2005年2月28日月曜日

解く

高校生の息子が5才だったころ、蝶ばかり書いていたことがある。
都会育ちの彼が目にする蝶は限られていたし、蝶を見てもそれほど興味を持っているようには思えなかった。
それより驚いたのは、ほかの絵と比べて蝶の絵だけ明らかに緻密で丁寧に時間をかけて描いていたことだ。
その様子に、自分の息子ながら圧倒された。こんな絵が描ける息子を誇らしく思う一方で、ほんの少し気味悪くも思っていた。
息子の蝶への執着は三か月ほどで終わった。その数、80枚。毎日のように描いていたのだ。私は全てをファイルし、本棚にしまった。

昨日、息子は自分の手でファイルを見つけた。
「これ、おれが子供ん時のでしょ」
「そう。覚えてるの?」
息子はそれに答えず、ファイルから蝶の絵を取り出し、一枚づつ破き始めた。
「ちょっと!何してるの。せっかく小さい時のアンタががんばって描いたのに。もう同じのは描けないんだよ。だからファイルに入れてしまっておいたんだから」
私は言いながら泣いていた。息子は紙を破る。蝶が一頭、また一頭と窓から飛び立っていった。

2005年2月27日日曜日

国宝「花蝶図屏風」焼失

手紙が来るなんて、ずいぶん久しぶりだ。確かに明日は誕生日だ。オレは悪友からのカードと信じて白い封筒を開いた。
畳まれた花柄の紙、中には蝶が入っていた。何と言う蝶かは、わからない。青く輝く蝶。
「キモい…」
オレは実際声に出しながら腕を精一杯伸ばし、ソレをテーブルの上に置いた。
参った。どうしよう。
しばらく悩んだ後、俺は紙ごと蝶を灰皿の上に置き、ライターの火を近付けた。
炎は予想外に大きく慌てて水を用意したが、結局使わなかった。全部灰にしてしまいたかったのだ。

2005年2月24日木曜日

現代っ子

鮮やかなみどり色した蝶が、ビル街を飛んでいる。おや、蝶はこちらに向かってくるではないか。
ここはコーヒーショップの屋外テーブル。店内には客がいるが、外の席には私しかいない。
蝶はまっすぐに近づいてきて、私が持っていたカップの縁にとまり、コーヒーを飲み始めた。
「もし、ちょうちょさん?」
蝶はピタリと動きを止めた。
「コーヒーはおいしいかい?お花の蜜はいいのかい?」
[お花は飽きちゃった。ごちそうさま、コーヒーおいしかった。ブラックが一番ね。]
蝶はウインクして飛び去った。蝶はウインクなどしない、もししたとしてもわかるはずがないのは、承知している。

2005年2月22日火曜日

「銀世界に舞う蝶がいるのを知っているか?」と、隣の男は言った。
私は友人とバーのカウンターで昆虫談義に花を咲かせていた。
男はそれを聞いて話に割り込んできたのだ。
「え?」
「私は15才だった。学校から帰る途中、雪が強くなり、とうとう吹雪になった。」
男は低く小さな声でゆっくりと話始めた。
私は友人と顔を見合わせたが、黙って話を聞くことにした。
「吹雪で前が見えないはずなのに、遠くに一頭の町蝶が見えた。梅のような紅の大きな蝶だった。私はそれを目指して歩いた。幾度も転び、それでも歩いた。」
私はなぜか眠気を覚えた。気付くと友人は既にカウンターに突っ伏して寝ている。
「追い掛けるうちに紅い蝶は、だんだんと数が増えていき、まるで燃え盛る炎のようだった。あそこに行けば暖かいだろうと思い歩き続けた。」
私の記憶はそこで途切れた。

「おい、起きろよ。」
友人の声に促され、私は慌てて店を出る支度を始めた。隣の男はいなかった。つい今し方お帰りになりました、とマスターが言った。彼が残したグラスの中ではは、スノードームのように輝く粉が舞っていた。

