2003年12月31日水曜日

湯煙の中をさまよう主水くんのこと

広くて湯煙が立ちこめる浴場内を歩き回るのは難儀だ。
どんどん身体が熱くなり、主水くんの息は荒くなっていた。
大勢の人のざわめきとあちこちで流れる湯の音が反響する中でションヴォリ氏を呼ぶ声もかき消された。
「あ、あの洗面器は」
主水くんは桃色の洗面器の周囲にいる人々を見渡した。
そして湯に浸かっているションヴォリ氏を見つけた主水くんは、ションヴォリ氏ではない名を口にしたのである。

2003年12月29日月曜日

引く手あまたの毬子嬢のこと

主水くんが髪を洗われている間にも、何人かの人が毬子嬢に声を掛けていった。
「マリー、あとで頭を洗って欲しいんだ」
「マリちゃん、背中流してくれよう」
「頼んだよ、マリー」
頭を流し終えたところで主水くんは言った。
「おばちゃま、ありがとう。ぼくはもう自分でできますから。ほら、丈二おじさんが待ちくたびれてのぼせちゃいますよ」
「あら、ジョージ、あんなに真っ赤な顔して。そうねぇ、残念だけど」
毬子はウィンクして去っていった。
やっと解放された主水くん、心底ほっとした。
「あれ、博士はどこにいるんだろう」

2003年12月27日土曜日

毬子嬢のこと

主水くんは観念した。
こうなることは、はじめからわかっていたのだ。
確かに毬子嬢の洗髪は上手い。
広い浴場内をわざわざ探して彼女に頭を洗ってもらう人も少なくないのだ。
中にはお金を渡そうとする人もいたが、毬子はそれを嫌がる。
「こちらこそ洗わせてくれてありがとう。このお金は、次にここへ来るためにとって置いてちょうだい。そうしたらまた私が洗ってあげられるでしょ」
などと言ってやんわりと断っている。
本当に人を洗うのが好きなのだ。若い子が好きなのもまた、真実である。
主水くんがそんな毬子嬢に目をつけられないわけがない。
いくら上手に洗ってもらえるとは言っても、主水くんはトウのたった子供であるので
他人に身体を触られるのはどうにも具合が悪いらしい。

2003年12月26日金曜日

石鹸を泡立てる毬子嬢のこと

大浴場の中は熱気と湯気でモワンとしている。
「さ、モンドちゃん。あっちが空いているわ。座ってちょうだい。」
主水くんが腰をおろすと、毬子嬢は長いお下げをグイッと頭のてっぺんでまとめてから、勢いよく石鹸を泡立てはじめた。
またたく間に毬子の両手には白い泡が山盛りになった。
「髪の毛、しばらく洗ってないんでしょ?かゆいところはない?」
「頭も身体も自分で洗えますから」
主水くんは最後の抵抗を試みた。
「遠慮しないでいいの。自分で洗うよりキレイになるんだから」

2003年12月24日水曜日

毬子嬢の視線を浴びる主水くんのこと

主水くんはあきらめて服を脱ぎ始める。
「モンドちゃん、おっきくなったわねぇ。ちょっと前まであんなに小さかったのに。カモンちゃんは元気?たまにはお風呂に入らないと」
毬子嬢はねっとりとした視線を主水くんに浴びせながら
彼の脱いだものをさらりと畳んでカゴに入れていく。
手と目と口が別々の生きものみたいだ、と主水くんは思った。
「放っておいて下さい。自分でできますから」
「いいのよぅ」
主水くんは毬子嬢に気付かれないよう、大きく息を吐いた。
「さぁ。お風呂に行きましょう。背中洗ってあげるからねぇ」

2003年12月23日火曜日

主水くんを待ち受けていたもののこと

混浴の「河童・ド・キャア」は脱衣場もなにもない。
建物の中に一歩入れば素っ裸の老若男女がウロウロしている。
「あーら、モンドちゃん」
「来たな、ババァ」
いきなり主水くんに抱きついた裸の 老女に主水くんは顔を背けた。
「ババァなんて言葉、どこで覚えたのかしら」
「こ、こんにちは、毬子おばちゃま」
この老女こそが主水くんの悩みの種である。
「河童・ド・キャア」の常連の彼女はこの浴場のお節介ババさまなのだ。
「レオナルド、モンドちゃんが私のことババァなんて言うのよ」
白髪混じりのお下げをいじりながら毬子嬢はションヴォリ氏に訴える。
「ほ? なんだ。マリーか」
ションヴォリ氏は脱衣カゴを数えるのに夢中で釣れないお返事。
「いいわ、モンドちゃん。レオナルドは放っておいて早くお風呂にはいりましょ」

2003年12月22日月曜日

憂鬱な主水くんのこと

桃色の洗面器を抱え、石鹸をカタカタ言わせながら機嫌よく歩くションヴォリ氏の隣で主水くんは憂鬱であった。
実は主水くん「河童・ド・キャア」が少々苦手なのである。
ぼそりと主水くんは言った。
「博士、やっぱりサンライズ湯にしませんか?」
「34 35 36 37 38 39」
ションヴォリ氏は蟻の行列を数えるのに夢中で
主水くんの声などまるで聞いていない。
「ダメだこりゃ」

大通りの一番外れにある石造りの大きな建物が公衆大浴場「河童・ド・キャア」である。
ワンコインでいつでもだれでも風呂に入れる。
「あーぁ着いちゃった。」
主水くんの憂鬱はいまや最高潮である。

2003年12月21日日曜日

ションヴォリ氏の行き着けの銭湯のこと

ションヴォリ氏の行き着けの銭湯は幾つかある。
まずは街にある「サンライズ湯」。
摩耶の喫茶店の向かいの三軒先で、もっともよく通う風呂屋である。
繁華街の外れにあるのが「河童・ド・キャア」。混浴の大浴場である。
ションヴォリ氏の家の裏山の奥にあるのが温泉「緋刀の湯」。
赤い湯は爪に効くと言われている。
「さて、今日はどちらの湯をいただきに参りましょうか」
「ふーむふむ。今日はカッパ・ド・キャアにしよう」
ションヴォリ氏は河童という字を知らない。

2003年12月20日土曜日

銭湯に行きたいションヴォリ氏のこと

さて、ションヴォリ氏の楽しみは銭湯に行くことである。
もちろんションヴォリ氏の家にはバスルームもあるが、ションヴォリ氏曰く「家の風呂と銭湯は別物」だそうだ。
これは主水くんも大好きで、しょっちゅう二人は連れだって風呂に行く。
この日もションヴォリ氏はそわそわと主水くんがくるのを待っていた。
「おはようございます、博士」
「モンドくん、モンドくん風呂に行かんかね」
「もちろんお供します、博士」
この日ションヴォリ氏は桃色の服を着ていた。
主水くんはクローゼットから桃色の手ぬぐい、桃色の浴衣を出し、
物置から桃色の洗面器と桃色の石鹸箱、桃色の櫛を持ってきた。
物置にはションヴォリ氏の服に合わせて色とりどりの洗面用具が揃えてあるのである。
「まだかね、モンドくん」
ションヴォリ氏は落ち着きがない。
「用意できましたよ、博士」

2003年12月19日金曜日

阿礼の料理のこと

阿礼の手料理はかなりのものだった。
出てくるまでにずいぶん時間がかかったけれども。
なにしろ阿礼ときたら材料をひとつ手に取る度
「レタスはデラックス百科事典5863頁に……」
「デラックス百科事典によればマッシュルームは……」
と始めるのである。
阿礼はシチューとサラダを作った。
それからションヴォリ氏たちが初めてみるパンが出た。
掃部くんはこのパンがいたくお気に召したらしく以後ずいぶん「あれっくのぱんがたべたい」とダダをこねていた。
黄色い酒を飲んだ阿礼とションヴォリ氏はご機嫌だった。
とても盛り上がっていたが主水くんには二人がお互い独り言を言っているようにしかみえなかった。
掃部くんは雪だるまになつき、冷蔵庫の扉を開けっ放しにするのでなんども阿礼に叱られた。
こうしてションヴォリ氏一行は阿礼宅で楽しい一夜を過ごしたのだった。

2003年12月17日水曜日

雪だるまの言い分と掃部くんの証明のこと

「hello!ご機嫌いかが?」
「こんばんは、じゃっく。チーズがほしいんだ」
「ねずみはイヤだよ」
「ねずみのどこがいやなの?」
「かれらはチョロチョロと動き周りまーす」
「それならだいじょうぶだよ。これがぼくのらもんとしもん」
掃部くんは羅文と四文を掴んだ左手をポケットから引き上げた。
掃部くんの手の中でぐにゃりとしている二匹を見て雪だるまは驚いた。
「oh……?静かですねぇ」
「これでもきらい?らもんとしもんはチーズがないとしんじゃうよ」
「OK チーズを出ましょー」
雪だるまが体をよじると、奥にはたくさんの食べ物が見えた。
掃部くんはいっぱいに腕を伸ばしチーズを取ることができたのだった。
「アレック、人間どもも夕食の時間でーす」
雪だるまは言った。
「では、僭越ながら小生の手料理を召し上がっていただこう」

2003年12月16日火曜日

決意した掃部くんのこと

主水くんは慌てて冷蔵庫の扉を閉じ、ションヴォリ氏に助けを乞うた。
「博士、ジャックフロストはねずみが嫌いだと言っています」
「モンドくん、モンドくん、それならばカモンくんが直接ジャックフロストに頼めばよいではないか」
それを聞いた掃部くんは意を決した。
大事は羅文と四文にひもじい思いをさせるわけにはいかない。
ポケットの中に左手を入れ羅文と四文を掴んだまま
ズズッと鼻をすすり、深呼吸をして冷蔵庫の扉を開けた。

2003年12月11日木曜日

ねずみ嫌いの雪だるまのこと

「冷蔵庫についてはデラックス百科事典の10064頁に記されておる。冷蔵庫は雪だるまの夏眠のために開発された特殊な箱である。現在では雪だるまの夏眠だけでなく、食品の保管にも使用されている」
阿礼の解説に構わず掃部くんが言った。
「あんちゃん、らもんとしもん、おなかすいたって」
「あぁ、そうか。アレック、チーズか何かありますか?」
「それならば冷蔵庫を開いてみればよろしい」
主水くんはおそるおそる冷蔵庫を開けた。
「hello、ご機嫌いかが?」
「ハイ、ジャック。ねずみにやる、チーズをさがしてるんだけど」
「oh my god!ジャックはねずみが嫌いでーす」
ジャックフロストの叫びを聞いて掃部くんは火がついたように泣き出した。

2003年12月9日火曜日

阿礼の部屋にいた雪だるまのこと

ションヴォリ氏ははしゃいだ。
「昼間のように明るいですな。あの明るい棒がこの街に何本あるのか是非とも数えたいものだ」
などと言いながら部屋の中をウロウロしている。
「客人だ。ジャック・フロスト」
阿礼は大きな箱に向かって言った。
「アレック、誰かと一緒に住んでいるのですか?」
主水くんが近づくと大きな箱の中には雪だるまがいた。
「hello ご機嫌いかが?ジャックはアレックの同居人だよ」
「……ハイ、ジャック。お邪魔してます。ところでキミはどうして箱の中にいるのですか?」
「ジャックは冷蔵庫の中にいないと溶けてしまうのさ」
「れいぞこってなに?あんちゃん」
「……あんちゃんにもわからない」

2003年12月8日月曜日

狭い箱の中で後悔している主水くんのこと

「こちらへ」
阿礼に続き一行は白い光があふれる背の高い建物の一つに入った。
建物の中に入るとまたすぐに扉があった。そのような造りの建物は長く生きてきたションヴォリ氏でも初めてだった。
阿礼が何やら丸い物に触れると扉が音もなく開き、中に入る。中は狭い。四人でいっぱいの広さである。
「12階に小生の住まいがござる」
と言って「12」と書かれているところを阿礼が触れた。
「え?そんなに高いところに?」
主水くんは少し後悔していた。阿礼がこんな遠くて不思議な街に住んでいるとは思ってもみなかった。
身体がスゥとする。耳もおかしな感じだ。
緊張している主水くんのに対し、ションヴォリ氏は好奇心旺盛である。
「これは動いておるのですな?なんという乗り物で?
エレキベイター。はー。ここを触ると? ふむふむ。なるほど」
阿礼は阿礼でションヴォリ氏の疑問にいつもの調子で答えている。
「エレキベイターはデラックス百科事典の386頁に……」
チンと音がして、 扉が開いた。
「到着いたした」
「どこに?」
「小生の住まい」

2003年12月6日土曜日

思いがけなく遠かった阿礼の住む街のこと

立ち上がった阿礼は主水くんが見上げるほど大きかった。
掃部くんは彼の腰までしかない。
「では参ろう」
阿礼はゆっくり歩きだした。
阿礼の家は思いがけなく遠かった。
ションヴォリ氏の家とは逆の方角で、主水くんは初めて踏み入る土地だ。
すっかり日が暮れ、掃部くんは主水くんに背負われて寝てしまった。
 やがて隣街に到着した。
ションヴォリ氏一行にとっては珍しい光景が広がっている。
夜空の下は白く輝いていた。あまりの明るさに掃部くんも目を覚ました。
背の高い建物の窓がひとつひとつ青白く光っている。
暖かい揺らめく明かりはどこにも見られない。
「アレック、ずいぶん遠くに住んでいたのですね」
阿礼はニヤッとした。

2003年12月4日木曜日

萎縮してしまった掃部くんのこと

「アレック!」
主水くんが大きな声を出し、掃部くんはビクッとした。
阿礼は聞こえるのか聞こえないのか、つぶやき続けている。
「やはりウルトラデラックス百科事典でなければ……」
「はぐらかさないで、アレック。ぼくたちはアレックともっと仲良くなりたいのです」
主水くんは一呼吸置いて言った。
「知りたいのはあなたのことです」
「……各々方は、小生の住まいを知りたいと、申すのか」
ようやく阿礼は顔を上げた。
「さようでござりまする」
ションヴォリ氏が阿礼の口ぶりを真似て答えたので
主水くんはちょっと笑った。
しかし、主水くんにしがみつく掃部くんの手の力はますます強くなった。
「では案内いたそう、小生の住まいへ」

