布。私は夕食の仕度も忘れてうっとりと布を眺めた。

翌朝、すっかり乾いた布はもとの白い木綿に戻っていた。
そのまま畳んで箪笥のひきだしに仕舞う。次の夕焼け雨は、明日か十年後かわからないけど。

*綿*


2006年8月5日土曜日

迷い

縹色したリンゴ。毒リンゴみたい。
「確かに、これは毒リンゴだ」
あら、当たった。毒リンゴなんかどうするの?わたしに食べさせる気?
皮だけじゃなく、実まで縹色してる。
「綺麗だろう?」
リンゴじゃなければ。
「さぁ、お食べ。これが最後の食べものだ。」
でも、毒なんでしょう?私たち、この最後のリンゴを食べても食べなくても死んでしまうのね。
あ、蟹だ。

大きな蟹は縹色のリンゴを食べて、ますます大きくなると、満足そうにゲップをした。

*縹*

2006年8月4日金曜日

みみずの籠

みみずを編んで、籠を作る。そこに痩せた土を入れておくとみみずがせっせと食って出して、籠の中は黒いほくほくな土でいっぱいになる。といいのになぁ。
妄想しながら土地を耕す。みみず一匹出て来やしない。堆肥の匂いが強くなった。

*編*

2006年8月2日水曜日

製本

紙を針で突き破り、糸で繋ぎ合わせる。
単なる紙の束だったものが、本になる。傷をたくさん付けたのに、本になる。
本は饒舌だ。さっき本になったばかりのくせに、もう澄ました顔で語っている。
表紙を付けないうちは半人前だよ、と言い聞かせる。聞き分けは、あまりよくない。


*綴*

2006年7月31日月曜日

評論家だった死体

細かい刺繍が施された布が友人だった死体の顔に掛けてある。
「白い布じゃないんだな」
と言うと死体の妻は頷いた。
「死んでからも弁じ続けてたの。どうにか黙らせようと、口に綿を入れたり、首を絞めたりしたんだけど、この方法がいいと勧められて」
そっと刺繍布をめくると、死体の口から言葉が飛び出して来た。
もはやそれは友の声ではなく、体内に溜まっていた思考の残響だった。
まだまだ溢れてくる言葉を抑えつけるように布を掛けた。


*繍*

2006年7月30日日曜日

変化の過程

はじめに縮んだのは髪だった。予想通り天然パーマのようになった。新しい髪形を楽しむ余裕があった。
次に縮んだのは爪だった。爪の縮んだ指は見た目も異様で、物を掴みにくくなった。真っ赤なマニキュアを爪のない指先まで無理矢理塗った。
その後は膣だった。締まりがいいと喜ぶ輩がいたが、間もなくそんな呑気なことは言えなくなった。経血が出て来なくなったのである。伸びないそこに指を入れ、叫びながら血液を掻き出した。
それからは速かった。身体全体が縮めば、こちらのものだ。
こうして三ケ月かけて私は無事に妖精になった。

*縮*

2006年7月29日土曜日

雑巾を巡る旅

縫い目を見て、すぐに姉のものだとわかった。姉が縫った雑巾には筆跡のような曖昧だが確固たる特徴があった。
姉の雑巾は、いつの間にかあちこちで使われていた。どのような経緯で人様に渡ったのか今となってはわからないが、全国どこに行っても姉の雑巾を見つけた。汚れもよく落ち、丈夫で長持ちすると必ず言われる。誇らしげに教えてくださる雑巾の持ち主に、私は苦笑を隠せない。
実際長持ちするのだ、20年も使い続ける雑巾がどこにあるのか。
一針づつに失恋の痛みと怨みを込め続けた姉さん。あなたは一体いくつの恋をしてきたんだ?
五十ニ枚目の雑巾を手、天に問い掛ける。

*縫*

2006年7月27日木曜日

切れるもの

鼻緒が擦れて、血が滲んだ。下駄なんか履いて長い時間歩くからだ。歩かせるからだ。
「歩けん」
彼はしゃがみこんで、私の左足に顔を近づけた。
「血が出てる」
「だから歩けない。痛い」
本当はそれほど痛くなかった。負ぶってくれやしないかと、少し期待している。
だけど彼は、親指と人差し指の間をペロペロと舐めだした。
なんだか彼の頭を殴りたくなった。殴ってやろうかどうしようか、考えているうちに、足の傷はすっかり治ってしまった。
私の足が治ると、今度は下駄を舐めだした。切れた鼻緒もペロペロと舐めて、すっかり直してしまった。おまえの涎は何で出来ているのだ。
「汗と血の味がした」
ニヤリと笑う。今度こそ本気で殴りたい。

*緒*

2006年7月24日月曜日

夜に鳴く蝉

夜に鳴く蝉に縄を付け、引き廻す。
街灯たちは嘲笑う。
小便を垂れ流す蝉。
お前さんがチビるのを見たくて、街灯たちは偽りの明るさで誘惑してるのさ。知らなかったろう、気の毒だけど。
と呟いてみても、辱められた蝉には聞こえない。
僕は蝉にちょっぴり同情しながら、今夜も蝉を縄にかける。

*縄*

2006年7月22日土曜日

リボン

夜中にお菓子を食べたくなると、私はお菓子の箱にリボンを縛り付ける。封印。
そのためのリボンは買い溜めてある。すべて気に入って買ったものだ。

今日はクッキーが食べたい。クッキーの青い箱に映える黄色いリボンをきつく箱に縛り、結び目を整える。
がんじがらめにされたクッキーの箱を眺めて一時間。
私は結局、その緊縛を解く。クッキーを貧り食べた後に、今度は自分の喉の封印を試みる。

*縛*

2006年7月20日木曜日

雨を降らせに行く娘

晴れの日が続くと娘はフイと旅に出る。初めて出て行ったのは中学校に入って間もなくのことだった。
「雨が降らないから、ちょっと行ってくる」
どこに行くのか、いつ帰るのか、学校はどうするのか、誘拐されやしないか。引き留めも聞かずに呆気なく出て行った。一人娘が戯言を言ってリュックも背負わず出て行って、私はこれ以上ないくらいに動揺した。
雨が降った翌日には必ず帰ってくるとわかってからは、ずいぶん気楽に送り出せるようになった。
「ねぇ、どうやって雨を降らすの?」
と眠っている娘に聞いてみた。起きている時には絶対に教えてくれないから。
「雲を絞るんだ。雑巾みたいに」
そういえば、雨を降らせて帰ってきた娘の手のひらはいつも真っ赤だ。
今年の大掃除は、拭き掃除をやらせよう。

*絞*

2006年7月19日水曜日

天の綺羅

「綺羅星が邪魔なのよ」
と姫が言う。
夜空に輝く無数の星、美しいではありませんか。
「闇こそ美しいのよ!夜は闇でなければならない。綺羅星を制すにはどうしたらよいかしら」
姫は絹という絹を集め、途方もなく大きな薄織物作らせた。
「綺羅星を綺羅ですっかり包み取ります」
いってらっしゃいませ。
姫が天に旅立った後、ますます夜はキラキラと明るくなった。

*綺*

2006年7月18日火曜日

甘い糸

紺色の座布団に座ると、いつもむずむずとお腹がすく。
お尻の穴から舌が出てくるんじゃないかと思うくらいに身体の芯から腹が減るのだ。
チョコレートより羊羹が食べたい。
頭は羊羹で一杯になり、お尻はむずむずと座布団を舐めようとする。
「紺色だと思うからお腹が減るんだ。藍色だと思いなさい」とおばあちゃんが囁く。

*紺*

2006年7月14日金曜日

象の赤ん坊

それは更紗のスカートだった。
そのスカートを履いた途端、下腹部に違和感を覚えた。
スカートを突き破るように手を股に突っ込むと、ヌルヌルした物が手に触れた。
引っ張り出すと馬の赤ん坊だった。
スカートは破れていない。
十分も経たないうちにまた違和感を感じて、またスカートを突き破って手を入れた。
鯨の赤ん坊だった。
そうやって、羊とマントヒヒとキリンの赤ん坊が出て来たが、一番欲しかった象の赤ん坊は出て来なかった。

*紗*

2006年7月11日火曜日

鬱血

「大嫌いな人と離れられないためのおまじない」
と言って、彼女は紫の糸を小指にきつく巻いた。
血がとまり、指先が青白い。巻かれた糸に隠れた部分は、糸と同じような紫色になっていくだろうと想像した。
「結んで」
と言われて、僕は糸の端と端を持つ。冷たい小指に結び目を作った。片方の端は、まだ長い糸が残っている。
「じゃあ、あなたの番。私が結ぶから小指だして」
だんだんと小指が冷たくなってきた。

*結*

2006年7月10日月曜日

オダリスク

絵の中の娼婦は、ベッドの上で横になり、煽情的なポーズを繰り返している。
足を組み替え、羽根で乳房を撫で、熱い眼差しでこちらを見る。
それは確かに刺激的だったけれども、アングルの描いた絵では僕の好きな桃のような臀部が見えない。

*絵*

2006年7月8日土曜日

紋様の役目

右の肩甲骨の辺りに、雪輪紋の入れ墨があった。
入れ墨のある女の子は初めてで驚いたけれど、それはとても彼女に合っていた。
そっと舐めると、冷たい。本当に雪を舐めているみたいに。
あたためたくて舐め続けたら、彼女は溶けてしまった。