2005年2月21日月曜日

欲望

タカオの左腕には大きなアザがある。
「チョウみたい」
女がそこに唇を近付けようとしたのを乱暴に振り切る。

アザはかつて、本当に蝶だった。
七歳の時、タカオが捕まえたアゲハ蝶。
蝶は弱っていた。虫捕りが不得手だったタカオにあっけなく捕まり、それを待っていたように事切れた。それでもタカオは興奮した。
タカオは初めての獲物をじっくり見た。細かい毛、極彩色、鱗粉。すべてが不気味に美しかった。
と同時に、得体の知れない衝動に駆られてアゲハ蝶を左腕に右手で押し付けた。強く強く手が痺れるほどに。
いよいよ感覚がなくなって手を放すと、蝶はなく腕に蝶型のアザだけが残った。アザを見て母親は心配したが、タカオは満足だった。むしゃくしゃした時はアザを見た。蝶のアザは俺の勲章なんだ。

「こっちの獲物は、逃げても惜しくないな」
タカオは横たわる女を見下ろして思う。

2005年2月20日日曜日

山口さんのリボン

ポニーテイルの山口さんは、いつも大きなリボンを付けていた。
「きれいなリボンだね」
僕の真っ赤な顔を見ると少し驚いた顔して
「ありがとう」
と言った。
「でもね。これ、リボンじゃないんだ。ちょうちょなの」
山口さんは屈んで頭がよく見えるようにしてくれた。
ピンク色の蝶が、静かに羽を揺らめかせながらとまっていた。
「ね?」
 その夜、山口さんはいなくなった。町内総出で捜したが、何も見つからなかった。
「虫捕り網をもった男にかどわかされた」
と、目撃者は言った。それ以上の手掛かりはなかった。
翌日、山口さんは帰ってきた。服も汚れていなかったし、怪我もなかったが、ポニーテイルにリボンはなかった。
山口さんは、僕の顔を見て、泣いた。いつまでも泣いた。

2005年2月18日金曜日

真夏のタマゴ

タマゴが公園を散歩していた。
このタマゴ、身長約壱米、手足もついている。タマゴのバケモノと思って下さればよろしい。
さて、タマゴが公園を散歩していた。
都内でも大きなこの公園、たくさんの人が夏を楽しんでいる。
杖を振り回しなが歩いていたおじいさんの杖にぶつかり、タマゴに少しヒビが入った。
タマゴはそこいらのタマゴとは違うので(なにしろバケモノだ)そのくらいの衝撃では割れることはない。
タマゴは散歩を続けた。
子等の投げる球が当たり、またタマゴにヒビが入った。
ベビーカーにぶつかり、またまたタマゴにヒビが入った。
このあたりでタマゴは散歩にきたことをやや後悔する。
そして犬に吠えられた。驚いたタマゴはゴロンと転んでヒビからまっぷたつに割れてしまった。
真夏の太陽に照らされたアスファルトの上で、あられもない姿になったタマゴは目玉焼きになった。

2005年2月17日木曜日

真実はキミだけが知っている

「これは良い卵、これは悪い卵」
とナタ子は言う。
「どうして?どこが違うの?」
「これは間違った卵、これは正しい卵」
ナタ子は「悪い卵、間違った卵」を庭に捨てる。
「止めて!」
私の制止に構うことなく、卵が庭で割れていく。
ほとんど手入れされていない空き地のような庭のあちこちに卵の残骸。
10個のうち残ったのはたったの四個。
「これでホットケーキを作るのです」
ナタ子は[ナマムギナマゴメナマタマゴヤキムギヤキゴメヤキタマゴ♪]と早口言葉をハミングしながら調理を始めた。
翌日、ナタ子の家の庭には六輪の真っ赤な薔薇が咲いていた。

2005年2月14日月曜日

たまごを抱いた猫

昨日からペットのカニゾウ(♂六才)がヒーターの前から動こうとしない。
「ちょっとカニゾウ!掃除するんだからどいてよ」
ただでさえぐうたらデブ猫だったがいよいよ動かない。
「んもう!」「に゛ゃ」
私はカニゾウをむりやり持ち上げた。
「カニゾウ?なにこれ?たまご~?あんたオスでしょ。その前に哺乳類!」
カニゾウは知らん顔して去ろうとしている。
「待ちなさい。どーしたのこのたまご。あんたがあたためても孵らないと思うんだけど。もう死んじゃってるかもしれないし」
こちらに戻ってきたカニゾウは私と一緒になってたまごを見つめている。
カニゾウはゆっくりと前足でたまごを撫でる。私にパンチを食らわす時とは大違いだ。
「あ!」
たまごにヒビが入った。
「え?うそ。産まれる?」カニゾウは私に自慢げな顔をしてみせる。
「すごいよ!カニゾウ!お母さんじゃん。あれ?お父さんか?まあ、どっちでもいいや」
私は生まれてきたトリケラトプスを抱えてカニゾウを労う。奮発して高級ネコ缶をご馳走してやるぞー。