2003年12月3日水曜日

ションヴォリ氏と主水くんが本当に知りたかったこと

「ありがとう、アレック。もう一つ質問してもいいですか?」
主水くんはまっすぐ阿礼の目を見て言った。
主水くんとションヴォリ氏が、本当に聞きたかったのはルーシーのことではなかった。
「よかろう。小生は各々方に知識を分け与えることに惜しみはない」
今度はションヴォリ氏が口を開く。
「アレック、あなたの家を教えて下さい」
阿礼の顔色が変わるのを見て掃部くんは緊張した。
主水くんの陰に隠れ服の裾を握り締める。
「それはデラックス百科事典には記載されていない。やはりウルトラデラックス百科事典を購入せねば……」

2003年12月2日火曜日

ルーシーのこと

そして阿礼は声色を変えて一息に言う。
「カウンセラールーシーはマシュマロパイが大好物、黄色いセロハンチューリップの花畑で踊る。ある朝、ルーシーは次の言葉を遺しオレンジの空へ飛び立った。
{あたしの助言は必ずあたる。100%の保証付き。}
この偉大なるルーシーの伝説はジェームズ・マクドナルドによって歌い継がれていくであろう」
三秒ほど間があって阿礼は帰ってくる。
「以上、デラックス百科事典に拠る」

2003年12月1日月曜日

冷えた椅子

林の中で見つけた小さな木製の椅子を、その足で近所の年寄りに見せることにしたのはなぜなのか、自分でもよくわからない。
「あぁ、もうこの椅子は死にかかっているよ。」
「どうしてわかるのですか?」
「ほら、ここを触ってみなさい」
私は塗装がはげ、泥がこびり付き、苔まで生えかかった座面に手をあてた。
「痛い」
「そうだろう、冷えきっているから痛いんだ。おまえさん、なぜこれを拾ってきた。
どうせならもっと良い椅子を拾えばいいものを」
「なぜって……」
「これが椅子だとよくわかったな」
そう言われてみると目の前にあるのは、椅子にはとても見えない朽ち果てた代物だった。
それでも拾わずにいられなかった。無我夢中で絡んだ雑草から引っ張りだし、積もった泥を落としてここへ持ってきたのだ。
私は涙を堪え、声を絞り出した。
「これは、ぼくの椅子だ。 ぼくの椅子なんだ。やっと見つけたんだ。」
「そうだ、よく言った……大事になさい。」

********************
500文字の心臓 第33回タイトル競作投稿作
△1×1

2003年11月30日日曜日

阿礼のこと

「あんちゃん、あれっく、あそこにいるよ。」
アレックこと、阿礼は街路樹を背もたれにしてしゃがみこんでいた。
黒い服と黒い帽子。傍らには百科事典と虫眼鏡。
「こんにちは、アレック」
主水くんが声をかけると阿礼はいつもと同じ調子で言った。
「各々方、よくぞ参った。各々方に小生の知識を分け与えて進ぜよう」
「では、ルーシーについてを教えて下さい」
「ルーシーについてはこのデラックス百科事典の9753頁に記されておる。されども、小生に百科事典は必要ない」
ならば、そこの分厚い本は何だ、などという野暮な質問はしてはならない

2003年11月29日土曜日

目を輝かせた主水くんのこと

「博士、時間です」
ションヴォリ氏はくちびるを突きだした。
「もっとおってもいいではないか」
「いけません」
「今日はアレックが出てるよ、モンド」
摩耶の言葉を聞いて主水くんは目を輝かせた。
アレックというのは唯一主水くんの時間を狂わせることができる人物らしい。
「では、アレックのところに行かなくてはいかんな」
とションヴォリ氏も言った。
「また来週もくるよ、マヤ」
「待ってるからね、レオナルド」
抱きしめ合う二人の周りを掃部くんはぐるぐる回った。

2003年11月28日金曜日

摩耶の歌声のこと

摩耶の歌声を発見したのはションヴォリ氏、その人だった。
まだションヴォリ氏のガールフレンドが摩耶ではなく、彼女の母だったころのことである。
摩耶はいつもいつもパクパク口を動かしているのだった。
ションヴォリ氏は摩耶に問うた。
「マヤ、なにをしているんだ?」
「おうたをうたってるの」
この問答は何度も繰り返された。
だが、ションヴォリ氏には何も聞こえない。
「マヤ。マヤの歌、聞こえないよ。もっとよく聞こえるように大きな声で歌っておくれ」
摩耶は悲しそうな顔をした。
ションヴォリ氏は耳に手をやり、摩耶の口元に近づけた。
「ああ、少し聞こえてきたよ。摩耶の声は小さいね」
ションヴォリ氏は耳に持ってきていた手をはずした。
すると、摩耶の歌は全く聞こえなくなったのだ。
ションヴォリ氏は摩耶に歌い続けるように言い、自分の手を耳に近づけたり遠ざけたり、何度も試した。
「ナムサン!この子の歌声は聞く者が耳を塞いで初めて聞こえるのだ」
そしてションヴォリ氏は摩耶を暗く静かな場所にある、
つまり一番繁盛していない喫茶店に連れていき舞台に立たせることにしたのだった。

2003年11月26日水曜日

お客たちが一斉にしたこと

薄暗い舞台に現れた摩耶に気づいた店内はしんと静まり返った。
お客が一斉皆耳に手を当てて息を殺しているのだ。
もちろん主水くんも耳を塞いだ。
掃部くんは変な動物の皮を頭からすっぽりかぶっているから耳を塞ぐ必要はない。
ションヴォリ氏はコルクで作った耳栓をした。
摩耶は唯一無二の声で歌い始める。
摩耶はこの喫茶店の、いや、この街の歌姫だ。
その声を目当てに店に来るものも多い。
昼も夜も街の人たちのために摩耶は舞台に立つ。
ただし、どういうわけか耳を塞がなければその声は聞こえないのだ。

2003年11月25日火曜日

ションヴォリ氏のガールフレンドのこと

摩耶はションヴォリ氏のガールフレンドだ。
摩耶の母も、そのまた母もションヴォリ氏のガールフレンドだった。
そのまた母もガールフレンドだったような気がするがションヴォリ氏はよく覚えていない。
だからと言ってションヴォリ氏と摩耶に血のつながりはない。
ションヴォリ氏は摩耶に会うために毎週この小さくて暗い喫茶店に通う。
掃部くんはパフェやケーキを食べるために通う。
主水くんは、二人が通うので通う。

2003年11月24日月曜日

ションヴォリ氏に抱きついた少女のこと

その店のドアを開けるやいなや、ションヴォリ氏は叫んだ。
「マヤ!」
摩耶と呼ばれた少女は舞台を降り、三人に駆け寄った。
「レオナルド!」
摩耶はションヴォリ氏に抱きついた。
スラリと背の高い摩耶の胸が、ションヴォリ氏の顔に押しつけられた。
店中の視線が二人に注がれる。
「モンドとカモンもよく来たね」
今度は掃部くんを抱き上げて頭を撫でる。
「毎週来てるけどね」
主水くんは呟いた。照れ隠しである。
「わたし、舞台に戻らなくちゃ。好きなだけ飲んでて。カモン、パフェもあるからね」
言われるまでもなく掃部くんはパフェに取りついている。
パタパタと舞台に戻るドレス姿の摩耶をションヴォリ氏は名残惜しそうに見つめた。

2003年11月21日金曜日

あっけなく終わったドライブのこと

突然ぴたりと車は動きを止めた。
「ドライブ終了」
ションヴォリ氏は木箱を降りた。
続いて主水くんも降り、掃部くんを抱きかかえて降ろした。
掃部くんは木箱の後ろで眠ってしまった羅文と四文をつまみあげ、ポケットに入れる。
「さて参りましょう。」
主水くんは歩き出した。
「今日はまぁまぁでしたね、博士」
「ほ。この前は門までたどりつかなかったからなァ」
「らもん、しもん、すごくがんばった」
木箱はほったらかしである。
なにしろ家から50メートルも離れていないのだから。
さて、歩き始めて19分34秒後(家を出てからは53分26秒後)
繁華街に到着した三人はまっさきに喫茶店に向かった。

2003年11月20日木曜日

追い越していったカタツムリのこと

さすがの羅文と四文も三人を乗せた木箱を押すのはしんどい。
言うまでもなく、そのスピードは歩くのより遅い。
もっとも、たとえ乗客が掃部くん一人でも歩くのよりも遅いが。
だが三人はそんなことにはおかまいなし。
ドライブを心底楽しんでいる。
「ほれ、モンドくん。カタツムリが抜かしていくぞ」
「はい、博士。ほら、掃部。カタツムリは速いなぁ」
「うん、そうだね。あんちゃん。みてよ、れおなるど。カタツムリがもうあんなにとおくなったよ」

2003年11月19日水曜日

ションヴォリ氏のマイカーのこと

「車の用意ができましたよ、博士」
「ほーい。さ」
空色のステッキを振り回しながらションヴォリ氏がおもてに出てきた。
外には車輪がついた大きな空色の木箱があるだけだ。
これがションヴォリ氏のマイカーである。
主水くんの言う「準備」は木箱の外側にションヴォリ氏の衣装と合わせ、空色に塗ることだったのだ。
まだ鼻をツンと刺すペンキの臭いがする空色のマイカーにションヴォリ氏は「どっこらせ」と乗り込んだ。
主水くんも「どっこいしょ」と乗り込んだ。
いつの間にか来ていた掃部くんも「よいしょ」と乗り込んだ。
「しゅっぱつー」
掃部くんの号令で木箱は音もなく動き出した。
もちろん運転手は羅文と四文だ。

2003年11月18日火曜日

おめかしションヴォリ氏のこと

「博士、おはようございます。今日はまたずいぶん素敵なお召し物で」
ある朝、主水くんがションヴォリ氏の家に行くと
ションヴォリ氏は鮮やかな空色のダブルのスーツを着ていた。
もちろんYシャツもネクタイも靴下も同じ色だ。
外からは見えないが肌着も下着も空色に違いない。
「おはよう、モンドくん。今日は町へ出かけるよ」
ションヴォリ氏はウキウキしている。
「では、さっそく車の用意をしましょう」
主水くんは、物置小屋の鍵を持って外へ出た。

2003年11月17日月曜日

大活躍の羅文と四文のこと

羅文と四文は27分後にようやく目覚めた。
[ねむい][ねむい][さっき寝た][ばっかりなのに]
「ごめんごめん。おしごとだよ。」
[合点承知][お安い御用だ]
ひっくりかえっている主水くんは、そのまま数センチ持ち上がり音もなく移動を始めた。
羅文と四文が主水くんを運んでいるのである。
「やれやれ、ラモンとシモンがようやく起きたか」
その様子を見たションヴォリ氏は
はりきってゴキブリのたき火の炎の勢いを上げたのだった。

2003年11月16日日曜日

主水くんの天敵となぜか呼ばれたネズミたちのこと

主水くんは気絶した。
彼の天敵は、ゴキブリと大きな火。
ションヴォリ氏が必死に主水くんを止めたのはそのためだったのだ。
ゴキブリを見れば腰を抜かし、燃え盛る炎を見ると戦いを挑む主水くん。
しかし、それらをいっぺんに見た彼は、大混乱する暇もなくあっけなくひっくりかえってしまった。
かわいそうな主水くん、13時間46分11秒は起きあがれないだろう。
倒れている主水くんをションヴォリ氏はとても運ぶことはできない。
主水くんはションヴォリ氏が見上げるほど背が高いのだ。
そもそもじいさんのションヴォリ氏には無理な話だ。
ションヴォリ氏は掃部くんに言った。
「カモンくんや。ラモンとシモンを起こしておくれ」
「はーい」

2003年11月15日土曜日

制止するションヴォリ氏のこと

外でゴキブリを燃やすためのたき火をしていると
「おはようございます、博士」
と主水くんがやってきた。
「やや。もう9時半か。あー。モンドくん、モンドくん、こっちに近づいちゃならん」
「え?なんですか?何をしているんです?」
主水くんはスタスタとションヴォリ氏に近寄っていく。
「いかん、来るな、止まれ、止まるのだ。シャラップ、ではなくてストップ! 目をつぶれ、嗚呼」
ションヴォリ氏の叫びもむなしく主水くんは見てしまった。
ドサッ

2003年11月14日金曜日

ゴキブリの始末のこと

また寝てしまった羅文と四文をポケットに突っ込むと掃部くんはションヴォリ氏に言った。
「らもんとしもん、ごきぶりたくさんとたたかったって!」
「そりゃ大変。モンドくんがくる前に始末しよう」
ションヴォリ氏は食料の入った箱をどっこらしょと動かした。
「わーい。たくさん」
ゴキブリの死体が山のようになっているのを見て掃部くんははしゃいだ。
さっそく掃部くんは手際よくホウキで死体を集め、床を拭いた。
キッチンの床はピカピカになった。
掃部くんが床を磨いている間ションヴォリ氏はゴキブリの死体の数を数えていた。
「128・129・130」
「れおなるど、だめ。あんちゃんきちゃうよ」
「そうだった。これは庭で燃やしてしまおう」

2003年11月13日木曜日

羅文と四文の武勇伝のこと

[ねむい][ねむい]
羅文と四文はむにゃむにゃ。
「おはよう、らもん、しもん」
[おはよう][カモン]
「きのうはどこにいたの?」
[ポケットから落ちた][頭打った][痛かった][目が覚めちゃった]
「うん、あんちゃんにぬがされたときだ」
[おいしそうなにおい][チーズのにおい][あっちに行った]
「きっちんのほう」
[ゴキブリがいた][たくさんたくさん][戦かった][つかれた]
「それでねちゃったんだ」
[目が覚めた][チーズのにおい][ワインのにおい]
「れおなるどがおいたちーずとわいんだね」
[おいしかった][ねむくなった][ねむい][ねむい]
羅文と四文はぐったりとなって、すぐにいびきをかき始めた。

2003年11月12日水曜日

羅文と四文のこと

「らもん、しもん、 おきろー」
なかなか起きない。でも掃部くんは世の中のお母さんたちのようにガミガミ怒ったりはしない。
羅文と四文は年中ねむっているねずみだ。
二匹はいつもクタッとしていてグーグー寝てばかり。
生きているようにはとても見えない。
いつも掃部くんの変な動物の皮についているポケットに押し込まれていて掃部くんのペット兼、ぬいぐるみ兼ともだちなのだ。