*紋*

2006年7月7日金曜日

彼女はいつもシルクの服を着ていたから、わたしは「おきぬさん」と呼んでいた。本当の名前は「千恵子」だった。
おきぬさんはずいぶん年寄りなのに、穏やかな顔をしているのを見たことがない。厳しくて鋭い顔、油断のない顔だった。わたしの周りにいた他のお年寄りたちは、もっと優しかったし温かかったのに。
「どうだい? この服いいだろう?絹で出来てるからね、上等で綺麗でしょう? あんたにわかるかねぇ」と服を自慢する時でさえ、おきぬさんの目付きは険しかった。
その理由がわかったのはおきぬさんが死んだ時だった。おきぬさんが息を引き取ると、寝間着はたちまち蚕になった。蚕がおきぬさんの身体を這い回っていた。
蚕は時間が経つごとに増えていき、火葬の時には棺の蓋が持ち上がるほどだった。
「おきぬさんはね、お洒落で絹を着ていたんだけど、蚕の命も一緒に着ていたんだよね。絹を着るのは辛いって一度だけ言ってたよ」
と、おきぬさんの姪にあたるという人が教えてくれた。
そこまでして絹を着続けたおきぬさんの気持ちを、わたしはまだわかりそうにない。

*絹*

2006年7月5日水曜日

イトコトバ

妹は話すのが極度に苦手な子供だった。ひとりで何時間も無言のまま人形遊びをするような子だった。
十二才の時、彼女は糸を紡ぐことを覚えた。
糸車を廻すと、妹は饒舌になった。
彼女は何も喋らない。糸車が喋るのだ。
糸車の助けを借りて初めて言葉を紡ぐことができりようになった妹は、どんどん糸を紡いだ。部屋は糸で一杯になったけれど、妹の気持ちがそのまま現れた糸は、売ることができない。太かったり細かったり、強かったり細かったり、品物にはならないのだ。
「お姉ちゃん。あのね、」
妹の糸車の声がして私は振り向く。
妹は糸と言葉を紡ぎ続ける。

*紡*

2006年7月4日火曜日

安らぎ

「剃刀を持ってないから」と姉さんは紙で手首にキズをつけた。
僅かに滲み出る血を、さっき刃物にした紙で吸い取った。
姉さんはそれを見ると、満足そうな顔で横になる。
僕は寝息をしばらく聞いた後、血を吸った紙を握って布団に潜る。
血をちょっと舐める。

*紙*

2006年7月3日月曜日

もつれる

「あ……もつれちゃった」
と少女が困った顔をする。糸が指に絡まっている。
「何をしてたの?」
「赤い糸と青い糸を混ぜて、青い糸と黄色い糸を混ぜて……」
「紫や緑にしたかったんだね?」
糸たちは、少女の企みをよく承知していた。
勇んでお互いを馴染ませようとしたものだから、もつれ合い、どす黒くなった。
「解いてやろうか?」
糸は僕の言葉に拒絶して、ますますきつくもつれた。少女の指に血が滲む。

*糸*

2006年7月2日日曜日

深い川

フローライトの結晶の中に川が流れている。流れの速い深い川。
僕はじっとそれを見ていた。
水の音が聞こえる。瞬きすると覗いていた川が目の前を流れていた。ここは、一瞬前には、手に持っていた結晶の、中だ。
結晶を持っていた左手には、何もない。
「外から見てたでしょ?」淡いピンクの女の子がいた。
ここが結晶の中だと、確信せざるを得ない。
「この川に見とれていたんだ。力強くてカッコイイ」
「じゃあ、川に入れば」
ピンクの女の子は僕の背中を押した。
瞬きをすると、僕は右手にフローライトを握っていた。
覗いても川はもう流れていない。

2006年6月30日金曜日

黒猫が指輪を食べた話

黒猫の瞳は緑色だ。
だが、生まれた時からそんな色をしていたわけではない。元々はくすんだグレーの目をしていた。
黒猫がまだ子供の時、指輪を見つけた。大きなエメラルドがついていた。
黒猫は、エメラルドが気に入った。自分に似合うだろうと思った。
「それで、飲みこんじゃったの? ヌバタマ」
少女は驚き呆れる。
〔おいしかった。キナリも食べるといい〕
黒猫の瞳を緑色に変えたエメラルドの指輪は今、少女のポケットに入っている。

2006年6月27日火曜日

サンストーン

「痛!」
頭に落ちたのは、小さなオレンジがかった色の石だった。
どこから落ちたのかと見上げると
太陽がベソをかいていた。

2006年6月26日月曜日

雪模様

雪の晩、旅の黒曜石氏が訪ねて来た。
「一晩泊めてくださいな」
寒かっただろう、ゆっくりしていきなさいと招き入れた。
頭や肩に雪を積もらせていたから、風呂に入るように勧め、茶漬けとポテトチップスを用意して、私は寝た。
翌朝、少し遅く起きた黒曜石氏は、体に雪模様が残っていた。
「風呂に入っても取れなかったんです。役所に行って来なくては……戸籍をスノーフレーク・オブディシアンに変える手続きをしてきます」

2006年6月24日土曜日

透明な世界

水晶の中は心地いい。
光は明るく輝き、水はどこまでも透明だ。
水晶の中で暮らしはじめてどれくらいだろうか。
クォーツ時計は、元いた世界よりゆっくり回る。
心まで透明になるから、一日は長い。
仕事は水晶を採ること。家も食べ物も水晶だ。
最近はロボットが水晶採掘をすることも多いから、のんびり喋っているだけ、とも言える。
たまに外の世界を眺めようとするけれど、光が眩しすぎてよく見えない。

2006年6月23日金曜日

目覚め

夢の中で孔雀がくれた石の名前は「クリソコラ」と言うらしい。
手の中の緑色の石と本の写真を何度も見比べた。
きっとこれだ。
図書館は涼しくて、静かだ。
朝起きたら僕は孔雀の羽根と同じ色の石を握りしめていた。
その石を持って、僕は二か月ぶりに外に出た。
石も綺麗だけど、空も綺麗だ。
石は夢の中の孔雀がフンとして出してくれた。
石を排泄する孔雀は少し苦しそうで、僕は見ていられなかった。
石を出した孔雀は、少し笑って消えた。
僕は目覚める。

2006年6月21日水曜日

ウサギのビーズ

ウサギが「身体が重い」と言ってグッタリしている。
私はウサギにブラシをかけた。
するとポロポロと小さな小さな白いビーズが落ちてくる。
身体中にブラシをかけたら、床が真っ白になった。
「身体が重いのも当然だよ」
と私が言うと、ウサギは落ちたビーズをしげしげと眺め「ハウライトが毛皮に生えた」とニヤリと呟いて礼も言わずに出て行った。
私はビーズに糸を通して、ネックレスを四十本作った。

テディベア

「サファイアが盗まれた」
と友人が言う。
サファイアはテディベアの名前で、宝石ではない。
ずいぶん大事にしていたからショックも大きいのだろうと思っていたら、間もなくテディベアは友人の元に帰ってきた。
「あぁ、ぬいぐるみなんかにするからいけないんだ」
とテディベアを抱きながら友人は言った。
「元の姿に戻そう」
友人はテディベアを洗面所に持っていき、水を流して洗い始めた。
少しずつテディベアは溶け、宝石のサファイアが顔を出す。
「おい、何でできてるんだ?このぬいぐるみ」
水音が大きくて友人には届かない。

2006年6月19日月曜日

ソーダ

娘の髪はソーダライトのようなまだらの群青色をしていた。
どんな触り心地だろう、どんな匂いだろう、ずっと眺めていたい。
「少しその毛を分けてはくれないか?」
気付くと掠れた声で言っていた。
我ながら信じられない頼み事である。気味の悪い依頼に、娘は顔色一つ変えなかった。
娘はぐっと髪から毛束を握り取り、鋏でジョキジョキと切った。
「そんなにたくさんでなくてもいいのに」
と言いおうとしたが、娘が鋏を動かす光景に見とれて声が出ない。
差し出された髪の毛を受け取ろうと伸ばす手が震える。
私の手の平に載った群青色の毛は、シュワシュワと泡を立てて溶けた。
私は慌てて手の平を舐める。

2006年6月18日日曜日

鼓動

まばたきもせずにマリアは血の涙を流しはじめた。
「どうしたんだい?マリア」
マリアの涙を一滴足りとも逃すまいと、僕はガラスの器で涙を受け止める。
マリアの朱い涙は、器の中で震え、結晶となった。
小さなカーネリアン。
僕はマリアの胸に、カーネリアンを埋める。
カーネリアンは鼓動を始めた。
マリアは初めての瞬きをした。
もう人形だなんて呼ばせない、僕のマリア。

2006年6月12日月曜日

指輪が香る

ブッと葡萄の種を出したら、輝く紫色の粒だった。
「アメジスト?」
と呟くと、それはいっそう輝いた。
「なぜ、こんなところに?」
と聞くが、さすがにそれには答えない。
私は葡萄の種だったアメジストを水で洗った。
洗っても洗っても葡萄の香りは消えなかった。

アメジストは指輪にした。私の手が動くとアメジストが香る。
レジでお金を払えば、店員は不思議な顔した。
子供は喜んだ。「ブドウのにおいだ」

恋人は唇にキスしなくなった。
犬のように私の手を舐め回す恋人を見下ろしながら考えた。
指輪ではなくネックレスにすればよかったかしら、
それともピアスにすればよかったかも。
悔しいので指輪を唇で挟んでキスをねだる。
葡萄の香りが鼻腔を擽る。
いつのまにか私は夢中で指輪をしゃぶっていた。

緑の傘

老人はあざやかな緑の傘を差して歩く。雨の日も、晴れの日も。
「どうして傘を差してるのさ?こんなにいい天気なのに」
と若者に問われて、老人は皺をさらに深くして笑った。
 次の春、老人はすでにこの世にはいない。だが、老人の歩いた道には色とりどりの花が咲いている。老人の歩みそのままに、小さな花がぽつりぽつり。
 花が途切れたところに、老人が差していた緑の傘はあった。柄には札が付いている。
「あなたの最期の花道、作ります」