2005年2月13日日曜日

失禁問答

ギーコギーコ
「あの~何してるんですか」
「卵切り」
ギーコギーコ
「タマゴキリ?」
「そ。卵切り」
ギーコギーコギーコギーコ
「それ、卵なんですか?」
「おめさん知らんのか?カテマノハの卵、旨いよ?」
ギーコギーコギーコ
「カテ……。知りません。それ、鳥ですか?」
「鳥っちゅうか、カテマノハ。」
「はあ。ノコギリじゃないと切れないんですか?」
ギーコギーコギーコギーコ
「質問の多いやっちゃな。こうしないと切れないからこうするの。」
ギーコギッ
「あ!切れた…」
「ちょっとなめてみな」
「い、いただきます。あ?あれ?いや、あ。あ。」
「あ~あ、漏らしちゃった。これだから都会の者はダメだ」

2005年2月11日金曜日

17才だった

風船売りの少女。風船を乳母車に結わい付けて佇む。温かいココアが飲みたい。早く来て。

ひとりぼっちの少年。鏡の中の少年に語りかける。「あの娘はどこ?」

少年は捜す。道路に落書きする子供。時間が気になるナポレオン。タイヤの外れた救急車。髭の易者。プールの中。太った牧師。鳥籠で眠る猫。
誰に聞いても答えは同じ。「ぺのぺの」

相変わらずチェスの駒はトマトジュースを吐き出し、天使は金の話ばかり、オオカミは立ち小便をし、空にはレモンの気球。

それでも少女は待ち続ける。温かいココアを。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
佐々木マキ「セブンティーン」1968年 をモチーフに

2005年2月10日木曜日

呑気な家族

弟は石を拾ってくるのが好きで、毎日のように石を抱えて帰ってくる。
そして持ち帰った石のスバラシサを家族に語って聞かせるのだが、確かになんともいえぬ味わいがある石が多い。
私もたまに弟の真似をして道端に目をやりながら歩いてみるのだが、なかなか弟のようにはいかない。あれはあれで見る目があるのね、と私は感心する。
ただ困ったことに弟が持ち帰る石の三分の一は、何物かの卵で、いつのまにか魑魅魍魎の類いが家の中を跋扈しているのだ。
それらは魑魅魍魎としか言いようがない、つまりは妖怪のようなものなのだが
父も母も弟も気にする様子がなく
こんなお化け屋敷では友達が呼べないと悩んでいるのは、私くらいらしい。

2005年2月8日火曜日

旅先で立ち寄った古書店のこと

知らない本屋、特に古本屋に入るのは、なかなか勇気がいるものだ。頑固な店主がハタキを持って待ち構えているかもしれない。しかし、掘り出し物への期待は、何よりも勝る。
私は初めて訪れた田舎町(どこの国のなんという町であるかは、私の胸に留めておきたい)で一軒の古書店を見つけたのだった。
私は埃と古い紙の匂いを思い店に入った。しかし、私の嗅覚は確かに「卵焼き」の匂いを感知したのだ。
それもそのはず、店には卵の本がずらりと並んでいたのだ。
「卵との日々」
「あぁ卵海峡」
「卵戦争はなぜ起きたか」
「卵伯爵の日記」
「世界の卵料理」
「1st写真集《16才、はじめての卵デス☆》」
「卵はかく語りき」
「1635年版卵白書」
「禁じられた卵」
「明解卵」
「どこかで卵が」
「歌劇【卵の湖】」
私は「卵詩集」と「卵の教え~卵教入門」 を手にとりレジへ向かった。
レジで眼鏡を掛けた卵に760×(国を特定できないよう通貨単位を記すことを避ける)を渡し店を出た。
帰路の汽車に乗り「卵詩集」を読もうと鞄を開けると、「卵詩集」も「卵の教え~卵教入門」も消えていた。そこには二つのゆで卵があるだけであった。