2003年11月11日火曜日

羅文と四文、無事救出のこと

よく朝、ションヴォリ氏はドアをドンドンとたたく音で目が覚めた。
「れおなるどー」
掃部くんの声だ。
「らもんとしもんはみつかった?」
「まてまてカモンくん。顔を洗わせておくれ。それに、きみの皮も乾いてるからちゃんと着ておいで」
掃部くんはすっぽんぽんのままだったのだ。
ションヴォリ氏は外の井戸で顔を四回洗うと言った。
「きのう寝る前チーズとワインを置いておいたから、そこを見よう」
「うん」
四文はすぐに見つかった。キッチンに置いた安ワインを入れた皿の中で寝ていた。
四文はお酒、しかも安物が大好きだ。
羅文はタンスの上においたチーズの上で寝ていた。
ションヴォリ氏が掃部くんを肩車してやって発見した。
羅文は高いところが好きなのだ。
羅文と四文をブンブン振り回して大喜びの掃部くんを見てションヴォリ氏はホッとした。

2003年11月6日木曜日

羅文と四文の捜索のこと

掃部くんがなくした羅文と四文を探すため、ションヴォリ氏は家中を這いつくばった。
「ほほーい。ラモン、シモン。どこだー」
天井裏も覗く。
「ほーい、ラモン、シモン。起きろー」
2時間がんばって見つからないのでチーズと安ワインを仕掛けておくことにする。
「とっておきのチーズなんだけどなァ」
チーズの欠片と小さな皿に垂らしたワインをベッドの下やキッチンの隅、そしてタンスの上と天井裏に二つづつ。
「おやすみ、ラモン&シモン」

2003年11月5日水曜日

主水くんに内緒の楽しみのこと

主水くんと掃部くんが帰ると、ションヴォリ氏は夜のおやつの時間だ。
掃部くんのポケットに入っていたチョコレートやビスケットを食べる。
どんなことがあっても6時5分には帰ってしまう主水くんは
ションヴォリ氏の夕飯を作らないことがしばしばあるのだ。
そんな時、ションヴォリ氏はお菓子だけですます。
しかし、これはションヴォリ氏にとって、ささやかで大きな楽しみだ。
三時のおやつには食べさせてもらえないお菓子をたっぷり食べられるのだから。
おなかいっぱいになったションヴォリ氏はふと掃部くんのことを思い出した。
「カモンくんはちゃんと眠られるかな?」

2003年11月4日火曜日

掃部くんがなくしたもののこと

主水くんが部屋に戻ると「えーん」と掃部くんが泣いていた。
「ラモンとシモンが見あたらないのだよ」
ションヴォリ氏が言った。
「あんちゃんがせんたくしちゃったんだー」
「ポケットにはいなかった。羅文と四文はきっとそこらへんで寝ているよ。さぁ、もう6時3分27秒だ。あと1分33秒したら帰るからね。」
帰り際、掃部くんはションヴォリ氏に念を押す。
「れおなるど、らもんとしもんをみつけてね。ぜったいだよー」

2003年11月3日月曜日

おしゃれなションヴォリ氏のこと

夕焼けが薄くなり始め、薄紫色が長い夜の訪れをほのめかせている。
主水くんは外に出て洗濯を始めた。
このあたりでは、洗濯物は夜の方がよく乾く。
主水くんが変わっているわけでは決してない。
木にロープを張って洗濯物を干す。
赤いパンツに赤いシャツ、赤いズボンに赤い靴下。
これは全てションヴォリ氏の服である。
ションヴォリ氏は着る物をまったく同じ色に揃えるのが紳士のお洒落であると信じている。
明日はここに緑の服が並ぶであろう。
主水くんはこれをとても尊敬していて自分も大人になったら是非こうありたいと望んでいる。

掃部くんの正体のこと

「あんちゃーん」
「モンドくんが帰ってきたな」
主水くんは大きな水瓶を抱えて帰ってきた。
「掃部、洗ってやるから、その汚いのを脱いだらどうだ。博士も着替えて下さい」
いそいそと着替えるションヴォリ氏の脇で掃部くんは駄々をこねる。
「いやーん」
そう。掃部くんは変な動物の皮を着た主水くんの弟で、みずみずしい子供なのだ。
掃部くんは掃除をするように生まれついたのにも関わらず汚れた皮をいつも着ていてなかなか洗濯をさせない。
主水くんに無理やり皮を剥がされたすっぽんぼんの掃部くんは、もはや変な動物ではない。

2003年11月2日日曜日

掃部くんのこと

「やあ、カモンくん。いらっしゃい」
掃部とかいてカモンと読む。ションヴォリ氏は漢字を知らぬのでカタカナで呼ぶ。
カモンと呼ばれた変な動物は持っていたホウキでそそくさと掃除を始めた。
ずんぐりむっくりがチョコチョコとホウキを動かす仕草がおかしくてションヴォリ氏はいつも腹をよじらせて笑う。
掃部くんが掃いた後はきれいになるが掃部くんのしっぽは泥だらけなので掃部くんの掃除はいつまでたっても終わらない。
「カモンくんカモンくん。まずきみのしっぽを洗ってきたらどうだい」
ションヴォリ氏がバスルームを指して言う。
悲しいかな、掃部くんはおのれのしっぽに手が届かない。

2003年11月1日土曜日

結び目

彼は抹茶色の風呂敷に白い団子を包み始めた。
「結び方によって出てくる物が違うんだ。何が欲しい?」
「チーズケーキ」
「オッケー」
彼はなめらかな手付きで花のような結び目を作るとそこに目を閉じてキスをした。
その横顔を見ていたらニガイものが胸に広がっていった。
「開くよ…ほら、おいしそうだ」
私は紅茶をいれる。紅茶をいれるのだけは上手にできるから。
チーズケーキを食べ終わると風呂敷を指して私は言った。
「これ、わたしもやってみたい」
「いいよ」
白い団子を包み、何度も何度も固く結んだ。
ギチギチの結び目はみっともない固まりになった。
彼の真似をして目を閉じ、唇を近づける。
うまくできたかしら。
「さぁ、ほどこう。何ができたかな?」
彼は結び目に手をかける。
でも解けなかった。
どうしても、何をしても、結び目はみっともない固まりのまま。
彼はちょっと怒ったような困ったような顔して私にキスをした。
彼の唇はあたたかかった。
ようやく私の心は満たされたのだった。


********************
500文字の心臓 第32回タイトル競作投稿作
○1

いづこに行ったのやら

ぼくの影が出て行った。理由はよくわからない。
ビルの陰を歩いているときに「ちょっと考えたいことがあるから」と小さな声が聞こえた。
日向に出るともういなくなっていた。
影がないとみんな怪しむだろうな、と思ってびくびくしながら生活しているが
どういうわけか誰も気づく者はいない。
ただ、影同士はわかるらしく、時々そばを歩く人の影法師の手がにゅっとこちらに伸びてくる。
ぼくはシッシと追い払う。

影が出て行って二週間が経つ。
昨日ぼくに新しい影ができたが、これは影がないより都合が悪い。
迷い猫の影法師。

+++++++++++++++++++++++
三日月遊園地参加作品

変な動物のこと

主水くんが井戸へ行っている間にションヴォリ氏の家に変な動物が入ってきた。
ずんぐりむっくりで、あるところは茶色く、またある部分は緑色。
大きく長い耳はダランと顔の横に垂れ下がり、顔の真ん中にはもわもわでまんまるな鼻がついている。
しっぽは太く長く、ずるずると引きずって歩くものだから砂や泥がついてごわごわだ。
身体中に12個のポケットがついていて
キャンディーやらチョコレートやらビスケットがはみ出している。
右手にはホウキを左手にはバケツを持っている。

2003年10月31日金曜日

主水くんの時計のこと

主水くんは時間に精確な性格でションヴォリ氏がたとえひもじさのあまりに死んでしまっても時間にならないと食事を出さない。
その主水くんが頼りにしている懐中時計は彼のおじいさんが町で余所様から無断で拝借した由緒正しき品である。
主水くんは毎日寝る前にねじを巻き、正午の鐘の音に針を合わせる。
正午の鐘の音を聞くとき主水くんの時計は必ず11時54分18秒である。
ようやく主水くんの懐中時計が3時を指しションヴォリ氏お待ちかねのおやつが出てきた。
おやつはレーズン27粒とアーモンド6粒とココア一杯である。
「では、博士。水汲みに行ってまいります」

2003年10月30日木曜日

主水くんのこと

ションヴォリ氏の助手を自認する主水くんだが、やっていることといえば水汲みと食事の支度くらいのものだ。
「ほれ、モンドくん」
「はい。博士」
主水くんはだいぶトウのたった子供である。
トウがたった子供というのは、不機嫌になるのが得意である。
「もう三度も呼ばれましたが。用件はなんですか?博士」
主水くんはちゃんとわかっている。ションヴォリ氏は腹が減ったのだ。
「ほれ、モンドくん」
「はい。博士」
「おやつはまだかね」
「おやつの時間までは、あと16分38秒あります」

2003年10月29日水曜日

レオナルド・ションヴォリ氏のこと

レオナルド・ションヴォリ氏はじいさんだ。
どのくらいじいさんかというと、年がわからないくらいのじいさんだ。
「ほれ、モンドくん」
「はい。博士」
主水と書いてモンドと読む。
ションヴォリ氏は漢字が書けないのでカタカナで呼ぶ。
ちなみに主水くんは日本人ではないかもしれない。
「ほれ、モンドくん」
「はい。博士」
ションヴォリ氏を「博士」と呼ぶのは主水くんだけである。
ションヴォリ氏は発明家でも医者でも教授でもないし、過去にそうであったこともない。
単なるじいさんで、だいぶ前からじいさんで、その前がどうだったかは、ションヴォリ氏もわからない。

2003年10月28日火曜日

目覚めた機能

オレのひいひいじいさんは鬼だった。
そんなわけでオレの頭には角がある。
父さんもじいさんも角はないから、鬼だったひいひいじいさんの血を濃く継いでしまったんだろう。
角は12の時に生えてきた。2センチもない小さいものだから目立たない。
勇ましくてデッカイほうが鬼らしくていいと思うんだけど。
角というのは予想外に便利だ。
なんとこいつはGPSなのだ。オレは歩くナビゲーション。
おかげで子供の頃ひどかった方向音痴はピタリと治まった。
この機能、ひいひいじいさんの時は発揮できなかったはずだ。
鬼に生まれてよかったなァ。

2003年10月27日月曜日

鎮める

パニックに陥る私を落ち着かせることができるのは、時間だけだと思っていた。
彼女は細い腕に似合わない力強さでグッと私を引き寄せると
額を私のおでこに当てた。
青い風がすうっと流れた。
彼女はいつでもそうしてくれた。たとえ町中であろうと。
「おでこのキス」と笑う彼女の額には深い皺がある。

小さいけれど

ほんの四センチくらいだけど、ぼくはしっぽを持っている。
肌と同じ色のくにゃっとしたしっぽの先っちょは筆のように毛が生えている。
小さいからパンツに穴を開ける必要はない。
うれしくても犬のように振り回すことはできない。
何の意味もないしっぽ。
それなのに一番目立っていやがる。
ぼくの尻にはしっぽが生えている。

2003年10月26日日曜日

砂浜での一夜

きみの涙をぼくは一滴も逃すまいとしたからきみは何時間も、ただただ涙を流し続けた。
きみの涙は濃度を増し、ぼくは段々飽きてきて、しまいに吐いた。
真っ青な吐瀉物にぼくは我に返る。

どうしてもっと早く気付かなかったんだろうね。
きみの涙が甘いことを。きみが一言も喋らないことを。
月に照らされ銀を放ちながら
きみは波間に消えた。

2003年10月24日金曜日

WHICH IS A WITCH

その黒いマニキュアを落としなさいって先生は怖い顔をして言ったわ。
これはマニキュアなんがじゃありませんって言うのに
顔を引きつらせながら除光液を染み込ませたティッシュでゴシゴシこするの。
落ちない落ちない・・・って繰り返し叫びながら。
あたしはそのシンナーの臭いで吐きそうになるのを堪えながら
自慢の爪が傷むからよして下さいってきっぱりと言ったの。
先生はキッとあたしを睨み付けて、魔女め って言った。
その濁った目はひどく充血してた。
さぁて、忌々しいのはどちらかしら?
傷んだ爪にオイルを塗りこんだ。

2003年10月23日木曜日

オレの舌ってすごいんだぜ

モテモテなオレの舌はなぜか太りやすく、おいしいものをたらふく食べた翌日は口の中に収まらなくなってしまう。
これはみっともない上に非常にくるしい。
むりに口の中へ収めようとすれば窒息しそうになる。
鼻呼吸すればいいじゃないかと思われるかもしれないが
喉の奥に巨大な舌が落ち込むのだから、塗炭の苦しみである。
おまけにしゃべれないので舌が太った日は一日外にも出れず、食事もできないことになる。
昨日のオレは男前だったのに。
この困った舌さえなければオレはいつでもキスの巧い最高のいい男なのに。
でもおいしいものはやめられない。

2003年10月21日火曜日

いいこいいこ

歩いていて、右足と左足がこんがらがっちゃったこと、あるいはどちらを前に出せばいいのかわからなくなったことって、ありませんか?
あれは右と左の膝小僧が喧嘩してるのです。
「おいらが前に出る」
「いや、おいらの番だ」
「おいらはあっちに行く」
「おいらはこっちだ」
多くの人の膝小僧は仲良しですから、喧嘩は滅多にありません。
せいぜい二年に一度くらいです。
でもごく少数ですが仲の悪い膝小僧たちをお持ちの人がいます。
もし、あなたがその少数のうちのひとりならば、覚えておいてください。
膝小僧たちは撫でてもらうのが大好きです。

2003年10月19日日曜日

プロポーズ

「あなたの声が触れればいいのに」
って言われたから僕は
「いいよ、なんて言おうか?」
って答えた。
「ほんとに?じゃあね……」
彼女は冗談でしょって顔しながらも楽しそうにリクエストしてくれた。
ぼくは帰る途中に雑貨屋で箱を二つ買った。
家に戻るとさっそく風呂場に虫取り網を持って入った。
エコーがかかる場所の方が形になりやすい。
「天国に星はない」
これは彼女の座右の銘。
ちょっと渋い声で言ったら焦げ茶色の卵型になった。
逃げ足が速いので網をむちゃくちゃ振り回してやっと捕まえた。
箱に押し込んでもまだ暴れてる。
それから甘い声で囁いた。まんまるのが飛び出した。透き通った黄色をしてる。
ふわふわと漂って僕の手の中に降りてきた。
マシュマロみたいな触り心地。
明日、二つの箱を彼女に渡したらどんな顔をするだろう。