********************
500文字の心臓 第59回タイトル競作投稿作

2006年6月11日日曜日

小さな錬金術士

「金はまだ誰も作ったことがない。作り方もわからない。だが菫星石の作り方は、はっきりわかっている。教えて欲しいか」
と錬金術士は言った。子供は目を輝かせた。
「名前の通りだ。すみれの花に星を食べさせればいい」
錬金術士は続ける。
「お前は空の星を取れるか? すみれの花の口はどこにあるか知っているか?」
子供はニコッと笑った。

2006年6月10日土曜日

砂漠

ターコイズのペンダントは、砂漠に到着した途端に大騒ぎを始めついに鎖を切って跳んで行った。
しばらく跳ね回ったターコイズは、さらさらと砂漠の砂に埋まっていく。
どうしよう、お気に入りのペンダントなのに。
「気が向いたら帰ってくるさ」とラクダが慰める。

2006年6月7日水曜日

口封じ

「私はヘタマイト。異星から来た」
とヘマタイトは言った。地球上の鉱物のくせに何をおっしゃる。
「ヘマタ・イトはヘ・マタイト系第三惑星で、ヘマタ・イトを構成するのがヘマタイ・ト……」
ヘマタイトは私の手に弄ばれながらも、延々と喋っている。
黒光りしてすべすべしたヘマタイトは、重みがあり手の中で転がすのが、楽しい。
「神のヘマタイトから数えて私は2396代目、正真正銘の由緒正しいヘマタイトの血が……」
血なんか流れてないだろう、鉱物なんだから。
私はおしゃべりなヘマタイトに飽きてきた。
赤い油性ペンでヘマタイトに唇を描いた。そこに口紅を塗ってやった。
おかげで、鉱物とは思えないおしゃべりなヘマタイトはすっかり黙ったけれど赤い唇を輝かせるヘマタイトはやっぱり鉱物らしくない。

2006年6月5日月曜日

想いの色

あなたに恋焦がれるほどに、胸元に揺れるローズクォーツはばら色を濃くするから
ますます私の頬は朱くなる。

2006年6月1日木曜日

睨めっこ

タイガーズアイが付いた鏡が誕生日に届いた。
古ぼけたエスニックな枠に丸いタイガーズアイが二つ埋め込まれている。
鏡の中の私に向き合おうとすると虎の目がギロリとこちらを睨む。髪のセットもままならない。
やがて虎の目は、鏡に向き合っていない時にも、私に視線を寄越すようになった。
力強いその視線に負けじと、私も睨み返す。
ある時キッと睨み返すと、虎の目はふにゃりと笑った。
私は鏡に駆け寄った。そこには、三十男の自分ではなく褐色の瞳の少女が映っていた。

2006年5月30日火曜日

緑を濡らす

蝸牛が這うのでアベンチュリンのブレスレットはますます濡れたように艶やかになる。
それを見た蝸牛がまた喜ぶから
蝸牛は四六時中、ブレスレットを這っている。
だから私は蝸牛を腕にぶら下げて歩かなくてはならない。
話し相手には困らないけど。

2006年5月28日日曜日

やわらかな、ばら色

ロードクロサイトという石を雑貨屋で見つけた僕は、にわかに心がざわついた。
思い出せそうで思い出せない。
「ねぇ? この石のカンジ、何かに似てるような……」
と彼女に呼び掛けた。
「どれ?」
振り向いた彼女のくちびるを見たぼくは、もっと心がざわめいた。
ああ、僕はロードクロサイトにキスをしたかったんだ。

青の惑星

深海の城は瑠璃で出来ていた。目の前に突然現れた建造物に私は驚いた。深い海の色に瑠璃は溶け込み過ぎている。
「敵に見つからないようにカモフラージュしているのですか?」
と城主に尋ねると、そうはないと応えが返ってきた。
「この石は星空のようだと、聞きました。星空はとても美しいのでしょう?先祖はまだ見ぬ星空をここに造ろうとしました。けれどもこの城はちっとも目立たないのです」

2006年5月27日土曜日

Little‐Rainbow

梅雨の午後、気持ちが沈んだ僕のために、ラブラドライトが虹を出してくれた。

2006年5月24日水曜日

オレンジの雫

「喉が渇かない?」
と僕は彼女に言った。
たいしたお金もないのに、僕らは隣町まで歩いてきた。学校の制服のままで。
彼女はまっすぐ前を見て歩き続ける。
僕はその横顔を時々見たり、繋いだ手に力を込めてみたけれど
やっぱり彼女は前を見たままだ。
たぶんよくて数日だ、この駆け落ちの真似事は。そう、僕たちは真似事の駆け落ちしかできない。
そんなことは彼女もわかってるはずだ。でも彼女の手は熱い。
「あきちゃん。おれ、喉渇いたよ」
もう一度言うと、学校を出てから初めて彼女がこちらを見た。初めて見る、強い瞳で。

僕は近くにあった公園のベンチに座らされた。
「かずくん、上向いて、口開けて」
僕がその通りにすると、彼女は胸元から僕がプレゼントしたペンダントを引っ張りだした。
安物だけど、シトリンという宝石がついている。
僕の開いた口の上でペンダントが揺れる。
彼女は涙を流しだした。
「え? なんで泣くの?!」
「だめ、口開けてて。こぼれちゃう」
ペンダントからオレンジジュースが落ちてきて僕の喉を潤した。
彼女は涙を流しながら、やっぱり前を見つめている。

2006年5月23日火曜日

緑の目玉

レオナルド・ションウ゛ォリ氏はグリーンのパジャマにナイトキャップを着けると
グリーンの枕と毛布のベッドに潜り込み
握りしめた孔雀石の渦を数えながら眠りにつく。
おやすみなさい、ションウ゛ォリ氏。よい夢を。

2006年5月20日土曜日

ルビーが彩る手

彼女の綺麗な紅い爪がマニキュアを塗ったものではないと聞いた時、私は本当に驚いた。
彼女は除光液を染み込ませたティッシュを爪に擦りつけて見せた。
爪は紅いままだし、ティッシュは白いまま。
「母がね……」
そこで彼女は悪戯っ子のように瞳を輝かせた。
「ルビーを食べてたんだって。私がお腹にいる間。金持ちでもないのに、ルビーをどこから調達したんだろうね?だから私は全然信じてないの」
切った爪はどうするの?!と聞いたらなんだか卑しいような気がして、止めた。

2006年5月18日木曜日

煙の瞳

学校の通学路に古道具屋がある。
店の出窓に外を眺めるように置いてある人形を僕は必ず一瞥する。
立ち止まることは出来ない。
同級生か誰かに、人形を見つめていることが見つかるのは、困る。
彼女の瞳はスモーキークォーツで出来ていた。
小学生の時、買い物帰りにその店の前を通った時、母が言ったのだ。
それからだ、その人形が気になるようになったのは。
物憂げでどこを見ているのかわからない、そんな瞳に僕は一瞬激しく吸い込まれる。目が合ってもいないのに。

夜十時、塾の帰り。いつもきっちりカーテンが閉まっている古道具屋の窓が、開いている。
今なら人通りも少ない、友達に会う心配もない。
僕は初めて人形の前で立ち止まる。
〔この娘が好きなんだろ?〕
野良猫が言う。
「まだ目が合ったこともないんだ」
〔なら、起こしてやるよ〕
猫はひょいと窓に飛び乗ると、彼女の陶の頬を舐めた。
彼女の煙った瞳が輝きだした。
「コンバンハ」

2006年5月16日火曜日

かまびすしいカエル

自転車のサドルで干からびかけていたカエルを風呂に入れ、飯を食わせてやった。
カエルは米搗きバッタのようにペコペコしながら
「一晩泊めて下さい」という。
カエル一匹泊めるのに何の迷惑があるだろう。
「いいよ、ゆっくりしていきな。オヤスミ」
「ありがとうありがとう。おやすみなさい」

翌朝、カエルはカエルの形のまま石になっていた。
慌てて調べると「ユナカイト」という石のようだ。
「おい、お前さんはカエルなのか?ユナカイトなのか?」
と石に呟き掛けると
「ゲーコゲーコ」
と返事した。

2006年5月14日日曜日

回遊

アクアマリンの指輪の中で鰯が泳いでいるのを見つけた時、ぼくはお腹が鳴った。

2006年5月13日土曜日

猫の指輪

子供の頃飼っていた猫はレッドジャスパーという名前だった。
長くて発音しにくいからジャス、と呼んでいた。
ジャスは物心ついたころにはおばあさん猫だった。
お気に入りのクッションにグテっと寝そべっているか、よろよろと歩いているか。
時々朱い目でこちらを見て愛想を言った。
忘れもしない小学二年の五月十三日、朝起きるとジャスはいなくなっていた。
父は、死に場所を求めて出て行ったのだと言った。
よくわからないかったけど父がそう言うのだから、そうなのだろう、と考えることにした。
ジャスのお気に入りだったクッションに、
レッドジャスパーの石がついた指輪が置かれていたのは、
ジャスが出て行ってから五十日後のことである。
私の手はあれからずいぶん大きくなったが、
いつも指輪は左手の人差し指にぴったりと嵌まる。

2006年5月11日木曜日

ペンギンキャンディ

〔飴玉見つけたぞ?〕
とペンギンが差し出したのは、黄色い大きな飴玉……ではなくて宝石だった。名前はわからないけど。
「これは飴玉ではない。石だ」
と僕はペンギンに告げる。
〔これは人間の飴玉ではない。イエローカルセドニーだ〕
なんだよ、ペンギンのくせに石の名前知ってるのか。
〔これは人間の飴玉ではない。ペンギンの飴玉だ〕
ペンギンはポンと石を放り投げるとクチバシで捕まえた。
「ペンギンの飴玉?どんな味なんだ?」
〔パイナップル〕
ペンギンがパイナップルの味を知っているとは、信じられないけど。
〔そして空を飛ぶ〕
ペンギンはすごい勢いで飛んでいった。
「夕飯には帰ってこいよー!」

