2005年3月10日木曜日

鈴が鳴るとき

 ピエロはしゃぼん玉から現れた。
 宿題を済ませたリオは部屋の明かりを落とし、窓を開け、しゃぼん玉を吹く。住宅街の街灯に、リオのしゃぼん玉が照らされ、弾ける。
 窓際の床にしゃがんでいるリオの傍らには、小さなラジオが置かれている。流れてくるのはリオの知らない言葉だ。何を言っているのかわからなくても構わない。ただ誰かが生きている気配と、時間の流れを感じられればよかった。ラジオが伝える零時の時報を確かめるとリオは最後のしゃぼん玉を吹き、それが弾けるのを見届けてベッドに向かう。それがリオのおやすみの儀式。
 今夜、零時のしゃぼん玉が街灯に照らされ輝いた時、ピエロが現れた。爪先が長くカールした靴を履き、細かな刺繍の施されたベストを着、赤い鼻をつけ、先っぽに大きな鈴の付いたとんがり帽をかぶっている。ピエロは子供だった。リオは自分と同い年だとすぐにわかった。
 ピエロは丁寧にお辞儀をして踊りはじめる。クタクタとしたその滑稽な動きにリオは笑った。身を翻すたび、その小さく引き締まった身体は街灯を反射して七色に輝いたが、帽子の鈴は決して鳴らなかった。リオが拍手をするとピエロはふわりとリオに近付いてきて窓の前でとまり、そのまま浮かんでいる。窓の向こうとこちら、しかし開け放たれた窓は二人を遮らない。リオとピエロは見つめあった。ピエロは灰色の瞳を動かさない。
 リオは誰かとこんなにも深く長く見つめあったことはなかった。リオもピエロも視線を外さなかった。リオは視線のはずしかたを知らなかったし、はずしたくなかった。もっと近くで、そう思うとリオの手がゆっくり伸びた。
「ダメ、だよ」
 ピエロが呟き、リオはすばやく手を退いた。ピエロの声がリオの体内でこだまし、リオの髪を胸を背中を足を撫でていく。二人はさらに深く見つめあう。
 リオは窓の外へ身を乗り出した。ピエロは何も言わずに小さく笑う。リオのくちびるがピエロに触れる。チリン。とんがり帽子の鈴の音を残してピエロは消えた。
 しゃぼん玉はいつか弾ける。リオはもう、しゃぼん玉を吹かない。


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