2003年10月17日金曜日

アザミの刺が

母の肩こりはそれはそれはひどいものだ。
毎晩揉んでいる私も肩が凝ってしまうのだが、自分の肩と母の肩を触り比べると
やはり母の方が硬いので諦めて風呂上がりの母をマッサージする。
ある晩いつものようにマッサージしていると母の肩がだんだんと冷たくなっていった。
普通揉めば少しは暖かくなるはずなのに、母の肩は氷のようで私の手も感覚がなくなった。
「ちょっと母さん?大丈夫?」と声を掛けるが反応はない。
私は急に不安になりながらも手を休められなかった。
私は掌に違和感を覚えてようやく母から手を離した。
母の肩からはアザミが生えていた。右にひとつ、左にひとつ。
赤紫の花がやけに瑞々しい。私は慎重にそれを抜いた。
根には赤黒い泥がたくさんついていた。
そばにあった広告紙にくるんでゴミ箱に捨てた。
「ありがとう。気持ちよくてウトウトしちゃった。どうしたの、顔が真っ青よ」
「なんでもないよ。なんか変なとこない?痛くなかった?」
「全然」
私はその日から一度も母の肩を揉んでいない。

2003年10月16日木曜日

洗面器の中

家に帰るとまっさきに唇を剥がす。
絹擦れと足音だけをささやかに響かせる、誰にも邪魔されない私だけの時間。
おしゃべりな唇。甘い果物ばかり欲しがる唇。
どこかに捨ててしまいたいと思いはじめたのは14の冬だった。
「そんなら剥がしちゃえばいいじゃない」
と教えてくれたのは、公園でタバコをくわえていたお姉さんだった。
「まじめなんだね、あんた」
お姉さんは「いっひっひっひ」とちょっとかすれた声で笑った。
私なんかよりずっと汚い唇だ、と思った。
ますます唇を疎ましく思った。案外スルリと剥がれた。
剥がした唇は一晩中洗面器のぬるま湯の中。
ずいぶん気持ちよさそうにしているから腹が立つけど、これなら唇は干からびないし、私もぐっすりと眠れる。
朝になったら唇をつけなきゃいけないと思うと憂鬱だ。
唇は私の気も知らないで明日もおしゃべりを続けるのだろう。

2003年10月15日水曜日

HAVE A GOOD DREAM

「A LONG TIME A GO...」
ユーリは毎晩ひとりでベッドに行く。
父さんや母さんが「絵本を読んであげるよ」
と言ってもユーリは「いらない。おやすみなさい」とスタスタ子供部屋に向う。
ユーリはお話を読んでもらうのが大好きだ。
でも母さんや父さんは必要ない。
ユーリの左の耳の中には蟻が住んでいて毎晩お話を聞かせてくれるから。
ユーリが一番好きなのは「A PRINCESS OF PEACH」だ。
四回続けて頼んでも蟻は怒らなかった。

10歳のある夜、ユーリの左耳から蟻は出ていった。
ユーリは悲しまない。ほかに夢見ることがあるのだ。

2003年10月14日火曜日

うなじで感じるから

あたしは首を外気に晒すことはない。
冬はいつもタートルネックのセーターだし夏でもスカーフを巻いている。
さらに肩の下まである髪の毛もおろしたままだ。
毎日こんな格好では訝しがられるのはわかってるし、涼しげなオシャレもしたい。
 それからあたしはいつでも後につくようにしてる。
教室でも友人と歩いていても、バスに乗っても。
あたしは誰かに後から見られるのが怖いんだ。
視線をうなじで読み取って相手の心がわかってしまうから。
誰かの後ろ姿をじっと見つめる時、どんな気持ちか意識したことはある?

2003年10月13日月曜日

さよならのしるし

「お届け物です」
箱に張られた送り票の差し出し人は別れた彼女だった。
「なにかアイツの部屋に忘れ物でもしたか?それともプレゼントを返すためとか」
オレはビリビリ乱暴にガムテープを剥がしと箱を開いた。
「う゛」
思わず箱を放り出すところだった。これは……髪の毛だ。
オレは彼女の黒くて長い髪が好きだった。
実際彼女の髪はきれいで本人も自慢しているらしく
手入れに怠りはなかった。
オレはそんな彼女と髪を褒め
「この髪はオレだけのものだ。ほかの奴には触らせないよ」
と髪の毛をかき分けてやっと姿を見せる耳に向かって何度も囁いていたのだ。
髪の毛には手紙がついていた。
[他の誰かに触られない内にお返しします]

髪の毛が溢れだしている段ボール箱は、一週間たった今もオレの部屋の隅に置いてある。
時々掴んで匂いを嗅ぐと懐かしい気分がする。

2003年10月11日土曜日

旅行の支度

ぼくの睫毛は毎日のびるのでハサミで切り揃える。
ヒゲもろくに生えてないのに毎朝鏡に睨めっこして
女の人がマユゲを切るハサミを使って睫毛を切るのだ。
朝起きるとほっぺたの真ん中くらいまで伸びていてちゃんと目があかない。
目のそばでハサミを使うのは恐いから、どうしても人より長い睫毛になってしまう。
まわりの人は長くて綺麗だと羨ましがるけど、ふざけるんじゃねぇ。
ぼくは今最悪にユウウツだ。
なぜなら明日から修学旅行だから。
朝早くこっそり起きて睫毛切り……あーあ。誰にも見つからなければいいけど。

2003年10月10日金曜日

水晶産出の瞬間

友人のヒカリは毎日のようにアクセサリーをかえるので内心「ちゃらちゃらしちゃって」と思っていた。
そのわりに服は地味なのも不思議だった。
「ちょっと来いよ」
ヒカリは苦笑いのような顔でお腹を触りながら席をたった。
トイレの個室に拉致られた。やたら鼓動が早い。
ヒカリはシャツを捲り上げるとささやいた。
「よく見とけ、ヘソ」
ヒカリのへそはゆっくりと出ベソになり
ポロリとまんまるの透明な物がでてきた。
「今日は水晶か。やるよ、これ」
ぼくが水晶をおそるおそるつまむと
「汚くねぇし」
と笑われた。

2003年10月9日木曜日

落とし物

「よぉ!!」
「うわッ」
後から突然声を掛けられた男は鼻を落とした。
男は鼻を拾ってゴミを払うとパチッとあるべき場所にはめこむ。
「おれ、びっくりすると鼻がはずれるんだよ。あんまり驚かせないでくれ」
「驚いたのは、オレの方だよ……」

2003年10月8日水曜日

爆走少年

このままいけるところまでいこう。
ぼくは自転車を漕ぎながらつぶやいた。
脚は規則的に伸縮し、足はペダルから離れない。
近くのコンビニに行きたかっただけだった。
なぜかどうしても止まれなくてコンビニの周りを六周してあきらめた。
無理矢理転んでみようかと思ったけど痛そうだからやめた。
「おやまぁ災難なことで」
と杖をついたおばあさん。
「夜になりゃ降りられるさ、オレも一度やられたんだ。十六の夏だった」
オートバイで並走しながら語ってくれたヒゲのおじさん。
ありがとう、日暮まであと二時間だよ。
あぁ小便してえなぁ。

2003年10月7日火曜日

幸せなら手を繋ごう

バチッと大きな音がして火花が散った。
「痛っ!」私も彼も叫び、それまで二人の間に漂っていた緊張を伴った甘い空気は破られた。
私たちは今、初めて手を繋ごうとしていたのだ。

私たちはその出来事の後、あらゆる接触を試みた。
おそるおそるくちびるを近付け、決死の覚悟でひとつのベッドに入った。
そして結局ただ手と手が触れる時にのみ火花が出るとわかったのだ。

どうしても手を繋ぎたかった私たちは試行錯誤の末、ようやくひとつの方法を見付けた。
私は右手に、彼は左手に炊事用のゴム手袋をはめて街を歩く。
もうすぐ銀婚式だ。

2003年10月6日月曜日

尻に羽を持つ女

ある海辺の町に羽の生えた尻を持つ女がいた。
「尻軽女」と蔑まれ、気味悪がられた。
「尻軽」を期待する夜の訪問者もいた。
だが女にそれを相手する暇はない。
女には女の使命があった。尻に生えた羽は単なる飾りではないのだ。
女は尻の羽をはばたかせて夜の海中を飛ぶ。
明日の天気をイソギンチャクにお伺いを立てるために。

2003年10月4日土曜日

みみ ちゅ

「みょろん」
ばっちいおじさんがミミズにこそこそ話し掛けていた。
「みょろりん」おじさんはミミズよりばっちい。プンプンと匂ってきそうだ。
「みょみょみょりん」ミミズは答えない。
当然だと思う。ミミズがぺちゃくちゃ喋るはずがない。
 次の日おじさんはピカピカの三つ揃いのスーツを着てフワリといい香を漂わせていた。
「食事に出掛けよう。ホテルの展望レストランだ」
私が「みょろん」と返すとおじさんは左の耳にチュっとしてた。
私はポッと赤くなった。

2003年10月2日木曜日

風使いの少女

ぺろっとなめた人差し指を空に突き刺し風を読む。
「びゅうびゅう」
と叫ぶと私のからだは風に乗った。
読みを間違うと地面に叩きつけられる。
今日の風は乗り心地がいい。
私はちょっとスリルがある風が好き。
嵐の時は「ごぉーごぉー」。
これは振り回されて大変だ。しがみつくのがやっと。
暴れ馬よりタチが悪い。
「ひゅるん」とした春の風はふわふわぬくぬく。
おひさまと若葉の匂いで眠くなっちゃう。
「そよそよ」してる夏の夜の風も楽しい。
花火をすぐ近くで見れるの。近づきすぎると煙たいけどね。
秋は「ひゅーひゅー」。風のいい季節。
木枯らしは私のお気にいり。枯れ葉とくるくる、踊るのよ。
風の吹かない日なんてない。どんなに静かでも風は吹いてる。
弱くても、小さくても風は風。ちゃんと読めばちゃんと乗れる。
あ、海が見えてきた。そろそろ帰らなきゃ。

2003年9月30日火曜日

石ころ

わたしは小石をあちこちで拾ってきてはビンに貯めている。
どうしてそんなことをするのか、自分でもわからない。
ただ石が毎度違う音を立ててビンに吸い込まれていくのが面白くてしかたないのである。
「カツン」というものもあったし「ガチャン」というのもあった。
でも最近はもっと面白い。「ピチャン」だの「グシャリ」だの「ベショ」だの
おおよそ石がビンに落ちたとは思えない音を出すものが現れるのだ。
わたしはそれを求めてほうぼうへ出かけてゆく。
この前は月へ行った。

2003年9月29日月曜日

MY NAME IS...

「はじめまして。ぼく、きゅるきゅるです」
「きゅるきゅる?どっちかというと、ごりごりってカンジじゃない?」
「そんなことありませんよ!ほら、このへんなんかきゅるきゅるでしょ?」
「いやいや、それはじょりじょりだよ」
「じょりじょりはこんなカンジですよ」
「それはふよふよだろ」
「なんですか?ふよふよってのは」
「それよりここはぬらぬらしてるんだな」
「し、失敬な!ぷるぷると言ってください」
「あ、そうしてるとむにむにだな」
「くにゃくにゃですって」
「で、名前はなんだっけ?」

2003年9月28日日曜日

しゅるしゅる

「しゅるしゅる」
きみがつぶやく。
「しゅるしゅる?何が?」
わたしは聞く。
「だから、しゅるしゅる、だよ」
きみは一言づつ区切りながら言った。
わたしは彼の口ぶりをまねて言う。
「しゅるしゅる」
「そう、しゅるしゅる」
なおもわたしは訊ねる。
「何かすすってるの?それともヘビでも見た?」
きみはちょっと面倒そうな顔して言った。
「きみが、しゅるしゅる、なの」
「わたしが、しゅるしゅる」
「イエス」
「ふーん」
わたしたちは、いつもこんな感じ。

2003年9月27日土曜日

尾行?

カツン カツン カツン カツン カツンクルリ ギロ
ビクッ
ガチャガチャ
「誰だ」
ドキンドキンドキン
「階上に住んでる者です」
「そうか」
バタン
フゥ

2003年9月25日木曜日

愛する二人は

さらさら ざらざら
つるつる ぞりぞり
すべすべ ごわごわ
ふにふに ごつごつ
ひっそり こっそり
なでなで つんつん
しっとり うっとり 夜は更ける

2003年9月24日水曜日

歩くとき歩けば

とぼとぼ歩く、私のココロゆらゆら。
木々がそよそよと相づち、小川は さらさらと笑ってばかり。
鳥たちは気ままにピーチクパーチクおしゃべりしてる。
私は突然「もうコリゴリ!」と叫んでスタスタ歩き始めた。
その途端小川は笑わなくなったし、木々も返事を止めた。
すっきりした。せいせいした。
私のココロ、がっちり。
目の前をキッと睨みつけてズンズン進む。
コツコツコツコツ足音は加速度を増していく。
ドックンドックン鼓動も比例して早くなる。
景色もビュービュー流れていく。
ハッとした時には遅かった。
もう止まることはできないのだ。
あたりがシンとしているらしいことに気づいたから。
頭がガンガンと痛い。

2003年9月23日火曜日

動物会議

「ワンでありますか」
「ニャにがニャにしてニャンです」
「それについてはチューいしなければ」
「モウたくさん」
「メエ惑してるのはこっちなのよ」
「コン夜、コン?」
「狐どんはニャンパしすぎ」
「ビョウ気だワン」
「アホウアホウ」

2003年9月22日月曜日

災難

「そしたらさ、ドギューン ドッカーンだよ」
「ヒエー」
「で、バーンってなってガラガラドッシャーンさ。顔からダラダラと……」
「ブルブルもんだな」
「ついにはモクモクしてきて皆ゴホンゴホンで、ゲェーゲェーしてきてさ」
「ウェー。ひどいめにあったね」
「ああクタクタだよ」

2003年9月20日土曜日

返却前に

物語の最後に薄い桃色の紙が挟まっていた。
「この本を読んだあなたへ」
手紙? 綺麗な字だ。
丁寧に、丁寧に物語への想いが綴られていた。
彼女も(筆跡からして、たぶん女の人だ)私と同じような感想を抱いたらしい。
どんな人なのかわからないのに、彼女と自分につながりができたような気がして嬉しかった。
「1992.10.14」
10年以上も前だ。
その間、何人の人がこの本を手に取りこの手紙を読んだのだろう。
本の痛みは目立つのに便箋はきれいなままだ。
でもたくさんの人が触れた気配が確かにある。
私はもう一度手紙を読んでから慎重に畳み、本を閉じた。
おそらくこれまでに何度も繰り返された儀式。
とても不思議。