2006年5月10日水曜日

涙の予言

妊娠中、つわりが酷くて妻はよく泣いていた。
涙を拭ったハンカチは、何故かほんのりと緑色に濡れていて
俺は訝しんだが、妻は気にしないで、と言っていた。
夏の朝に生まれきた娘の胸には、小さな雫型の石がついていた。
淡い緑色。褐色の肌にはあまり目立たないが、時折強く輝いた。
妻が緑色の涙を流したのは、赤ん坊の石のせいだったのか。
俺はその石を外そうと試みたが、妻に止められた。
「とてもよく似合っているじゃない?」
ペリドットという石だと、産婆が言った。
宇宙の子だ、と老人が言った。
うるさい、俺の娘だ。

2006年5月9日火曜日

ストーンウォーク

満月の晩、黒猫は小さな白っぽい石を噛えて帰ってきた。
黒猫は慎重に少女の手に石を落とす。
「きれいな石。ナンナル、これ何?」
「月長石だなぁ。ちょっと疲れているようだ。キナリ貸してご覧」
月は石を胸に充てた。
「もう大丈夫」
石は青みがかった乳白色に輝きだした。
「ねぇ、ヌバタマ。どこで拾ったの?この石」
石が月に逢いたいから連れていけと付き纏っていたことを黒猫は語らない。

2006年5月6日土曜日

観光案内ガイド

道に迷った時、どこに行けばよいかわからない時には、オランウータンに聞いて下さい。
少し高いところにいるか、ゆっくりと歩いているはずです。
彼らはこの街のなにもかもよく知っています。
おいしいレストラン、自転車置場、きれいな花を咲かせる木、公衆トイレ、眺めのよい場所、赤ちゃんのいる家……。
なかには地図を書いてくれるオランウータンもいるはずです。
では、ごゆっくり観光をお楽しみください。

【ショウジョウ科ボルネオオランウータン ボルネオ 絶滅危惧ⅠB類】

2006年5月5日金曜日

生きたストラップ

945b1aad.jpg携帯電話にニシメガネザルがしがみついている姿をよく見掛ける。
先日ついに、私の携帯電話にもニシメガネザルがくっついてしまった。
「なぜ、そんなところに?」
と私が尋ねる。
「移動が楽チンだよ」
と彼は答える。
彼は携帯電話から飛び跳ねて、昆虫を捕まえてくる。
「おいしいかい?」
と私が尋ねる。
「んまい」
と彼は答える。


【メガネザル科ニシメガネザル インドネシア】

2006年5月4日木曜日

旅はウヰスキーボトルで

「旅をしたかったのだけど、金がなかったんだ。だから親父のウヰスキーの壜を拝借したのさ。
慣れるまでは大変だった。船酔いならぬ、壜酔いだね。でも今は快適だ。海は美しいよ。キミも一緒にどう?」

わたしが浜辺で拾った壜の中には、男の子が入っていた。
彼は、わたしが誘いに乗らないと悟ると、まだ旅の途中だから海に戻してくれ、と言った。
わたしは、壜を波に乗せた。あっという間に壜は見えなくなった。
あ、どうやって壜の中に入ったのか、聞くの忘れた。

2006年5月3日水曜日

香典

午後十一時。白く浮かび上がる人影に私は凍りついた。
ハヌマンラングールに違いない。
顔が黒いから、表情を窺うことはできない。
私は鞄の中に、昼休みに食べ残したメロンパンがあることを思い出して、少しホッとする。
ハヌマンラングールは息のない子供を抱えていた。
私に気付いた彼女は立ち止まると「これから弔いなの!」と叫んだ。
私は耳を塞ぎたい気持ちをなんとか抑え
「メロンパンしかありませんが……」
とメロンパンを差し出した。
ハヌマンラングールは無言で受け取ると、音もなく去った。

【オナガザル科ハヌマンラングール インド 準絶滅危惧種】

2006年5月1日月曜日

罵詈無言

パルマの寡黙な令嬢
「唖か?」
と聞かれて
「莫迦!」
とひと言答えた。
黙殺されたパルマの令嬢。

There was a Young Lady of Parma,
Whose conduct grew calmer and calmer;
When they said, 'Are you dumb?'
She merely said, 'Hum!'
That provoking Young Lady of Parma.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

富士山

17才の時、富士に登った。学校を休んで、観光シーズンを避けて一人で登った。
頂上に着いたのは真夜中だった。朝を待つつもりでいた。日本一の頂でたった一人で夜を過ごすのは、おそろしく素敵だ。そう思いながらしゃがみ込み、近すぎる夜空を眺めていると
「あーん」
としわがれた声が聞こえた。
「あーん」
また声がする。私は懐中電灯を片手に声のする方へ向かった。
「あの、何しているんですか?」
「おや! 見つかってしまったねぇ」
こちらに振り向いた顔はしわくちゃに笑っていた。こんなに腰の曲がった老婆が、どうやって富士山頂まで登ってきたのだろう。
「食いしん坊なのよ、この子は」
老婆は、火口に人参を投げ込んだ。
「富士山が、食いしん坊……」
「そうだよ、ほかに誰がいる?」
と言いながら、今度はじゃがいもを投げている。
「ぼくも、なにかあげてもいいですか」
「あぁ、いいとも。喜ぶよ」
私はポケットに入れてあったチョコレートを一粒、火口に向けて投げた。
富士山が言った「おいしい」という声は、四十年経った今も鮮明に覚えている。

********************
500文字の心臓 第58回タイトル競作投稿作
△2

2006年4月28日金曜日

ザクロ

割れたザクロから一粒、実を取出して、彼は空を仰ぎ見た。
目に汁を搾り垂らす。一滴づつ。
私は顔を背ける。あんなに酸っぱい実の果汁を、目に注したら……! ああ、なんということだろう。
彼はうめき声ひとつあげずに耐えているのに、私のほうがずっと混乱している。
「もう、大丈夫だよ」
と声がして恐る恐る振り向くと
ガーネットのような硬い赤い瞳になった彼がいた。
彼の瞳が赤いうちに、契りを結ばなくてはならないのだ。子を成すために。
それを自覚した私は、赤い瞳に吸い込まれた。

2006年4月26日水曜日

苦労する梟

老人と梟は苦悶のため唸っている。
彼は柵に座り、毒づきながら苦い麦酒を飲み干す。
それですっかりさわやかになった老人と梟。

There was an Old Man with a owl,
Who continued to bother and howl;
He sat on a rail
And imbibed bitter ale,
Which refreshed that Old Man and his owl.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫より

2006年4月24日月曜日

永久の休暇

西に住みたる老人は、どうしても休息を得ることができなかった。
そこでアゴと鼻を軸にして、老人を急速回転してみたら、無事変人老人は急死した。

There was an Old Man of the West,
Who never could get any rest;
So they set him to spin
On his nose and chin,
Which cured that Old Man of the West.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫より

2006年4月23日日曜日

雨と血

「あなたはどんな雨よりいい香りがするわ」
とマダムは僕の腕の中で呟いた。
マダムは雨を収集している。
マダムの部屋に入ると、濃厚な雨の香りが充満していて、吐き気がする。
所狭しと並ぶ趣味の悪い派手な瓶を見ると、いよいよ吐き気は酷くなる。
マダムは犬のように僕の腋の下を舐めている。
僕は腋の下にナイフを突き刺すことにする。
匂いさえしなければ、マダムは僕への興味を失うはずだ。
土砂降りの日がいい。むせるような甘い雨の香りが、僕の忌まわしい匂いを少しは掻き消してくれるだろう。

2006年4月21日金曜日

ノミの心臓

ディー川のジィサンは蚤に足を乗っ取られた。
「痒くてたまらん!」
鑿を差し出されて足のみならず心もほじくり返されて飲み潰れたディー川のジィサン。

There was an Old Man of the Dee,
Who was sadly annoyed by a flea;
When he said, 'I will scratch it,'
They gave him a hatchet,
Which grieved that Old Man of the Dee.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫より

2006年4月19日水曜日

眼球

 僕たちは貧乏だったから、ボール遊びの時には、眼球をよく使った。
 僕の眼球は小さかったので、手や板っ切れを使ってピンポンをした。
 キャッチボールにはヨシオの左目が重宝した。
 サッカーをしたい時には、アキラの眼球を使った。
 アキラはとても嫌がったけれども、頼み込んで右目を借りた。
 右目を外してがらんどうになったアキラの大きな眼窩をそこにいるべき眼球を胸に抱えながら覗くと、僕はいつも小便がしたくなった。
 慌て茂みを探して、アキラの眼球を傍らに置いて、その視線を感じながら立ち小便をした。
 外した眼球が見る風景は、アキラには見えない。
 でもそれは、紛れも無くアキラの視線だった。
 小便を終えた僕は、わざと勢いよく眼球を蹴った。
 今も時々、眼球を外してみる。
 ピンポンをした跡が微かに残っている。
 アキラの眼球にも、僕の足跡がまだ付いているのだろうか。

2006年4月16日日曜日

はげます

頭髪の薄いヒトの男がハゲウアカリと一緒だと安心するといった。
何故かと問えば、ハゲであることが当然のように思えるからだ、という。
しかし君、頭髪をバーコードのように撫で付ける者はハゲウアカリにはいないぞ、という言葉は飲み込んだ。

【オマキザル科ハゲウアカリ ブラジル 絶滅危惧ⅠB類】

2006年4月14日金曜日

ウサギの憂さ晴らし

ウサギを喰らう慣わしのおじさんは、十八番目のウサギを平らげて血の気が引いて以来、胡散臭いその慣わしを放棄した。

There was an Old Person whose habits,
Induced him to feed upon rabbits;
When he'd eaten eighteen,
He turned perfectly green,
Upon which he relinquished those habits.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年4月13日木曜日

四月十三日 眼鏡の拭き方

少年は眼鏡を掛けたまま眼鏡拭き。
まったく器用にやるもんだ。白い布が眩しくないかい?