2005年2月7日月曜日

だからぼくはタマゴが嫌い

ママは、タマゴを買ってくるとペンで顔を書く。
ママにはタマゴの名前がわかるらしい。
「あなたはタカシ。きみはエリオット、あなたは…?そう、マナミね」
だから冷蔵庫には近付けない。
料理をするときは「さ、カオリ、マユミ、マコト。あなたたちはおいしいオムレツになるのよ。協力してね」と語りかけながら割る。生ゴミ入れには、砕けた「カオリ」たちの顔が。だから流しには近付けない。
テーブルについたぼくにママが言う。
「今日のオムレツはカオリとマユミとマコトなの。たくさん召し上がれ」

2005年2月6日日曜日

みなしごとたまご

おれはものごころついてからたまごしか食べたことがない。
毎日、差配さんのうらにわににわいるにわとりがたまごをうむ。
にわとりの名前は「あさこ」と「ゆうこ」。差配さんは、「コッコ」「ケッコ」とよぶ。
あさこは毎朝おなじ時間にたまごをうむ。差配さんもまだねている時間だから、かんたんだ。あさこのうんだたまごをちゃわんに割ってのむ。うみたてのなまたまご。これがあさめし。
ゆうこはそうはいかない。たまごをうむ時間はきまぐれだし、差配さんが家にいるからだ。差配さんはおっかないから、みつかるところされるかもしれない。でも、ぜったいにしくじらない。うらにわのつばきのかげで、ゆうこがたまごをうむのを待つ。たまごをうむとすばやくとって、にわからはなれる。
ちゃわんにたまごを割るとハンバーグがでてきた。
おれはたまごしか食べたことがない。

2005年2月3日木曜日

豆まき…デラックス百科事典より

東の某島では、春の報せが訪れる直前、悪魔払いと家内安全を願う古代から続く風習がある。
オニと呼ばれる悪魔を懲らしめるため、オニの卵である豆を屋内外に撒き、また食することにより、
恙無い一年を約束するという。
オニの卵を撒いてはオニが殖えるのではないか、という我々の疑問に、島民は一切答えない。

2005年2月1日火曜日

素敵なお茶会

「いらっしゃい、ユウタくん」
ぼくがタキコさんのアトリエに呼ばれたのは、父さんからお使いを頼まれたからだ。
 タキコさんは学校を出て三年の絵かきで、父さんの作る筆を使っている。言わばお得意さんだ。
今日父さんは外せない用事ができたので、ぼくが代わりに筆を届けに来た。
 タキコさんのアトリエは絵の具や筆、得体の知れない細々としたものがそこら中に散らばっているし、絵の具の匂いが充満しているけど、それをイヤだとは思わなかった。それどころか、なんだかワクワクする。
「遠かったでしょ?お駄賃あげなきゃね」
タキコさんはイタズラっぽく笑った。父さんがお金を貰ってきたら駄目だと言ったのをわかっているのだ。
「お茶にしましょ。こっちにいらっしゃい」
テーブルには、サンドイッチとマグカップとバスケットに入ったいくつかのタマゴとポット。
タマゴ?
「何飲む?紅茶でもココアでもジュースでもいいのよ。」
「寒かったから…ココア」「はい、じゃあこれ」
タキコさんはタマゴをひとつ、ぼくのカップに入れた。
「え?」
「あら、ユウタくん、エッグココア初めてだっけ?じゃあ見てて。カンタンだから」
タキコさんはタマゴをひとつカップに入れた。
「わたしのはエッグティー、紅茶よ」
と言いながら、そのままお湯を注いだ。
「できあがり。んーいい香り。はい、ユウタくんの番」
ポットを渡され、恐る恐るカップにお湯を注ぐと、タマゴが溶けてココアになった。
「すごい!おいしい!」
「よかった。サンドイッチもたくさん食べてね」

 タキコさんのアトリエを出るとき、ぼくは言った。
「ねぇ、タキコさん。また遊びに来てもいい?」
「もちろん」
今度来る時はタキコさんの好きなケーキを買っていこう。