2003年9月19日金曜日

若い二人は語りあう

すっ と目の前を通り過ぎて落ちたのは紙飛行機だった。
拾いあげると細かな文字がびっしりと並んでいる。
見上げれば左手の家の二階からいたずらっぽく笑った青年の顔。大学生だろうか。
「彼女からの手紙、長すぎて」青年は言った。
きっと彼も長い長い手紙を書くのだろう。そうに違いない。
私は彼に紙飛行機を飛ばしかえした。
だが、それは彼の手には帰らず意志を持ったかのように高く高く飛んで行った。

2003年9月17日水曜日

未来からの手紙

お元気ですか?元気でしたね。
今頃受験生ですね。たぶん南高と北高で迷っていると思うけど、選択は間違ってないから大丈夫。
それから担任のサイトー先生の言うことは気にしないように。
それと気になってるカトー君は止めときなさい。あれは女たらしだから。
あんなのよりもいい子がすぐそばにいるでしょ!早く気付いて!!
お父さんにいじわるなことを言わないように。
勉強を言い訳にお手伝いをさぼらないように。
自分に言われた事くらい守りなさいよ。
では!十年後より

はーい。わかりました!そうか、カトー君は駄目なのか……。

2003年9月16日火曜日

ぼくは郵便屋にはなれない

いけない、とわかっていた。
ぼくは友達から預かった手紙を読んでしまった。
届け先は隣の家のユカ。幼なじみだ。
テキトーに畳まれた便箋を手に、ラブレターってどんなもんだろ、と思った。
だいたいきちんと封をしてないほうが悪いんだ。
読んでもバレないと思った。
胸でもなく、頭でもなく身体中が痛い。腕が痺れる。

2003年9月15日月曜日

ひーばーちゃん

その手紙には赤いクレヨンがグリグリと塗りたくられていた。
私の顔らしいが、よくわからない。でもとても嬉しい。
私もお返事にグリグリと青いクレヨンで書いた。
一応、彼の似顔絵を書いたつもりだったのだが、とてもそうは見えない代物になった。

わたしたちはよく似ていると思う。
でもきっと、その時間は長くない。そういうものだ。

2003年9月14日日曜日

友へ

こんな愚痴ばかりの手紙は情けないな。
あの子に心配をかけるのもイヤだし。
それに……昨夜よりずっと気分はいい。
悩みが消えたわけではないけど、きっと言葉にしたからすっきりしたんだ。
思えば、こんな愚痴ばかりの手紙を出しても許してくれる相手がいるってだけで、しあわせだよね。
……もうこの手紙の役目は済んじゃったみたい。

私はポストの前で手紙を破いた。
秋の空はきれいだ。

2003年9月13日土曜日

弔辞

はじめて書いた手紙のことを覚えていますか?わたしのそれは、手紙というものを嫌いになるには十分すぎる出来事でした。ある朝、目の赤い母に命ぜられ私は生まれて初めて手紙を書きました。その日の午後、大勢の黒い人たちの前で私は初めて書いた手紙を読まされました。黒い人たちは手紙を読む私を見て泣き出しました。私はそれを見てムカムカしてきて、しまいには大声でどなりながら読みました。もう手紙なんか書くもんか、と思いながらどなって読みました。

2003年9月11日木曜日

つめたくてあたたかい

郵便配達を始めて半年、この夏、ぼくは4kg痩せた。
暑い中、重い自転車を転がすのは、本当にしんどい。
ぼくの担当区域は家は多くないがその分家から家への距離が長い。
ある家のポストの上にちょこんとグラスが置かれていた。
この家には筆まめな人がいるらしく、頻繁に配達していて、なんとなく馴染みがある。
しかし、まだ一度も家の人と顔をあわせたことがない。
グラスはよく冷えていた。
配達のタイミングをみて置いてくれたに違いない。
ぼくは家の中に向かって
「麦茶、ありがとうございます! いただきます」
と声を掛けた。
返事はなかった。

2003年9月9日火曜日

がんばるサンタさん

「サンタさんへ プレゼントは、いらないから、とうちゃんとねずみーらんどにいきたいです。とうちゃんはかいしゃがいそがしくて しょうがっこうにはいってからまだかぞくでおでかけしたことがありません。サンタさんからもとうちゃんにたのんでください。」
サンタさん、思わぬお願いに涙があふれてきた。
しかし、サンタさん、こりゃ大変な任務だぞ。
まずは有給休暇をとらなくちゃいけない。
忙しいサンタさんには、こいつがチトやっかいだ。
でもサンタさん、気合い十分、やる気満満。

2003年9月8日月曜日

返信は赤い文字で

私は返ってきたテストを見てニンマリした。
[先生もその本は読みましたよ。長い作品をよく読みましたね。面白い本があったら教えて下さい。]
解答用紙の端っこに好きな本の感想を書いた。
[テスト中にそんなこと書くな]とか、或いは全く無視されることもあると思っていたのだけれど先生はちゃんと返事をくれた。
短いコメントだけど、ちゃんと返事をくれた。少しドキドキした。
「ねー何点だった?」
後ろの席のナオに背中をつつかれた。
「86点」
「すごいじゃん。ちょっと、あんたテスト用紙に何書いてんの?」
「ないしょだよー」

2003年9月7日日曜日

in the distance

「お誕生日おめでとう」
そこまで書いてペンが止まってしまった。
とりあえず立ち上がってコーヒーをいれたり、新聞を読んだりして三十分ほど時間を置いてみたけれどやっぱりうまく言葉がでない。
プレゼントを選ぶのは楽しいのにカードを書くのはなぜか苦手だ。
この際、決まり文句で済ませてしまおうかと思ったけれど、それは私の心が拒否していた。
かといってポエムちっくなのもどうかと思う。そんな言葉が似合うほどお互い若くないのだ。さりげなくて私の気持ちが込められる言葉……。
「今,7日の午後二時です。あさってのあなたの誕生日に間に合うといいのだけど。プレゼントはきのう買いに行きました。あなたの好きな青を選んだのだけど、よかったかしら?実はね、あんまり気に入ったので黄色のを自分用に買ってしまいました。お揃いだけどいっしょに着て出かけられそうにないのがさびしいです……」

2003年9月5日金曜日

NO TITLE

「はじめまして。あなたのファンになって一カ月が過ぎました。あなたの声を聞き、姿を見て私は衝撃をうけました。こんなにときめいたのはうまれて初めてです。一カ月経ってますますあなたの魅力に取り付かれています。どうかこれからも素敵なあなたでいて下さい」

ファンレターなんて初めてだ。
素敵なあなた、だってさ。なかなか気分がいいな……。
舞い上がりそうになった時、胃がギュッと握られた。
思い当たることがある。
どこからともなく感じる射るような視線、しばしばかかってくる無言電話。
大体、ぼくは「ファンレター」をもらうような立場ではないのだ。
このファンレター、なにかがおかしい。絶対に変だ。
その夜、ぼくは引っ越しを決めた。

2003年9月4日木曜日

季節の便り

ポストを開けると見事な梅の実がひとつ転がっていた。
「近くに梅の木なんてあったっけ?」
ぼくは梅の実を持って歩きだした。
入ったことのない小道へ足が向う。
「この青梅が道案内してくれてるんだな」
握り締めた梅がヒヤリとした。
着いた所は家から数分も離れていなかった。
造成を逃れたのが不思議なくらい、いい土地だ。
その草むらに立派な梅の木が立っていた。
圧倒される光景だった。
「梅干し、作らなきゃ」
ぼくは確信した。梅干しなど作ったこともないのに。

あれから毎年梅の実の便りがくる。
そして、ぼくは梅干しを作る。

2003年9月3日水曜日

若気の至り

「そうだ。あのさぁ、おれ、・・・…のこと好きなんだけど」
いつものメールのやりとりの最後に、さりげなく告白したつもりだった。
アイツは部活のマネージャーで二年からはクラスメイトでもある。初めは諸連絡ってカンジだったけど、そのうちそれ以外でもメールするようになって、今では一番回数が多い。
数日前から考えていたこの告白作戦、うまくいくはずだ。
予想通り、返事がくるのに時間がかかっている。

キタッ!
「どうしてそんな大事なことをメールで言うの?軽い感じがしてイヤ。どうせ明日会うんだし、そーゆーことちゃんと顔見て言って欲しいんだけど。信用できない」
思いもしない展開。血の気が引く。絵文字とかがマンサイの、いつもの彼女と違う。おれは慌てて親指を動かした。
「ごめん、なんか急に言いたくなったんだよ。明日帰りに待ち合わせよう。その時ちゃんと告らせて」
結局、その後メールは来ない。
どうしちゃったんだろう?どうなっちゃうんだろう?
四十五回目の寝返りで、彼女との相性が悪いことに気づいたおれは明日、告白を取り消す作戦を考えはじめた。

2003年9月2日火曜日

朱色の葉書入れ

月に数回母からくる葉書は私を苛立たせた。
ポストにそれを見つけると思わず破りたくなる。
年を取った母の筆跡は、はかなげで内容もとりとめがなかった。
天気の話や、近所の誰それが死んだとか、買い物がしんどいだの、そういうことだ。
そんなことしか書くことがなくても、母にとっては娘の私に葉書を書くことが少ない楽しみの一つなのだ。
だが、それを私は受け入れられないでいる。
理由はわかっていた。
母が老いていくのを、そしてまもなくやってくるであろう私自身の老いを直視できないのだ。
その悲しみや不安をごまかそうとするかのように、ヒステリックになる私。
私はなるべく文面を見ないようにして塗り物の箱に葉書を納めた。
母からの葉書はすべてここにしまってある。

2003年9月1日月曜日

SOS

限界だな、と思い始めたのはだいぶ前からだ。
[パパとママへ きょうはさんすうのしゅくだいがいっぱいでてたいへんだったよ。
けんたとじてんしゃであそんだ。 おばあちゃんがかってきてくれたアイスをたべた。 おやすみなさい りゅうより]
父母は子供の生活サイクルとかけ離れた仕事をしている。
ぼくが字を覚えたころから、広告紙のウラに日記のような手紙を書いてから寝るのが習慣になった。
でも、淋しさは文字のやりとりだけでは埋まらない。
むなしさが文面に表れる。
日に日におざなりな日記になっていく。
早く気付いて、ママ!

ADVERTISING MOON

9月のある朝、新聞の折り込み広告にずいぶん質の悪い茶けた紙が混じっていた。


-中秋の名月のお知らせ-

本年も、私がきれいな日がやってきました

どうぞお誘い合わせの上、ご鑑賞くださいませ 

なお、その際はどうかお団子をお忘れなく



近頃はお月さんもずいぶん宣伝熱心だ。
さて、団子をこしらえてやるか。
食いしん坊のお月さんのために。


++++++++++++++++++
三日月遊園地参加作品

2003年8月31日日曜日

絵葉書

「……は、のどかで良い所だ。昨日は市場で出会った老夫婦の家に泊まった。初めての経験だよ。もしも、この旅に出なかったら一生なかったことだろうな」
あてのない旅に出た友からの絵葉書を読み、俺は深いため息をついた。
辛い事が重なっていた彼に対し、俺は自分では気付かぬ内に優越感を持って接していた。
なのに写真からも文面からも青い空が溢れている。俺は焦った。
あいつは自分を取り戻した。
だが未来は見えないままではないか。
羨望と苛立ちが交じり合う。
彼が旅から帰ったら、俺は一体どんな顔をすればいいのだろう。

2003年8月30日土曜日

DEAR my boyfriend

ねぇ?わかる?
キミへの気持ちは「好き」とか「あいしてる」なんてコトバじゃ、とてもおさまらないんだよ。
でも「好きだよ」って言わずにはいられないのはどうしてだろう。
だから足りない分は、つないだ手から感じてね?お願いよ?

わたしは水色の便箋をビリビリと破って捨てた。
書けば書くほど嘘っぽくなるような気がしたから。
それよりも、お気に入りの服を着て会いにいこう。
わたしはパジャマを脱ぎ捨てた。

2003年8月28日木曜日

ひとり暮らし

ここに暮らし始めて三ヵ月、郵便受けに新聞と広告紙とダイレクトメール以外の物が入ったためしがない。
当然といえば当然だ。
友人たちには住所を知らせなかった。
携帯があれば、わざわざ住所を知らせなくても連絡は取れる。
でもちょっと失敗だったかも。
手紙の入らない郵便受けがこんなに不憫だとは。

翌日、切手の貼られた封筒を見付けて胸が高鳴った。手紙だ。
見慣れた文字だった。
「元気でやっていますか。忙しそうで心配です。何か必要なものがあれば送りますから……」
不覚にも涙が出た。淋しかったことにやっと気付いた。

2003年8月27日水曜日

悪戯

宛先だけの白紙の葉書が届いた。
確かに私宛てだ。その字は力の入りすぎた大きな文字で、字を覚えたばかりの子供が書いたようにも見える。
そのような筆跡の持ち主の知り合いはいない。
白い葉書を見つめているとメッセージが隠されているのではないか?という期待が沸き上がってきた。
私は手を施した。
すかしたりあぶったり真っ黒に塗り潰したり消したり。
何もなかった。しかし悪くない疲労だ。
そういえば、こんなにムキになったのは久しぶりだ。
私は新しい官製葉書を出してきて懐かしい友人の名前を書いた。
グリグリと大きな文字で。

2003年8月26日火曜日

MUR MUR

小さいとき、ぼくは壁の汚れやシミが人の顔みたいに見えるとすごく恐かった。
その話をしたら小父さんは大笑いしたので、ちょっとムッとした。
「実は私は壁抜けができるんだ」
と小父さんは言った。
「壁抜け?」
「そう、壁を通り抜けられる。人に見られると厄介だから滅多にやらないが。その時なぜか、壁に顔の跡が残る」
でも、ぼくはこの話をちょっと疑っている。
だっていくら頼んでも小父さんは「壁抜け」をやってみせてくれないもの。

2003年8月23日土曜日

THERE IS NOTHING

小父さんがくれた本は分厚くて表紙は革でできていた。
ぼくはそれをパラパラとめくって、ちょっと考えた後に言った。
「日記帳?」
「へ?」
小父さんはすっとんきょうな声を出した。
「何も書いてないから……」
「え?」
小父さんには、その本の文字が読めるのに、ぼくには何も見えないのだった。
フクロウの提案で、本とそっくりな日記帳に書き写すことにした。
小父さんが本を読み、ぼくが書く。
三週間かけて完成した本は、小父さんには白紙のままに見えるらしい。
ためしにピーナツ売りに二人の本を見せた。
両方とも、読めた。