2006年4月11日火曜日

四月十一日 消える言葉

落書きというは、一度目に付くと気になって仕方ないものだ。
落書きというのは、猥褻な言葉が書いてあることが多いものだ。
そのわりに、ちっともそそらない。
落書きを消すための、この除光液の匂いのほうが、ずっとクラクラする。

鼻先と爪先

詮索好きのお嬢さんは、あちこち嗅ぎ回るものだから鼻が伸び、ついに爪先に届いてしまった。
そこで彼女は花持ちの婆さんに鼻を担がせることにした。
鼻持ちならない長鼻のお嬢さん。

There was a Young Lady whose nose,
Was so long that it reached to her toes;
So she hired an Old Lady,
Whose conduct was steady,
To carry that wonderful nose.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年4月10日月曜日

蝿を蝕む

トロイの娘さんは巨大な蝿に虫酸が走った。幾つかを泥に埋め、幾つかを蒸し殺し、幾つかを筵に巻き、それを担いでトロイに帰った。

There was a Young Lady of Troy,
Whom several large flies did annoy;
Some she killed with a thump,
Some she drowned at the pump,
And some she took with her to Troy.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年4月9日日曜日

保育園

エンペラータマリンの男性に仕事を尋ねと「保育士」と返ってくることが多い。
事実、エンペラータマリンが園長や理事をつとめる保育園や幼稚園が近頃人気だ。
彼らはヒトの子供よりもずっと小さな身体だが
長い尻尾にさらに長い紐をつけ、子らに握らせて行列で散歩をしているエンペラータマリンはヒゲがピンと伸びている。実に誇らしげだ。


【マーモセット科エンペラータマリン アマゾン 絶滅危惧Ⅱ類】

2006年4月6日木曜日

待ち合わせ注意

クロザルが渋谷での待ち合わせによく使うのはモヤイ像である。
こだわりがあるらしく、ハチ公は絶対に使わない。
時々ヒトがクロザルとモヤイ像を間違えると、クロザルは怒り狂う。
こっそり写真を撮ろうとすれば、素早く飛んできて足に噛み付かれる。
もしクロザルがモヤイ像のそばに佇んでいたら
迷わず待ち合わせ場所をハチ公に変えることを恋人に提案するべきだ。


【オナガザル科クロザル スラウェシ島 絶滅危惧種】

2006年4月1日土曜日

絶品のあご

ピンととがったあごを持つお嬢さんは、
自慢の顎をさらに鋭く磨き上げて
チントンシャンとハープを顎で弾きました。

There was a Young Lady whose chin,
Resembled the point of a pin;
So she had it made sharp,
And purchased a harp,
And played several tunes with her chin.

エドワード・リア「ナンセンスの絵本」より

2006年3月29日水曜日

老猿の独り言

近頃、テングザルの男が人気らしい。
テングザルのポスターを見掛けるし、テレビコマーシャルにもテングザルのタレントがよく出てくる。
テングザルに倣って鼻を大きくする輩も出てきた。整形というやつだ。
本人は喜んでいるようだが、特にヒトには似合わない。
近所に住むテングザルの青年は、恋人に鼻を撫でられて照れている。
最近テングザルっていうだけで人気でしょう?浮気しないか心配なの。
と彼女は拗ねて見せた。
ほほえましい光景ではないか、と私は少し萎んだ自分の鼻を撫でながら独りごちた。


【オナガザル科テングザル ボルネオ島 絶滅危惧種】

2006年3月28日火曜日

炙るなら炭で

スミュルナの娘は、祖母に火炙りにしてくれるわと脅された。
娘は猫を奪い取り「ババア! 炙るならこっちだ」と反撃した。
フキョウワオーンと猫が鳴く。

There was a Young Person of Smyrna,
Whose Grandmother threatened to burn her;
But she seized on the cat,
And said, 'Granny, burn that!
You incongruous Old Woman of Smyrna!'

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年3月27日月曜日

耳年増な驢馬

マドラスの老いた男は、クリーム色のお馬鹿な驢馬の、玉のような臀に跨がる。
驢馬の長い耳が彼のトラウマを増長し、マドラスの男は逝ってしまった。

There was an Old Man of Madras,
Who rode on a creamーcolored Ass;
But the length of its ears
So promoted his fears,
That it killed that OldMan of Madras.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年3月26日日曜日

気配りする鼻

このご老体の鼻は鳥の止まり木である。
夜の帳が降り、鳥たちが飛び立つと、ご老体とその鼻は、ようやく一息つくのである。

There was an Old Man on whose nose
Most birds of the air could repose;
But they all flew away
At the closing of day,
Which relieved that OldMan and his nose.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年3月23日木曜日

ペンキ屋

「いらっしゃいませ」
キンシコウがペンキ屋にやってきた。
「オレの顔をピンクに塗ってくれ」
と言う。
「せっかく素敵な青い顔をお持ちなのに」
と店主が言う。
「構わないから、やってくれ。なるべく派手で目立つピンクで」
店主は棚からたくさんのピンクのペンキの缶を持ってきた。
一口にピンクと言っても20色以上のペンキが用意されている。
「どちらがお気に召しますか?」
キンシコウの恋愛事情もなかなか大変だな、と店主は思う。
昨日も別のキンシコウの若者が、緑色に顔塗って帰っていった。


【オナガザル科キンシコウ 中国 絶滅危惧Ⅱ種】

交渉

組んだ足の毛並がやけにいい。
兎はコーヒーを飲みながら言った。
「極めて難しい。だが、不可能ではない」
不可能ではない、と言った時に長い耳がぴくりと動くのを、私は見逃さなかった。
私は神妙な面持ちを作って「よろしくお願いします」と頭を下げた。
兎は今度こそ、耳を動かして
「コーヒーをもう一杯頂こう。ブラックで。うまいコーヒーを出す依頼人に弱いんだ、私は」

2006年3月21日火曜日

ナイルに流れる爪

ネイルケアに念入りなナイルの爺さんは、やすりで親指を研ぎ続ける。
「やすりで研ぐとこんなに鋭くなるのだ」
とナイルの爺さんネイルのない手で語る。

There was an Old Man of the Nile,
Who sharpened his nails with a file,
Till he cut out his thumbs,
And said calmly, 'This comes
Of sharpening one's nails with a file!'

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年3月19日日曜日

当然のトゲ

愚行を極める年寄りの婦人が
ヒイラギに腰掛け、トゲに引っ掛け、ドレスを引き千切った。
急転、彼女は落胆する。

There was an Old Lady whose folly,
Induced her to sit on a holly;
Whereon by a thorn,
Her dress being torn,
She quickly became melancholy.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年3月18日土曜日

モノクロームはレモン

「カメレオンみたい、このカメラ」
と、マモルは言った。マコトは首を傾げる。
 マコトは父から譲り受けた古いカメラを持ち歩いている。フィルムは自動巻きではないし、ピントも合わせなければならない。いつのまにか現像も自分でやるようになった。手間はかかるが、その手間がマコトには面白い。
 ほとんどの被写体はマモルだ。街中で撮ることもあるが、裸になってもらうことも多い。マモルは自身の全裸姿の写真を何のためらいもなくめくりながら、カメレオンみたい、と言っている。
「カメラがカメレオン?ダジャレか?」
マコトが問う。
「カメレオン。マコトのカメラで撮った、わたしの身体。一枚づつ色が違う。だからカメレオン」
マコトの撮った写真は、モノクロだ。
「これは、赤い。これは、青い。これは緑だし、これは黄色」
「ぼくには、わからないよ」
「鈍感だなあ。自分で撮ったくせに、わからないの?」
じゃあ今から撮ってよ、とマモルは言いながら服を脱ぐ。裸になったマモルは、カメラを向けるとスッと近付いてきてレンズをぺろりと舐めた。
「撮って」
ぺろり・カシャリ、またぺろり・カシャリ。
「なんで、舐めるの?」
「レンズってすっぱいんだね。すっぱくて、おいしい」
ファインダーを覗くマコトの視界いっぱいに、マモルの舌が素早くうごめいて去っていく。
 出来上がった写真の中のマモルの肢体には、淡い色の靄がかかっていた。これは桜色、こっちは山吹色、それは菫色……。
「ほらね、わたしの言った通りでしょう?」
「舐めたから、色が出たのか?」
「さあ、どうかな。すっぱいレンズ、おいしかったし」
「マモル」
「なに?」
「舐めて」
マモルは笑いながら、あかんべえをした。

++++++++++++
千文字世界「禁断の果実」投稿作

砂漠で眼玉を拾いました。

砂漠で眼玉を拾いました。右眼を外して(ちょっと厄介だったけれど)拾った眼玉を入れました。
新しい右眼は、とてもよく見えた。
シャボン玉を吐き出して走る汽車とか、膨らみ続けて破裂したペンギンが見えました。
僕はあちこち飛んで見てまわることにしました。頭にプロペラを載せてね。
右眼は、もっと素敵なものを見たがっていたんだもの。
放射能に汚染された牛や、くしゃみする入れ歯は親切でした。
ムンクはいつでも叫んでいるし、鳥の羽の木は温かい。
「なかなか見物だった」
「きみのおかげさ」
そんなこんなで、右眼は砂漠に帰っていきました。僕は公園の石像になりました。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
佐々木マキ「輕氣劇、砂漠の眼玉」1970年をモチーフに

2006年3月15日水曜日

快適な髭

髭が自慢の男が叫ぶ。
「なんたる悲劇だ。夜更かし中年と早起き熟女、悪戯小僧が四人と若い娘、みんなおれの髭の中に居座っちまった」

There was an Old Man with a beard,
Who said, 'It is just as I feared!
Two Owls and a Hen,
Four Larks and a Wren,
Have all built their nests in my beard!'