2003年8月22日金曜日

フクロトンボ

あれ、行き止まりだ。
ピーナツ売りが書いた地図、間違ってるのかな。
ぼくはピーナツ売りの手品の師匠を訪ねるところだった。
ピーナツ売りの先生だからぼくにとっては大先生だけど
手品を教わりに行くわけではなくて、今日はただのおつかい。
ぼくは交番で聞いてみることにした。
「この地図のここ、行き止まりになってて」
おまわりさんは、変な顔をして言った。
「地図は合ってる。キミが間違えたんだろ」
再びさっきの場所まで来た。
やっぱり行き止まりだ。涙が湧いてくる。

ぼくはハタと気付いた。
相手は悪戯な老魔術士なのだ。

2003年8月21日木曜日

思ひ出

「そういえば、そんなこともあったな!懐かしいなあ」
ピーナツ売りと小父さんが、ぼくの知らない話をしている。
「お、少年、ゴキゲンナナメではないか」
「子供は昔話にヤキモチを妬くもんだ」
「そんなことないよ!……ねぇ、二人はいつ知り合ったの?」
すると二人とも考えこんでしまった。
「さて、そう言われると……参りましたな」
「思い出をさかのぼってみようではないか!一番古い記憶まで」
小父さんの提案で二人は次々と思い出をひっぱり出しはじめた。

夜明けまで語り合ったけど、話はまだ一昨年の六月だ。

2003年8月19日火曜日

辻強盗

‘辻強盗出没! チョコレートの管理は厳重に’
町の至るところに貼り紙が出ている。
ピーナツ売りがいつも出店を広げるビルの壁にも貼ってある。
それがちょうどピーナツ売りの頭の上にくるので
まるで彼が強盗みたいでちょっと笑った。

「笑い事じゃないぞ、少年。これはひょっとすると……」
「ひょっとすると?」
「私かもしれない」
予想もしなかった答えに驚くぼくに構わず小父さんは続けた。
「月が流れる雲に隠れる間、私の記憶は途切れる。
盗まれた物がお菓子ばかりというのも、私ならありうる!」
小父さんなぜか嬉しそう。

2003年8月18日月曜日

THE GIANT-BIRD

初めてその巨大な鳥が夜空に出現したのは三日前だった。
それ以来、人々は夜の外出をしなくなった。
ぼくとピーナツ売りは頭を抱えていた。
その巨大な鳥は寂しい道化師の新しい友達なのだ。
どのようにして鳥と道化師が出会ったのかはわからない。
町の人が恐がっているからには、どうにかしなければいけないけれど
二人を引き離すことはできない。

小父さんに相談すると笑って答えた。
「地上から見えなければいいんだろう?
月影が出ない飛び方を教えてやろう」

町の騒ぎはぴたりと止んだ。
巨大な鳥は今夜も町の上空を飛んでいる。

2003年8月17日日曜日

停電の原因

街燈が遊びに来た。
部屋に入れないので廃ビルの屋上へ行くことにした。
めずらしいお客さんだからおいでよ、と言ったら
寂しい道化師もやってきた。
ピーナツ売りは街燈がピーナツを食べられるかどうか悩みながらもいつもの倍、持ってきた。
屋上で、ぼくたちはオニゴッコをして、しりとりをした。
その後、満月を後に道化師と街燈は踊った。
小父さんは自分の姿とダンスに大満足みたいだ。

屋上から静かすぎる町を見下ろして
これ以上停電を長引かせるわけにはいかない、と
ピーナツ売りは言った。
嫌がる街燈を帰すのは大騒動だった。

2003年8月16日土曜日

どうして彼は喫煙家になったか

「それ、何の香り?」
「ん?キャラメルだな」
小父さんの煙草はピーナツ売りの特製だ。
タバコの葉は入ってないから本当は煙草じゃないんだけど。

次の日ぼくは、ピーナツ売りのところに手品を習いに行った。
「小父さんはなんであんな煙草吸うのかな」
「お月さんは、甘党なのさ。
こっちにいるときは香りだけでも始終味わっていたいんだよ」
「ふーん。でも、それなら食べればいいのに」
ピーナツ売りは笑って言った。
「そのうち煙草の作り方も教えてやらなきゃならんな。
背があと10センチ伸びたら教えてやる。手品より難しいぞ」

A MOONSHINE

よく晴れた満月の晩、白い傘を差して歩く御婦人を時々見かけた。
ハテナと思ってはいたんだ。
それから、満月の夜に傘を差す人はだんだん増えていった。
はじめは女の人ばかりだったのに、男の人にも傘を差す人が出てきた。
ぼくはマネキンに聞いてみることにした。
「アレね、月傘っていうらしいわ。ずいぶん流行ってるわよ。月夜に傘差して歩くのがオシャレなんですって。あとね、月明かりは体に毒だって言う人もいるわ。」
なんてこった!小父さんが知ったらショゲちゃうよ。
‘月光はカラダにいい’ってうわさを流さなくちゃ。

2003年8月14日木曜日

はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか

ピーナツ売りがビールびんをぶら下げてやってきた。
「ビールが入っていないのだよ」
ピーナツ売りは自分と、ピーナツを買うお客のためにビールをケースで買う。
その中にからっぽのびんがあったというのだ。
「よく見てごらん。中で何か飛び回っている」
「ほんとうだ。虫……ではないね。」
ぼくには見当がついていた。これはたぶん箒星だ。
「よし、ちょっと早いけど小父さんを呼ぼう」
ピーナツ売りも真剣な顔で頷いた。
「ラングレヌス」
なぜだか、とても低い声になった。

「やぁ。ピーナツ売りも来ていたのか、お。ビールだ」
小父さんは、ぼくとピーナツ売りが怒鳴り散らして止めるのも聞かずびんを開けてしまった。
ヒュン と音がしたような気がしたけど、はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたかどうかは、わからないままだ。

2003年8月13日水曜日

星と無頼漢

激しくドアを叩く者があった。
「助けてくれ」
飛び込んできたのは流星だった。
「無頼漢に追われている」
と流星は言った。
「無頼漢は、そっちだろう」
そう言うと流星は泣きついてきた。
ぼくは流星を部屋に残し表へ出た。
怖そうな人など見当たらない。
「……だれもいないじゃないか」
ぼくはわざと声に出して言った。
無頼漢と聞いて本当は少し怖かったのだ。
「ニャ」
「やぁ、見かけない顔だね」
木陰から出てきたネコを抱いて部屋へ戻ると流星は叫びながら出ていった。
「おやおや、無頼漢はおまえだったのか?」
ネコはぼくが作ったミルク粥を六皿も平らげた。

2003年8月11日月曜日

お月様が三角になった話

夜になるのが待ち遠しかった。
寂しい道化師もめずらしく自分から遊びにきてそわそわしている。
そう、今夜は花火が上がるのだ。
日が沈むのに合わせ、ぼくたちは黒猫の塔のてっぺんに上がった。
特等席だ!
高いのが怖い小父さんも、ぼくや道化師の誘いに負けてやってきた。
ヒュー ドーン
一発目を合図に次々と色とりどりの花火が満月の真下で開く。
小父さんは「ドーン」のたびにビクッとしている。
そしてひときわ大きな花火のひときわ大きな「ドーン」と同時に
真上の満月は三角形になった。
小父さんは、と言うと 気絶していた。

2003年8月10日日曜日

お月様を食べた話

ビスケットのかけらが落ちていたので
拾って食べたら案の定小父さんにコツンとやられた。
「少年、いやしいぞ」
「ゴメンナサイ。でもこのビスケットかたくて・・・」
ぼくは口からビスケットを出した。
小父さんはそれを拾いあげるとひぃっと息を飲んだ。
「おい、飲み込んでないだろうな」
「うん、たぶん」 「これは私の・・・」
「?」
「あー、一部だ。どんな味がした?」
「香ばしくて甘かったよ」
小父さんはなぜか機嫌がよくなって、ハッカ水と本物のビスケットを買ってくれた。

2003年8月9日土曜日

土星が三つできた話

今夜は仮装パレードだ。
ぼくはずっと前から土星になろうと決めていた。
ずいぶん苦労して頭にかぶる輪っかを作ったんだ。
通りに出ると仮装した人でいっぱいだった。
「あ」
「どうした?」
ピーナツ売りはマジシャンの格好だ。
いつも手品をやってるから仮装ではないような気もするけど。
「あの人見て」
少し前を歩いている背の高い男の人がぼくと同じような輪っかを頭につけていた。
とても目立ってる。
「いやー」
ぼくのすぐ後ろで小さい子の泣き声がして振り向いた。
その子も輪っかをかぶっている。
ぼくとおそろいなのがお気に召さないらしい。
やれやれ土星が三つだ。
でも、月の仮装をした人は28人もいたんだ。
あちこちお月さんだらけでピーナツ売りは大笑いだった。
でもこのことは小父さんには内緒。

2003年8月6日水曜日

赤鉛筆の由来

寂しい道化師は、両手にのるくらいの木箱をもって来た。
「たからばこ」
「見てもいいの?」
道化師は大きくうなずく。
箱の中はすてきなものでいっぱいだった。
ビー玉やビンの王冠、セミの脱け殻や新聞の切り抜き
外国の切手に、まつぼっくり、石ころ
ガラスのかけらとボタン、壊れた真空管。
道化師はよろこぶぼくを嬉しそうに見ていた。
その中に小指の先ほどにちびた赤鉛筆を見付けた。
「これはなに?」
おしゃべりが苦手な道化師は身振りを交えて語る。
まるですばらしい芝居を見ているようだった。
それは小さくて悲しい恋物語。

2003年8月4日月曜日

月夜のプロージット

「乾杯!」
ぼくたちは、夜風の中、乾杯した。星の降り積もった廃ビルの屋上で。
ぼくはハッカ水、小父さんはジンジャーハッカ水。
ピーナツ売りはビールで、寂しい道化師はアイスレモンティー。
ひょっこりついてきた、ねこのトーマにもミルクをやった。
ピーナツ売りが、それはそれはたくさんのピーナツを持ってきたのでツマミの心配はない。
「はたしてお月さん、今夜の乾杯のわけをお聞かせ願いましょう」
ピーナツ売りがまじめに聞いた。
そう、ぼくやピーナツ売りや道化師(と、ねこのトーマ)は誘われるまま、ここに集まったのだ。
小父さんは気取ってこう答えた。
「まだわからないのかね、諸君。見よ、こんなにも月が美しい!」

2003年8月3日日曜日

黒い箱

久しぶりに訪ねた寂しい道化師のアトリエはすっかり片付けられていた。
大きな黒い箱ただひとつを残して。
「どこに行ったんだろう」
「旅に出たんだろう。路上で芸をしながらなんとかやっているさ」
小父さんはそう言いながらも心配顔だ。
「旅に出るなら教えてくれればいいのに……」
ぼくは黒い箱に近付き、重い蓋をずらし覗きこんだ。
「小父さん、来て!」
ぼくは小声で叫ぶ。
中を見た小父さんとぼくは顔を見合わせ静かに蓋を戻した。
道化師は膝を抱えて寝息を立てていた。

三日後、道化師は新しい芸を見せてくれたんだ。

2003年8月1日金曜日

A ROC ON A PAVEMENT

石が落ちていた。
不自然なくらいまんまるなそれをそっと拾い上げた。
ぼくはすぐに気づいたのだ。
小父さんの石によく似ている、と。
ぼくは小父さんではなく、フクロウにその石を見せることにした。
なんとなく、小父さんに見せるのは気が引けたから。
{これは・・・火星であろう}
「火星!」
{おそらく近くまで来たついでに散歩でもしているのであろう}
「返さなきゃ!」

火星はまだ見つからないので、チラシを作った。
[尋ね人Mr.MARSMANー丸き もの、当方で確かに預かりし。
すみやかに取りに来らるるべし]

2003年7月30日水曜日

どうして酔いより覚めたか

また小父さんがココアで酔っ払った。小父さんはフラリと外へ出ていき、コウモリが後を追った。
「ココアのいたずらにひっかかるなんて、だらしがないねぇ」
{さようなことは言いなさんな}
フクロウが笑った。
ぼくはほかほかしてくるのを感じながらまくしたてる。
「らって、おじしゃんなんらから、おしゃけでよっぱらうのがほんとうれしょ」
{ほら、口がまわってない}

すっかり酔いが覚めて戻ってきた小父さんはぼくを見て大笑いした。
でもぼくは小父さんのように数十分では覚めなくて
はちみつ入りホットワインを飲まされた。

2003年7月28日月曜日

月の客人

「ラングレヌス」
小父さんがコウモリ傘を差して降りてくる、そのシルエットは毎晩見ていても飽きない。
でも今日はちょっと違うぞ。なんだか大きな荷物でも抱えているような。

小父さんが抱えていたのは、赤ん坊だった。
「預かっていたのだが、連れてきてしまった。……あー最近知り合ったんだ。当たり前だな、生まれたばかりなんだから」
小父さんは小さなお客さんの接待に戸惑っているらしい。そんな小父さんにかまわず赤ん坊は言った。
「お初にお目にかかります」
スッと差し出された手は力強くぼくの指を握った。
「ハジメマシテ」
「何して遊びますかな?……その前にミルクを頂戴できますか?熱すぎないように温めて下さると有り難い」
ちょびっとのミルクを程よく温めるのはなかなか難しい。小父さんが様子を見に来た。
「だいじょうぶ。もうすぐできるよ……あの子、ずいぶん丁寧な赤ちゃんだねぇ」
小父さんはキョトンとして答えた。
「何?ただエンエンとうるさく泣いているだけではないか」

2003年7月26日土曜日

ニュウヨークから帰ってきた人の話

「アタシね、長いことニュウヨークにいたの」
マネキンは斜め上を見上げたまま言った。「ニュウヨークではじめて着た服はワインレッドのスカート。通りを歩くたくさんの人がみんなアタシを見るの」
ニュウヨークもワインレッドもよくわからなかったけど、マネキンが昔は違う町にいたことが、ぼくには驚きだった。
「毎週違う服を着たのよ。でも今は一年中空色のワンピース。ずっと同じポーズのままで……でも、アタシここが好き。坊やとおしゃべりできるもの」
ぼくはどう答えたらいいのかわからなくて「うん」とだけ言った。

2003年7月24日木曜日

真夜中の訪問者

寂しい道化師が部屋にやってきたのは一時くらいだと思う。
どこかの家の時計がボーン、と一度だけなったのが聞こえてまもなくだったから。
ぼくはそのまま寝たフリをしていた。
道化師は、ぼくの頭をそっと撫でていた。
しばらくそうした後、少し踊った。薄目を開けて、そっと見ていたんだ。
道化師は音を立てずに踊る。まるで誰にも踊っているのを気付かれたくないみたいに。
それからもう一度ぼくの頭を撫で、おでこにキスして帰っていった。

2003年7月22日火曜日

自分によく似た人

彼はわざわざ帽子を脱いで話し掛けてきたのだった。
「坊やかい?お月さまと毎晩遊んでるのは」
やさしそうな男の人だ。
あつらえ物だろう、仕立てのよさそうな服を着ている。
白髪の混じる頭からはびっくりするぐらいいい匂いがした。
「ハイ」
どきまぎして答えた。
「私もきみくらいのころよく遊んだんだ……達者にしているのだろうね、お月さまは」
「はい、とても」

その晩、昼間の紳士のことを話すと小父さんはとても喜んだ。
「そういえば少年は子供の時の彼とよく似ているなあ!」
ぼくは小父さんに頭をわしゃわしゃと撫でられた。

2003年7月21日月曜日

THE WEDDING CEREMONY

真夜中というのに人が大勢集まっていた。
人々をぐいぐい押し分けて輪の中に入っていくと白くやわらかな物にぶつかった。
ぼくは顔をあげて青くなった。結婚式だ。
なんと白いドレスの花嫁さんにぶつかってしまったのだ。
小父さんがぺこぺこしながらぼくを連れ戻しにきた。
花嫁さんは小父さんの顔見るなり声を上げた
「まあ!あなたは!」
となりにいた新郎が続けた。
「お月さま!なんて光栄なことだろう。ぼくたちは、月明かりの下で結婚したくてわざわざ満月の夜を選んだのです。」
小父さんが照れると、月光は一段と明るくなった。

2003年7月20日日曜日

銀河からの手紙

朝、ポストに不思議な封筒が入っていた。
文字は見たこともなく、切手は真っ黒だ。
ぼくは部屋に戻り、封を開けてみることにした。
文字は読めないけど、ポストに入っていたんだから
ぼく宛に違いない。
ところがペパーナイフを使ってもハサミ使っても、破ろうとしても封筒は切れない。
あちこち触ってみた。なにか切り口がないかと思って。
そのとき、封筒は音もなく開いたのだ。
(あとで知ったのだけれど黒い切手がスイッチになっていたんだ)
でも、やっぱり便箋に綴られた文字を読むことはできなかった。

その晩、ぼくは小父さんにその手紙を見せた。
「銀河からだ」
小父さんは手紙を読み上げようとして、やめた。
「少年には必要のない手紙だ」
「でも、ぼくに来たものだ!」
「これは……私の悪口が書いてある。銀河め、なんてことを!」

2003年7月17日木曜日

A HOLD UP

「手を挙げろ!さもないと撃つぞ」
ぼくは人差し指と親指をピンと立て相手に向けた。
チームブラックキャットは宿敵ムーンライトをついに追い詰めたのだ!
ギャングごっこの佳境に入っていた。
でもムーンライトのボス―つまり小父さん―はなかなか手を挙げない。
「もう一度だけ言う。手を、挙げろ」
「私の負けだ、ブラックキャット。好きにするがいい」
「えー、ちゃんと挙げてよ。ここがいいところなんだから!いい?やりなおし……手を挙げろ!」
小父さんがしぶしぶ両手を挙げるとバラバラバラ…と音がして
足元に金平糖が散らばった。

2003年7月16日水曜日

AN INCIDENT AT THE STREET CORNER

「ごめんなさい!」
その角を曲がろうとしたぼくは女の人にぶつかった。
「こちらこそごめんあそばせ。あら!坊やじゃない」
ええ?こんな女の人の知り合いはいないはずだけど。
ぼくがぽかん、としていると女の人は言った。
「やだ、わからない?アタシよ」
彼女は空色ワンピースを翻してポーズを作って見せた。
「あ、マネキンの……でもどうして?」
マネキンはニッコリとした。
前におばさんって呼んだことをちょっぴり後悔した。
ぼくは、まだポーズを作ったままのマネキンをよけて角を曲がり
ショウウィンドウが空っぽなのをしっかり見てから
マネキンのところまで戻った。
「どうして動けるのかアタシもわからないの。そうだわ、ね、坊やデートしましょ」
マネキンはさっきよりももっとニッコリした。
でもデートはできなかった。マネキンは次の角を曲がったところでただのマネキンに戻ってしまったのだ。
ぼくは10cmも背の高いマネキンを担いでショウウィンドウまで運ばなければならなかった。
マネキンはぼくに担がれながら、すごくすごく泣いた。
ぼくは、女の人がこんなに泣くのを初めて見た。

2003年7月15日火曜日

見てきたようなことを云う人

「あんた月だろ、俺は知ってるぞ」
ピーナツ売りと三人で喋っているところに男が割り込んできた。
小父さんは明らかにムッとしていた。
小父さんは呼び捨てで呼ばれるのを嫌っている。
「はて、あなたにお会いするのは初めてだと存じますが」
「俺は知ってる、月が□▲※△}@♪・`:☆だってな!
わっはっは!月もたいしたことはない!がっはっは」
なにを言っていたのかぼくはよくわからなかった。
笑いながら去っていく男は、いやなにおいがした。

「今日はラベンダーの香りにしておきました」
ピーナツ売りはぼそっと言った。
「気が利くね」
小父さんもぼそっと応えた。
帰り道、ぼくはバリボリ音を立てながらピーナツを食べた。
<行儀が悪いぞ、少年>とかなんとか言って欲しかったんだけど、小父さんはずっと黙っていた。

2003年7月14日月曜日

友達がお月様に変わった話

トーマとぼくは遅い朝ご飯を食べていた。
トーマはぼくの友達で、ネコだ。
トーマはピチャピチャと音を立ててミルクを飲み干すと毛繕いをはじめた。
ぼくがそんなトーマを眺めながらパンをかじっていると、トーマは毛を逆立て何かを威嚇しはじめた。
そしてすぐ、くにゃりと倒れたのだ。
慌ててぼくはトーマを抱きかかえた。
あっと言う間にトーマは小父さんの姿になってしまった。
でも大きさはネコのままだ。
小父さんを抱っこしてるなんて、すごく変な感じ。

これからぼくは黒猫に会いに行く。
ネコのことはネコに聞くのが一番だ。

2003年7月12日土曜日

THE BLACK COMET CLUB

「少年、実は明日THE BLACK COMET CLUBの会合があるので来られないのだ」
「うん、わかった。でも何なの?そのクラブ」
「私のファンクラブだ」
「小父さんのファンクラブ!?どうしてそれがブラックコメットなの?」
「いい名前だろう?会長自らが付けた名前だ」
「ふーん……会長ってどんな人?」
小父さんは誇らしげに胸を叩いた。
なんだか言いたいことがたくさんあったけど
小父さんは明日が待ちきれない、といった顔でそそくさと帰ってしまった。

2003年7月11日金曜日

散歩前

突然、扉がバタバタと開閉しはじめた。
「散歩に行こうか」
ぼくと小父さんは同時に言い、立ち上がった。
「さてと……どっちの道に行くかな。…道化師の所にでも行ってみるか」
「ぼくもそう思ってたところ」
ぼくたちは夜道をゆっくりと歩きだした。寂しい道化師のアトリエに向かって。
もちろん扉がバタバタしたのは道化師の「会いにきて」の合図だ。
でもここはあくまでも〔散歩がてら〕のフリをしてやらなけりゃいけない。
そうしないと道化師は「わざわざ会いにきてもらうなんて申し訳ない」って泣いちゃうんだから。

2003年7月9日水曜日

コウモリの家

��ラングレヌス」
いくら呼んでも小父さんがやってくる気配はなかった。
どうしたんだろう。ちょっと不安になってきた。
今までこんなことは一度もなかったから。
しばらくするとフクロウだけやってきた。
「小父さんは?」
{コウモリが来ない}
「それで来れないの?」
フクロウは頷いた。
「コウモリはどうしちゃったんだろう?」
フクロウは言った。
{コウモリの家へ!}
え?コウモリの家に行くの?
するとフクロウはたちまち大きくなった。
{さあ、わしの背中へ!}

コウモリの家は遠かった。そして暗かった。
コウモリは家で踊っていた。大きな声で歌いながら。
「心配したんだよ!」
コウモリは赤面しながら決まり悪そうにした。
本当は暗くてよくわからなかったんだけど。

2003年7月8日火曜日

黒猫を射ち落とした話

電信柱のてっぺんに黒猫はいた。
「これで射ち落とせ」
と小父さんから手渡されたのは、ピストルだった。
ぼくはその重みと冷たさに戦いた。
「……死んじゃうよ。やだ、やりたくない」
「いいから、やれ」
小父さんの顔はこれ以上の抵抗を拒否していた。
ぼくは銃口を上に向け目をきつく閉じた。
どうしよう、ぼくは黒猫さんを殺そうとしている。
塔でたくさんおしゃべりしたのに! できないよ!
「さあ」
小父さんの低い声に促されるように、引き金を引いた。 あまりにも軽い感触だった。
白い翼が生えた黒猫がゆっくりと降りてくる。

2003年7月6日日曜日

A TWILIGHT EPISODE

コンコン コンコンコン
窓を叩く音に目が覚めた。
カーテンを開くとフクロウとコウモリがいた。
「どうしたの?まだ夜明け前だよ」
{おもしろいものをお目にかけよう}

コウモリ傘を差してフクロウについて行く。コウモリは夜明けが近いからか、ちょっとふらふらしてる。
着いたところは黒猫の塔のてっぺんだった。
少しづつ辺りが明るくなっていく。
{よく耳を澄ませて}
―ほらほら、お月さん、白くなってきましたねぇ。ねんねの時間ですよ
―お日さんがうるさくて眠れませんなぁ
「喧嘩してる……」
{これが日と月、朝晩の儀式}

2003年7月5日土曜日

煙突から投げ込まれた話

小父さんはコウモリを呼ぶとコウモリ傘を右手に、左手でぼくをヒョイと抱えた。
ゆっくり地面が遠ざかる。三階の窓が目の前に来たときぼくは言った。
「ねぇ重くない?」
「なんのこれしき!」
ぼくは危うくため息が出そうになった。

ぼくたちは街をたっぷり二周した。
はじめは恐かったけど空中散歩もなかなかいい。
「よし……あそこだな」
「おしまい?」
「そうだ。少年、身体の力を抜くんだ。それ!」
小父さんはぼくを投げた。
ボールのように飛んだぼくは煙突に吸い込まれた。
「ストライク!」
遠くで小父さんの歓声がする。

2003年7月3日木曜日

月のサーカス

小父さんはサーカス団を持っていると言う。つまり団長だ。
「連れていって!」
「その必要はない。サーカスを連れてくるよ」
次の晩、小父さんは箱を持ってきた。
箱を机に置き咳払いをひとつして小父さんは言った。
「さあ、月のサーカスの始まりです」
「?」
「覗いてごらん」
「……全部、小父さん?」
箱の中では団員たちがさまざまな芸当を繰り広げていた。
玉乗り、空中ブランコ、綱渡り…よくよく見ると団員はすべて小父さんだ。
「さよう」
小父さんは胸を張って応えた。
ぼくは一晩中箱を覗いていた。ぼくだけのサーカスを。

2003年7月1日火曜日

電燈の下をへんなものが通った話

「あれ?」
「どうした?少年」
ぼくと小父さんはピーナツ売りの部屋でサンドウィッチを食べていた。
「今、電燈の下に何かいた」
「虫かなんかだろう」
「違うよ、もっと大きなもの」
「じゃあ、ピーナツ売りが手品を使ったんだろ」
小父さんはピーナツバターサンドに夢中だ。
六個目のサンドウィッチに手を伸ばしている。
おかげでピーナツ売りはキッチンから離れられない。
「あ、また!」
「お!」
今度は小父さんも気づいたみたいだ。
「少年、星を持っているか?」
ぼくは星の瓶を小父さんに渡した。
小父さんは星をひとつまみ、電燈の向けて撒いた。
「これで、よし。へんなのものは星に食べられてしまう」
へんなものを食べて星はおなかを壊さないかな、と聞いたら「知ったこっちゃない」だってさ。

2003年6月29日日曜日

ココアのいたずら

ココアが飲みたいと大騒ぎする小父さんのために
アイスココアを作った。
小父さんは「おいしい、おいしい」を連発して飲み干さない内に
外へ出てコウモリを呼び、コウモリ傘を差してどこかへ飛んでいってしまった。
「どこにいっちゃったんだろ」
{なぁに、すぐに戻ってくる}
フクロウが言った通り、30分ほどで小父さんは戻ってきた。
「一体私は何をしていたんだろう?」
「覚えてないの?」
{ココアにいたずらされたのだ}
すると小父さんのグラスに残っていたココアが笑いだした。
それはそれはうるさくて、頭が痛くなったよ。

2003年6月27日金曜日

THE MOONMAN

「たとえば小父さんに手紙を書きたい時、宛名はどうすればいいの?」
「妙なことを言う奴だな。こうして毎晩会っているではないか」
「だから、たとえばの話だよ」
「TO THE MOONMAN」
「それ、小父さんの名前?」
「名前?名前ではない。私に名前はない」
「……ふーん。それでポストに入れたら届くの?」
「そうだ。私宛ての手紙があることをポストがフクロウに伝える」
「届けるのは郵便屋さんじゃないんだね」
「彼らが私の所に来られると思うか?」

小父さんが帰ってからぼくはカードを書いた。
バースディパーティーの招待状。

2003年6月26日木曜日

はたして月へ行けたか

「あの人は本当に月から来て月へ帰るのか?」
とある人に聞かれた。
あまりにも真剣な眼差しで、ぼくは怖じ気づいてしまった。
「ぼくは月まで行ったことないから……」
するとその人は言った。
「ならば私が確かめてこよう」
その時、空を睨み上げ、拳を握りしめるのをぼくは見たんだ。

それからその人には会っていない。
一度小父さんに
「小父さんを空まで追いかけて来た人がいなかった?」
と聞いてみたけど笑い飛ばされただけだった。
あの人のことが忘れられない。なぜだろう。

2003年6月25日水曜日

月をあげる人

「小さい頃ね、月をあげる人がいると思ってたんだ。
鼻が丸い小太りなおじさんが長い長い梯子担いで丘に上がるの。
丘の頂上に着くと梯子を空に立て掛けて登るんだ。よっこらしょって。
それでポケットから月を出して空に貼り付けて…何かおまじないを言うんだよ。
そしたら月が動きだすんだ。
そんなふうに思ってた。」
小父さんは黙ってぼくの話を聞いていた。
煙草を一本取り出して、火を点ける。
レモンの香りの煙を吐き出しながら言った。「ま、ハズレではないな」