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年3月14日火曜日

まどろみを強いる者

神父は、息継ぎもせずに聖書を読み続けた。ゆっくりと話しているのに、早口言葉のようにも聞こえる。
一体いつ息をしているのだ?とじっと観察してみるが
御堂に静かに響くその声は、どんな子守歌より心地よくて私は眠ってしまう。

どれくらい時間が経ったのだろうか、私はにわかに覚醒した。
見渡すと、御堂にいるすべての人が皆、眠っていた。神父本人も、例外でない。胎児のように身体を丸めて眠っている。
だが、神父の声は響き続けている。
途絶えることなく、静かに、だがはっきりと。
私はキリストをちらりと見遣ると、再び眠りに沈んだ。

《Trombone》

禁断の果実

チリに住むこの爺さんの愚かな行いには、まったくうんざりだ。
階段に座り込んでまで、林檎チャンやら梨子チャンにむしゃぶりつく。
どこまで往生際が悪いのだ、このチリの爺さんは。

There was an Old Man of Chili,
Whose conduct was painful and silly,
He sate on the stairs,
Eating apples and pears,
That imprudent Old Person of Chili.
エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年3月12日日曜日

不完全燃焼

男は、マッチを山に植える。
マッチが十年かけて二十メートルの高さにまで育つころ、木の先端はいよいよ赤く膨らみ、その時を待つ。
風でしなり、側の木と触れ合った時、或いは火の粉を浴びて
マッチの木は一気に炎の葉を繁らせる。
素裸の男は風に揺らめく赤い葉を見上げる。
急激に葉の勢いが衰え、表情を曇らせた男は、途端に息が荒くなる。
もうずいぶん前から酸素が足りないのだ。本来なら、男は倒れていなければならない。

2006年3月9日木曜日

ゴキブリの断末魔

ケベックの老人の首すじに、ゴキブリがご機嫌伺い。
だが、老人は「串刺しの刑を執行する!」
ケベックの老人は語気が荒い。


There was an Old Man of Quebec,—
A beetle ran over his neck;
But he cried, "With a needle I'll slay you, O beadle!"
That angry Old Man of Quebec.

2006年3月7日火曜日

夕暮れの遊び

ニシに吸い込まれそうな太陽を相手に、子供は鞠で遊ぶ。
どんなにはしゃいでも、素早く鞠をついて見せても
太陽は留まることはできず、どんどんニシが吸い込んでいく。
けれど子供はニシが憎いわけではない。
ニシに吸われる太陽の色が、子供は一番好きなのだ。

《笛子》

中国の竹製の横笛。

2006年3月6日月曜日

情け

水溜まりで溺れているところを助けてやったぜんまいがえるはやたら饒舌だった。
「やや、忝ない。有り難きき幸せ。ああ、助かった。痛み入りますでござる。ご恩は忘れん。あ、そんなことまで。恐縮。感謝感激」
「おまえ、漫才でもやれば?」
と皮肉を言うと
「滅相もない」
を二本足で歩きながら36回繰り返した。

《Marranzanu》

マランザヌは、イタリアの口琴

2006年3月5日日曜日

エイリアン

私が学生時代、もっとも親しくしていた男は、異なる星の人だった。
「なんと言う名の星なのだ?」
と尋ねと友は歌うように発音したが、何度真似てもその銀色の声は出なかった。
私は声を聞きたくて、いろいろと質問した。
両親の名は? 兄弟の名は? 好きな食べ物は? Good morning.はなんと言う?
今思うと、なんて失礼なことをしたのだろう。
しかし彼は、嫌な顔せずに答えてくれた。
彼は今、病院にいる。まもなく死ぬだろう。
銀色の血液をした人は、地球にいない。

《Buzok》

ブゾックはレバノンのギター系の弦楽器

2006年3月4日土曜日

満足なクジラ

ウェールズの娘が鱗のない巨大魚を捕まえた。
獲物にウインク、「九時だ!」と叫び、潮を吹いたウェールズの娘。

There was a young lady of Wales,
Who caught a large Fish without scales;
When she lifted her hook,
She exclaimed,"Only look!"
That ecstatic Young Lady of Wales.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年3月3日金曜日

短くなった舌

熱帯にお住まいの鰐口長舌のじいさんは、山盛り魚を皿ごと一気に飲み込んだ。
長い舌もついでに飲み込み、咽喉を詰まらせた熱帯のじいさん。

There was an Old Man of the South,
Who had an immoderate mouth;
But in swallowing a dish,
That was quite full of fish,
He was choked, that Old Man of the South.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2006年2月28日火曜日

酸素補給

ハーグ在住の老発明家の希求は、月面探査。
至急、気球を製作した。
危急存亡、ハーグの老発明家、直ちに帰休せよ。

The was an Old Man of the Hague,
Whose ideas were excessively vague;
He built a balloon
To examine the moon
That deluded Old Man ofthe Hague.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年2月27日月曜日

凍った音

オレのじいさんは、氷樹の森できこりをしていた。
氷樹は木材としても薪としても優れていたし、楽器にもなった。笛にも太鼓にもなった。
氷樹の森は寒いが、じいさんは泊まりがけで仕事にいった。
一度だけ、オレはじいさんに付いて森に入ったことがある。
粗朶を集めて来いと言われて、オレは枝を拾い集めた。
じいさんが火を点けると、黄色い炎が揺らめいた。あたたかかった。
もう氷樹はすっかりなくなった。どんなに寒い土地に行っても見つからない。
じいさんの形見の笛も、氷樹が滅びるのと同時に、音がしなくなった。

《Cello》

2006年2月23日木曜日

デートのお誘い

「ぼくと一緒に」
「遊びに行きましょう?」
「かわいいお嬢さん」
学校帰り、目の前に三つの手が伸びてきた。顔を上げればおじいさんとおじさんとお兄さん。そっくりの笑顔が私を見つめている。
「おじいちゃん、彼女は僕が先に」
「息子よ、お前はまだ若い。先がある」
「老いぼれが一番安全ですぞ?お嬢さん」
私は三人の顔を代わる代わる見るしかできない。
「伜よ、お嬢さんが困っているではないか!」
「誰がお好みですか?」
「おっさんは置いて、僕と行こうよ」
私は堪らなくなって吹出した。
「みんな一緒に!」
そして、おじいさんと右手を繋いで、おじさんと左手を繋いで、お兄さんに荷物を持たせて遊園地に行ったの。お兄さんはちょっとご機嫌ななめだったけど!

《Accordeon》

2006年2月21日火曜日

醤油の呪い

トロイの年寄りはブランデーに醤油をトロリと垂らす。
匙でしゃぶれば、月は十六夜。
トロイの眺望は正直、酷い。

There was an Old Person of Troy.
Whose drink was warm brandy and soy,
Which he took with a spoon,
By the light of the moon,
In sight of the city of Troy.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年2月20日月曜日

陽気に羊羹

ランスに住みたるご老人、毎夜の悪夢でご乱心。
寝てはならんと、夜通し羊羹を食わされた。
ランスのご老人は乱痴気騒ぎ。

There was an Old Person of Rheims.
Who was troubled with horrible dreams;
So to keep him awake
They fed him with cake,
Which amused that Old Person of Rheims.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年2月19日日曜日

惚けたベロ

ベロがフラフラなプラハのオババは「帽子は?」と聞かれて「忘失した」と答える。
神が降ったか、プラハのオババ。

There was an Old Lady of Prague,
Whose language was horribly vague;
When they said,"Are these caps?"
She answered"Perhaps!"
That oracular Lady of Prague.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年2月18日土曜日

万事休す

乗馬が上手なネパールの老人が落馬して分裂した。
二つの身体は、強力ボンドで粘着修理を施され、たちまち快復した。
粘り強い、このネパールの老人に万々歳。

There was an old man of Nepaul,
From his horse had a terrible fall;
But,though split quite in two,
With some very strong glue
They mended that man of Nepaul.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年2月17日金曜日

果敢な春

ハルに住まう乙女は、春真っ盛りの雄牛に迫られていた。
乙女は鋤を突き付け、雄牛に告げる。
「あなた、隙だらけよ?」
童貞の雄牛は動転して失禁。

There was a young lady of Hull.
Who was chased by a virulent Bull;
But she seized on a spade,
And called out,"Who's afraid?"
Which distracted that virulent Bull.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』ちくま文庫

2006年2月16日木曜日

栄養

 11才の秋から、押し入れの中にしゃれこうべが住むようになった。
 しゃれこうべは出来の悪いテストや、エロ本やアダルトビデオ、出せなかったラブレターや、ネコババしたマンガを食べて暮らしていた。どれも家族にも友達にも見せられないものばかりだ。
 しゃれこうべは、食べた物から知識を得たらしい。僕が押し入れを開けるたび
「前から好きでした!」
「関係代名詞!」
「きみのことが頭から離れない!」
「もっと!」
「古今和歌集!」
「濡れた!」
「じっちゃんの名にかけて!」「禁断エロス!」
などと顎関節をガクガクさせながら叫んだ。叫ぶのを止めさせようとして、何度も手を噛まれた。
 しかし、最近は元気がない。叫び声にも張りがない。食べ物がなくなってきたのだ。
 ラブレターなど書かなくなったし、こそこそとエロ本を見ることも少なくなった。テストなんか、何年も受けていない。
 僕は、しゃれこうべの栄養のために秘密を作らなければならない。浮気でもしてみようか?そんなことでは、弱ったしゃれこうべには物足りないかもしれない。
 もっと、栄養の付くものを。もっと飛び切りの秘密を。
 まずは出刃包丁を買いにいこう。そのうちに押し入れのしゃれこうべは二人になるはずだ。

2006年2月15日水曜日

夜道の慰めに知らない☆に名前を付けた。
「……はゆらむ」
☆はにっこりと瞬いた。たぶんあの☆には既に誰かが付けた名前があるだろう。
図鑑で調べればわかるはずだ。
でもそれは問題じゃない。わたしにとっても、はゆらむにとっても。
 はゆらむは赤っぽく光る時も青っぽく光る時もあった。
赤っぽく光ればドキドキしたし、青っぽく光ればうっとりした。
曇った晩には会えないのが淋しい。雨の晩のほうがいくらかマシだ。
傘が空を隠すから。


********************
500文字の心臓 第55回タイトル競作投稿作
○2△1×1

2006年2月14日火曜日

ひたすらに

鳥と案山子が何やら囁き合っているのを、知らぬふりして百姓は働く。

《Ocarina》

2006年2月13日月曜日

美の探求

最近の私は、四角や三角の木の塊を積み上げることに夢中だ。
先月、はじめての誕生日に父から贈られたその木の塊は
「積み木」と呼ぶらしいが私はまだ正確に発音が出来ない。
私は積み木の感触、木目、匂いを目や手や舌で存分に味わう。
特に木目を撫でていると吸い込まれそうな感じがする。
よく観察した後で床に置く。積み木の指示に従って向きや位置を調節する。
そうやって一つづつ、並べ重ねていく。
積み木の注文は細かいので、なかなか完成しないが
その甲斐あって、出来上がりは見事なものになる。
造形はもちろん、輝き・木目・影……すべてに均整が取れたすばらしさ。
ああ、この美しさを言葉にできないもどかしさよ!
「言葉を獲得した頃には、その美しさを忘れているよ」と積み木は言うが、本当だろうか。
そんな思索も母の一声で台なしになる。
「お片付けしましょうね」

《Oboe》

2006年2月11日土曜日

星が降るから

百年に一度の星降る夜に、屋上で寝転がる。
コートを着て、マフラー巻いて、手袋付けて。
星は予想以上によく降った。
キラキラと星が落ちてくるのを眺めていると、なんだか宇宙に引き込まれそうな気持ちになる。
細かい星だから、口や鼻にも入って来る。くしゃみが止まらない。
あちこちのビルからくしゃみが聞こえてきて笑ったら、もっとくしゃみが出た。
あの子も星を吸い込んでくしゃみをしているかな。
そういえば、僕はまだ、あの子のくしゃみを聞いたことがない。

《Piano》

2006年2月9日木曜日

友からの手紙

絵画を前にして大声をあげて涙を流すのは初めてだったよ。
もっとも君は、私がこの絵の中の婦人と話していることのほうが驚くだろうけれど。
彼女の声は、どこまでも美しいが、時折動けないことを嘆き震えた。
友よ、私はどうしたと思う?
絵画に手を差し入れて、婦人を引っ張りだそうとしたのだ。……私は婦人に恋をしていた。
存外、簡単に手は入った。肘も入った。けれども、何も触れるものがない。
「もっと奥よ」と彼女が言うので、私は目一杯腕を伸ばして、中を探った。動かせるだけ動かした。
「ありがとう、もういいわ……」と涙声が聞こえて、私は仕方なく手を抜いた。
絵の中に彼女はいなかった。何が描いてあるのか、わからなくなっていた。私が目茶苦茶に手を動かしたから、絵が掻き混ぜられたのだと理解した。
その証拠に私の腕は、絵の具で塗れていた。
私は己の手で、愛しい人を消してしまったのだ。……一度も触れることなく!

《Lute》

2006年2月8日水曜日

甘い硬貨

「……もっと甘いのが欲しかったのよ?」
グラスを置きながら彼を睨むと、指先からコインが出てきた。
突然の手品に思わず見とれる。
彼は、それをグラスに勢いよくぶつけた。けたたましい音がすると思いきや、「チュッ」と口づける音がする。
一口呑むと、注文通り甘くなっていた。

《Tenor Saxophone》

2006年2月6日月曜日

Rendezvous

ほうれん草の缶詰が好きなアイツが華奢なあの娘と踊ってる。
ほら、ご覧!錨のマークもスウィングしてるよ。
よしな、あの娘は他の野郎は目に留まらないんだ。
妬けるねぇ、まったく。

《Cornet》

2006年2月5日日曜日

休息

ゆりかごに揺られているのは、52枚のカードだった。
私は見なかったことにしてすぐそこを去ったが
(誰だって昼寝の顔は見られたくないものだ)
すぐ後に強い風が吹き、つむじ風に巻かれて天に昇る彼らを見ることになった。

《Harpe》

2006年2月3日金曜日

プレリュード

森の奥に小さな湖がある。冬になると湖は間違いなく凍る。
彼はたぶん十一才だ。十才にしては大人びているし、12才にしては華奢だから。
彼は、凍った湖の上に薪を組んで火をつけた。
湖の真ん中で炎が揺れている。
彼は凍った水面にどっかり腰を下ろして、炎を見ていた。時々薪を足して、うまく火を育てている。
暗くなっても炎が消えることはなかった。私の家の窓から木々の隙間から湖が見えるのだ。
私は眠った思いの外よく眠れた。
朝、湖には炎はもちろん、少年も薪の燃え残りもなく、凍っている。

《Flute》

2006年2月2日木曜日

毒の味

魔女が薬を作っている。僕に飲ませる毒薬に違いない。
しかしどうにも手つきが怪しい。
目にも留まらぬ速さでナイフを動かしているが時々「イタッ」とかわいらしい声を出して、僕を睨む。
僕は囚われの身で、猿轡を噛まされ後手に縛られているのだから、どうすることもできない。
……本当は縄が緩くて手が抜けそうなんだけど。
ようやく毒薬が出来上がったらしい。魔女はそれを指で掬って舐めた……いけない!
それは毒だ!
僕は立ち上がって、魔女を抱きしめ、強引に唇を奪った。
どうせ、僕が飲む毒薬だもの、どこから飲んだって一緒じゃないか。

《Marinba》

2006年1月31日火曜日

ハンバーガーとコーラとポテト

ハンバーガーショップに店員は一人しかいなかった。
お下げ頭にキャップをかぶっている。きっと高校生だ。
「クヤエキュ?」
「え?」
「クヤエキュ?」
ぼくは彼女の顔をまじまじと見た。別にバカでもなさそうだ。
それどころか、かなりの美人だ、というかオレのタイプかもしれない。
「ハンバーガーと…コーラと、ポテト」
「スエアッケ、バムメ、ッメオイウ」
と言うと彼女は楽しそうに鼻歌を歌いながら厨房に引っ込んだ。
オレは外国にでも来たのだろうか?
家から四分のハンバーガーショップに来たつもりなのだけど。
そんなに頻繁ではないけれど、何度も来たことがあるハンバーガーショップに。
ほどなく、彼女はきちんとハンバーガーとコーラとポテトをトレーに載せて戻ってきた。
「ゥッベッキュ」
値段はレジに出るので分かる。ありがたい。
オレは彼女から一番遠い席に座って、モソモソとハンバーガーを食べた。
あの娘はまた、歌を歌っている。とても気持ちよさそうに。
どこの言葉なんだろう?なんでここで働いているのだろう?なんで一人なんだろう?
ハンバーガーは、いつもより数段旨かった。いつもしょっぱすぎるポテトの塩加減も言うことなしだった。それでもオレは縮こまってモソモソと食べ、彼女に気づかれないように、そっと店を出た。
どういうわけか、彼女の歌がいつまでも忘れられない。

《Ukulele》

2006年1月28日土曜日

Aurora

細く暗い道に突然強い光が射してきて、僕は目が眩んだ。頭が痛んでしばらく歩けないほどに。
ようやく目が慣れてくると、途端に自分が何をしていたのか、サッパリわからなくなった。
「オレ、何してるんだろう」
トンネルのようなところをとぼとぼ歩いていると思っていたのに、オレは白い森にいた。
白い幹に白い葉を繁らせた木々、地面も苔も、虫たちも白かった。
さっきの強い光のせいで目がおかしくなっているんだと思ったけれど、いくら時間が経ってもやっぱり白い。
オレの目を眩ませたはずの太陽はどこにもなく、空はどんな夜より暗い。
輝いているのは木であり大地であり、虫たち、そのものなのか……。
オレは自分も白くなっていることに気付いた。身につけている服も身体も。
森に飲み込まれる!
でも恐怖はすぐに喜びに変わった。
白くなったオレの影は、七色に輝いている。

《笙》

2006年1月23日月曜日

時計の泣き声

真夜中十二時の時報が、屋敷中に響き渡る。
而し、今は十二時ではない。もう随分前から時計は狂っている。
振り子がどんなに振れても、積もった埃を落とすことができない。
時刻を合わせるべき、埃を拭うべき主人は、この屋敷にはいない。
時計は自分が狂っているのを承知しているから、控めに十二回「ボーン」と呟くが、真っ暗な屋敷には容赦なく音は響く。
時計は窓の外の月を見る。正確には池に映った月を見ている。
「本当の月が見てみたい、外に出て月が見たい」
と時計は独りごちた。
その声は段々と大きくなり、そしていつまでも止むことはなかった。

《Cembalo》

2006年1月21日土曜日

歌姫

うまく声が出ない。何度歌っても掠れてしまう。
「わたしが教えてあげる」振り向くとよく日に焼けた女の子が立っていた。
女の子の声は大きな声ではなかったけれど、いとも簡単に風に乗った。
声も気持ちよさそうだ。
「もうすぐ来るよ……ヨッ!」
女の子は降って来たマーブル玉をキャッチした。
「丁寧に声を出さなくちゃ。大きな声だけ出しても駄目なんだ」
僕はもう一度歌った。
女の子のアドバイスを聞きながら声を出す。
時々掠れるけど、足元の草が震えて冷たくなってきたのがわかる。
一瞬、自分じゃないような声が出てびっくりすると、女の子が言った。
「そう! 今の声だよ! ホラ、見て! 風に乗ってる」
あんまり驚いてマーブル玉を掴み損ねた。
慌てて拾い上げると女の子の姿はなかった。

《Quena》

2006年1月20日金曜日

キンキュウジタイ、走る

発条ネコのキンキュウジタイが、走る走る。
そんなに慌てて何処に行くのだ、発条ネコ。発条が切れてしまうぞ。
現実はもっと厳しかった。発条が切れるどころの話じゃない。
シッポからバネが飛び出し、バネ製のヒゲが伸び、胴体の歯車が剥き出しになった。
もはやガラクタ、屑鉄ネコのキンキュウジタイ。
それでも走る走る…。

《SlideGuitar》

2006年1月19日木曜日

いななきが聞こえたら

爺さまが、雲を見上げている。
尻のところで節くれだった手を組んで、じっと雲を見上げている。
「爺を呼んできな」と言われて出てきたけど、声は掛けられない。
雲はぐんぐん流れていく。
遠くで馬のいななきが聞こえる。
爺さまは、それを合図に走り出した。
あんなに速く走る力があるなんて、と驚いているうちに、爺さまは雲に乗った。馬の手綱を引くように雲を操って空高く翔けていった。
僕は流れる涙を拭きもせず、家に戻った。

《馬頭琴》

2006年1月17日火曜日

弾む水晶

真っ青の空から滑り台が伸びて来た。黄金に輝く長い長い滑り台。
そこを滑り落ちてきたのは、大きな水晶のボールだった。
滑るのももどかしい、といった様子であたふた落ちてくるので、私はクスクス笑ってしまった。
大慌てで転がってきた水晶は、私の腕に飛び込んだ。
やっぱり、水晶だけどボールだった。冷たくて硬いのによく弾む。
大きな水晶を抱えて困っていると、水晶は私のお腹に吸い込まれてしまった。
高く売れるかしら、と思ったのに。

《Trumpet》

2006年1月15日日曜日

神さま稼業

神さまはピカピカのタマゴの姿で、人々を見物している。
転がって移動するのは身体中が痛い上に、目が回って難儀である。
牛に蹴飛ばされたり、犬に舐められたりもする。
女の子が道端を転がる神さまの後を付いてくるので神さまは聞いた。
「むすめ、何故ついてくるのだ?」
「あなたが転がると、うっとりしちゃうの。なんだかいい音がするから」
神さまはみっともない音だと思っていた。
身体のあちこちをぶつける音だもの。
褒められるとは思ってもみなかった。
神さまは張り切って転がった。もっと目が回った。

《Trompong》

2006年1月14日土曜日

進め!ネズミたち

ラモンとシモンは眠ってばかりの双子のネズミ。
ともだちの掃部くんのポケットの中でくにゃり、チーズを食べながらくにゃり。
だけど二匹は力持ち。
大きな声で歌いながらションヴォリ氏と主水くんと掃文くんを車に乗せて運ぶのさ。
三メートルだけね!

《Fiddle》

2006年1月12日木曜日

ドールハウス

祖母の家に行くと、いつも小さな人形が働いていた。
祖母が若い時に作った、木の人形。
男の子か女の子かもわからないけれど、顔は祖母に似ているように思う。
祖母は、人形を長い時間かけて働けるようにしたそうだ。
魔法を使ったんだ、と祖母は笑いながら話した。
ようやく人形は働き出したのは祖母の背が小さくなるころだったらしい。うまくできている。
私が訪ねると、急がしそうにお茶を沸かしたり、お菓子を出してくれた。
人形の名前を祖母は教えてくれなかったので
私は「あの」だとか「ねえ」と言って人形を呼んだ。
人形は「ハイ」と言ってこちらに来てくれた。
私はその声と足音が好きだった。
だから用もないのに祖母の家に言って、用もないのに人形を呼んだ。
今、お誂えの小さな椅子に座っている人形に「ねぇ」と言っても返事はない。
人形を床に立たせても弾むような足音は聞こえない。

《Clarinet》

2006年1月10日火曜日

沈みの涙

地面に伏せ、肩を震わせて涙を流している女が、姉さんと気付いて、僕は慌てた。
それまで見惚れていたことを取り消そうとしたけれど、どうにもならない。
泣いている女が姉だとわかっても、声は掛けられなかった。
涙が地面に溜まっていくのを、僕は息を飲んで見ていた。
さっき慌てたことも忘れて、やっぱり見惚れている。
涙は地面に吸い込まずに女の身体にまとわりつき、少しづつ沈めていた。
ついに女の身体は涙に沈んで見えなくなった。
「姉さん」
と言ってみたが、掠れた声しか出てこなかった。
そしてまた、大きな涙の中でうずくまる姉に、見惚れる。

《二胡》

2006年1月9日月曜日

First Contact

産まれたばかりの赤ん坊が、息もつかずに喋り続けている。
「誰と喋ってンだろ。」
僕は外に出た。弟の交信相手を探すために。
弟の声が小さくなるのと入れ代わるように別の声が聞こえてきた。
一度も途切れず続く喋り声。何を言ってるのかわからないけれど。
「この声だ」
慎重に声を辿る。
もう家は見えない。まだロクに外に出たこともない赤ん坊がこんな遠くまで声を届けているなんて。
だんだんと近付いているのがわかる。弟の交信相手はもう、すぐそこだ。
相手に会ったらなんて挨拶しようか…たぶん赤ん坊だよな。

立ち止まった僕は段ボール箱の中で鳴く子猫を抱き上げた。

《Highland Pipe》

老いた少年の歌声

少年は九十二才である。
いたずらが大好きな彼は、ニヤリと目を輝かせると、曾孫の靴を履いて外に出て、歌い始めた。
あまり大きな声ではないけれど、行き交う人の中には足を止めて聴き入る者もある。
「どうもありがとう」
満面の笑みの少年が、曲がった腰をもっと曲げてお辞儀をする。
曾孫の靴を脱ぐと、コインやキャンディーをひとつづつ拾い、靴の中に入れる。
コインやお菓子で一杯になった靴を大事に抱えて、少年は家に帰る。
曾孫の驚く姿を想像しながら。

《Fagotto》

2006年1月5日木曜日

二人は雪の上に

積もった雪の上で妖精を見つけた。二人いる。
姿かたちはそっくりなのに一人はテキパキしていて、もう一人はしゃなりとしている。
二人の妖精は、せわしなくおしゃべりをしている。
飛んだり跳ねたりしながら大声で言い合ったり、ひそひそ囁きあったり。
でも私には何を言っているのか、わからない。
しゃがみ込んでいたら、お尻が寒くなってきたので声を掛けた。
「何話してんのさ?」
案の定、妖精は消えてしまった。
でも小さな小さな足跡は、しっかりと雪に残っている。
春にはこれも解けてしまうけれど。

《津軽三味線》

愉快な混乱

黄金に輝く湖の水面を、弟は舞っていた。
弟はもう私より背が大きいのに湖の上で舞う姿は華奢で、はかなげで、たどたどしい。
湖の上で踊ってどうして沈まないんだろ、と思いながら、私は目が離せなかった。
弟は、しばらく水面でつつつ、と舞っていたが
突然高くジャンプして、水中に飛び込んだ。
撥ねた水が私を濡らす。
それを見て笑う弟の顔は、ずいぶんたくましくて、私は愉快な混乱に陥る。

《Horn》

2006年1月3日火曜日

超合金の目玉が空を見る

超合金のトラちゃんが、女の子を背に乗せて歩く。
まるく冷たい肉球で大地を踏み締める。
「トラちゃん、見て」
と女の子は空を指差す。
「どれどれ?」
トラちゃんと女の子は色とりどりのキャンディがキラキラと輝きながら降ってくるのをうっとりと眺めた。

《Sitar》

2006年1月2日月曜日

Cat's Tears

洗濯物を干していたら、猫がやってきて私の足にじゃれる。
くすぐったいので、ひょいと抱き上げたら、猫ははらはらと涙を流していた。
とめどなく流れる涙が朝日を浴びてキラキラしている。
「悲しいの?」
と猫に聞いた。猫は違うという。
「痛いの?」と聞いても「苦しいの?」と聞いても「寂しいの?」聞いても違うという。
猫は消えいるような声で、すごく楽しい、と鳴いた。

《Soprano Saxophone》

2006年1月1日日曜日

鐘の音

ヒャクとヤッツが鐘を鳴らす。
ヒャクが大きい鐘を、ヤッツが小さな鐘を。
ヒャクの鐘の音は大地を走り、ヤッツの鐘の音は空を駆け抜ける。
二人が年に一度鳴らす鐘は、地平線の向こうまで届くのだ。
ところが雨が邪魔をする。雨粒が鐘の音を飲み込む。
いくら鳴らしても、二人の鐘は響かない。
それでも雨は、二人の笑顔までは阻止できない。
だからヒャクとヤッツは鐘を放さない。