2003年6月24日火曜日

水道へ突き落とされた話

頭が痛かった。のっそりとベッドから這い出て洗面台に向う。
痛みが流れるわけではないのに、ジャバジャバと顔を洗い続けた……気が付くとぼくは水と共に流れていた。
始めは驚き、焦って手足をバタバタと動かしていたがやがてあきらめて流れに身を任せた。
するとまもなく穏やかな気持ちになった。
このトンネル(おそらく下水道)を抜けると川に出て海に行くんだ。
ぼくは再び気を失った。
目が覚めると潮の香がした。いよいよ海だ。
ぼくはドキドキしてきた。あぁ、満月が綺麗だ。
「起きろ!少年。もう少しで水になるところだったぞ」

2003年6月22日日曜日

星におそわれた話

「そろそろおしまいだ」
今日もぼくは廃ビルの屋上で星を拾っている。
この前作ったパンが好評で、あれからしょっちゅう星を拾っているのだ。
「本当にそろそろ止めないと…」
「もうちょっとだけ」
「おい!いいかげんにしないと…」
小父さんが言い切る前にそれはやってきた。
星が降ってきたのだ。
積もった星に身体が埋まっていく。
腰まで埋まったところでようやく星はやんだ。
服の中まで星が入り込み、ピチピチ弾けて痛い。
やっぱり小父さんの言うことを聞いておけばよかった。
くやしいので苦しくなるまで星を掴んで食べてやった。
以来、ゲップするたび口から星が飛ぶ。

2003年6月21日土曜日

星でパンをこしらえた話

「星を拾いにいきたい」
「この前行ったばかりだろう」
「いいからいいから」
ぼくは一晩かけて大量の星を拾った。
何も知らない小父さんは退屈そうだったけど。

翌日、ぼくは星を丁寧にこねて、オーブンに火を入れた。
夕方、小父さんの前でオーブンを開く。
おいしい香りが部屋に広がる。成功だ。
星でできたパンは大きくてまんまる。お月さまみたい。
小父さんは目を丸くした。
星でパンを作るとは思ってもみなかったみたいだ。
焼きあがったパンを持って友達に会いにいこう。
ピーナツ売りや黒猫、道化師やマネキンにもおすそわけ。

2003年6月20日金曜日

自分を落としてしまった話

やってきた小父さんは真っ青だった。
ここに来る途中、自分を落としたらしい。
いつもは送り迎えの時しか現れないコウモリも慌てていた。
とにかくあれを見付けないければ!
傷がつけば小父さんの身体も、空の月も大変なことになる。
もはや小父さんは不安で倒れそうだ。
小父さんにはココアを飲ませ、ぼくのベッドに休ませた。
コウモリに小父さんを見てもらうことにして
フクロウとぼくで探しに行く。
でも一体どこを探したらいいのだろう。
早く見つけたいのに見当もつかない。
ぼくは腕組みした。
すると胸ポケットに何か入っているのに気付いた。
小さなまんまるの石。
ポケットの中の月はやっぱりポケットが好きらしい。

2003年6月19日木曜日

ガス燈とつかみ合いをした話

ぼくはガス燈によりかかってフクロウを待っていた。
一緒にピーナツ売りに会い行くことになっていたのだ。
「まだかなぁ、フクロウ」
「当分来ないよ」
ん?
「重いからどいてくれよ」
背中を押されて転んだ。
ガス燈を見上げて、ぼくは青くなった。ぐったりとしたフクロウがぶらさがっている。
「フクロウに何をした!」
ぼくはガス燈に登ろうとしたが、振り落とされて身体を強く打った。
参ったな…
そこへ、遅いのを心配したピーナツ売りが来てくれた。
ニヤリと笑うとピーナツ売りはキリンを出した。
フクロウは無事に助けたよ。

2003年6月17日火曜日

星?花火?

星?花火?
「花火をやるぞ」
「やった!」
小父さんはマッチでロウソクに火をつけるとまず煙草を取り出した。
今日のはバニラの香りだ。
それからやっと花火を一本くれた。
ぼくはわくわくしながら花火をロウソクに近付けた。

シュー
音をたてながら火花が舞う。
すごくきれいだ。次々火をつけていく。
あれ?

「ねえ、これ花火?」
「何を言う、少年。花火でなければ、なんだというのだ」
「星でしょ?だって火花が全部空へ飛んでいくよ」
いつのまにか空は星だらけになっていた。

2003年6月16日月曜日

TOUR DE CHAT-NOIR

「こないだ箒星獲りにいったところに行きたい」
「あぁ、黒猫の塔か」
「黒猫の塔って言うの?」
「そうだ。あの塔はとっても、古い。そしてあぶない」
「でもこの前は登ったよ?」
「それは箒星を獲らなくてはならなかったからだ」
問答の末、なんとか塔へ連れていって貰った。

小父さんをベベに残し塔の中に足を踏み入れると冷たい風が背中をくすぐった。
「いらっしゃい」
「あ!黒猫さん!この前は会わなかったのに」
「お月さんがいたからね」
「……仲悪いの?」
「そうじゃない。これはお月さんには内緒だよ……」

黒猫とおしゃべりして車に戻り小父さんに言った。
「また来たい!」
「やれやれ」

2003年6月15日日曜日

AN INCIDENT IN THE CONCERT

コンサートに行くからと小父さんは服をくれた。
「これ着るの?」
「そうだ」
「はずかしいよ」
しばらく抵抗してみたが結局着て出掛けた。
きまり悪いままホールに着いた。

静かに幕が上がる。
初めて見る楽器だらけで、ぼくは夢中になった。
あの楽器はどの音だろう?どうやって音をだすんだろう?
気付くと横にいるはずの小父さんが、いない。
ぼくは不安になった。でも立ち上がるわけにはいかない。
とうとう全ての演奏が終わった。他の観客は帰り、広いホールにぼくはひとりぼっちになった。
そしてアンコールが始まった。

2003年6月13日金曜日

星を食べた話

小父さんを呼ぼうとしたら星の入った瓶を倒してしまった。
瓶の栓がはずれ、砂のように細かい星が机の上に散らばった。
窓を開けひとつだけ放り投げる。
「ラングレヌス!」

小父さんが来るには時間がかかるだろう。今日は曇っているから。
さて、散らばった星をどうしようか?
しばらく机の前で腕組みしながら星を眺めていると、ある衝動にかられて指を伸ばした。
「…・・・おいし」
机の上の星を舐め、瓶に残っていた星も平らげたところで、ようやく小父さんがやってきた。
「星を拾いに行こう」
「まだたくさんあるだろ?」
「食べちゃった!」

2003年6月12日木曜日

箒星を獲りに行った話

ぼくはワクワクしていた。
「明日は箒星を獲りに行くぞ。弁当を用意しておけ」
と小父さんに言われて、サンドウィッチを作り
ジュースも用意してバスケットに詰め、迎えを待った。
夕暮間近になって現れた小父さんは、ちょっと厳しい顔で、ぼくは緊張した。
ぼくたちはベベに乗り走った。
「あれに登るぞ」
小父さんが指差す先には夜空に刺さる程高い塔があった。

実際は塔に昇るのはそれほど大変ではなかったし、箒星もたくさん獲れた。
塔の上で食べるサンドウィッチもおいしかった。
でも小父さんは高いのはイヤだとずっと震えていた。

2003年6月11日水曜日

月光密造者

「この瓶に彼の吸い殻を入れてきてほしい」
突然話し掛けてきた男は、フラフラしていた。
渡されたのは、瓶というよりランプのような代物だった。
その晩、ハニーシガレットを喫む小父さんは機嫌がよく、ぼくたちは寂しい道化師に会いにいった。
パントマイムを見終わり拍手を送る時、小父さんの口から煙草が落ちた。
ぼくはすばやく瓶を真鍮の枠から外し、吸い殻を入れた。ジュッと音がした。

翌日、男に瓶を渡すと喜んだ。
「これで酒が旨くなるのさ、月はエライ目にあうがな」
その晩会った小父さんは、まっ赤だった。
もちろん、月も。

2003年6月10日火曜日

雨を射ち止めた話

十分でいいから、止んでおくれ!
かれこれ小一時間雨宿りしていた。
土砂降りの雨は道に川を作っている。
ぼくはパンを買いにきて小さな女の子と友達になった。
迷子の女の子は、お呼ばれの帰りで、ピンクのワンピースにきれいな包みを抱えていた。
パンも女の子も濡らすわけにいかない。
女の子はぼくの手を握り締めてしくしく泣いていた。
「坊主、これをやろう」
振り向くと白いマントの人が、ピストルを差し出していた。
思わず受け取るとその人は消えた。
銃口を空に向け引き金を引いた。衝撃が走った。
女の子は、けたけた笑った。

2003年6月9日月曜日

なげいて帰った者

床が軋む音がして目が覚めた。
ぼくは横になったまま耳をそばだてた。

ぱちん
…ぅがゝ~うぃん!ぁりま…あすのッ じゃ…♪ら びゅぃん
「ぁーあっ……本日は晴天なり。わたくし、普段は人の代弁ばかりしております。それがわたくしの役目であることは、十分承知しております。たまには自分の声で喋りたいと思うのは、罪でありましょうか?これだけ毎日いろいろな声で喋っていると、己の声を持ちたくなってまいります。しかし本来、それは許されないのでございま…・・・」
ぎゅいん ぱちん

翌朝、ぼくはゴミ置場で捨てられたラジオを見つけた。

2003年6月8日日曜日

ポケットの中の月

ぼく以外のみんなに緊張が走ったのは
ココナッツシガレットのお代を払おうとした時だった。
財布を上着から出したその時、ポケットから落ちた物があった。
「え?なに?どうしたの?」
小父さんは答えず、そぅっとそれを拾いあげ
舐めるように眺めた後、ため息とともに言った。
「だいじょうぶ」
ピーナツ売りもフクロウも、息を吐いた。
「少年、これは私だ」
小父さんがつまんでいるのは、小さなまんまるの石だった。
「これがないと私は帰れない。そして絶対に傷つけてはならないのだ。」
小父さんの視線の先には、まんまるお月さま。

2003年6月6日金曜日

霧にだまされた話

濃い霧の晩だった。
ツタが絡み付いた古いアパートメントの二階からおさげ髪の女の子が手を振っているのがわかった。
小父さんとぼくとフクロウは、急な階段を昇って女の子の部屋に行った。
ドアを開けると女の子は小父さんに飛び付いた。
「わたし、お月さまにずっと会いたかったの!」
深緑の目が輝いた。
ぼくたちは女の子が出してくれたクッキーと紅茶を飲みながら遊んだ。
ぼくが手品をし、小父さんはおどけてみせた。フクロウは昔話をした。
女の子はとても喜んだ。
翌朝、一人で女の子会いに行くと、そこは雑草だらけの空き地だった。

2003年6月5日木曜日

キスした人

お月さまとキスをするといいことがある。
そんな噂が街に流れていた。
ぼくはそれをいつかも話し掛けられたマネキンに聞かされたのだった。
「本当はアタシがお月さまのくちびるを奪いたいところなんだけど…
ぼうやならチュッてできるんじゃなぁい?どんなことが起きたか教えて。ネ?」
いいことがあっても小父さんとキスはしたくないな、と思った。
その晩、小父さんに尋ねてみると
「嘘では、ない」という答えだった。
「それで、誰かにキスしたことがあるの?」
「ひとりだけ」
その人は誰?という言葉はハッカ水と一緒に飲み込んだ。

2003年6月4日水曜日

THE MOONRIDERS

「少年、外へ出るぞ」
突然、小父さんは飛び出して行った。
外には白いバイクにまたがった人がたくさんいた。
ぼくは驚いて小父さんの影に隠れる。
「恐がることはない、彼らはムーンライダーだ。みんなで街を走るぞ」
小父さんは、一番大きなバイクに乗った。ぼくはその背中にしがみつく。
「出発!」
何十もの白いバイクが真夜中の街を音もなく駆け抜ける。
でもすごい風だ。白い一隊が通ると街路樹もガス燈も大きくしなる。
「アタシも乗せてー」
と叫ぶのはマネキン。ワンピースがお腹まで捲れあがっている彼女に、ぼくは手を振った。

押し出された話

「行き止まりだよ!」
逃げ込んだビルとビルの間に抜け道はなかった。
ぼくたちは流星の暴走族に巻き込まれて逃げていた。
正確に言えば、小父さんが流星たちに追われていた。
ぼくはとばっちりを食らったのだ。
「その壁に張りついてろ!」
後から声がかかる。小父さんよりぼくの方が足が速い。
「待ってろよ!」
小父さんはためらいもなく突進してきた。
ついに小父さんはぼくに追突した。
そのままグニグニと壁に身体を押しつけてくる。
苦しい……

「平気か?少年」
壁の向うは、見たことのない道具がたくさんある部屋だった。

2003年6月2日月曜日

はねとばされた話

「やるじゃないか、少年!」
ピーナツ売りに手品を教わった。
いきなりピーナツをハトに変えるのは難しいのでテントウ虫にした。
小父さんには内緒で昼間こっそりピーナツ売りのところに通ったんだ。
頑張って二日で覚えた。ピーナツ売りも誉めてくれた。
「オレの跡取りになるかい?」
「それもいいね」
一番驚いてくれたのはフクロウだった。
{すばらしい!}
バシン!と翼で叩かれた。
ぼくははね飛ばされて電燈にひっかかった。大慌てでフクロウが助けてくれたけど、まだ新しいシャツが破けちゃった。

2003年5月29日木曜日

突き飛ばされた話

「どうしたんだ?少年。キズだらけてはないか」
ここ数日、ぼくは何度も転んで体中がアザや擦り傷だらけになっていた。
「具合がわるいのか?」
「そんなんじゃないよ」
心配顔の小父さんになるべく陽気に答えた。
「なにかに背中を押される感じなんだ。でも後には誰もいないの。おかしいでしょ?」
小父さんは変な顔をしている。
「ちょうどここだよ、昨日転んだのは」
するとドシンと背中を押されて、なんと3メートル先の地面に叩きつけられた。
怪我はフクロウが治してくれたけど電燈に笑われた。
小父さんはどこかにいなくなっていた。

2003年5月28日水曜日

黒猫のしっぽを切った話

「黒猫だ!」
小父さんはベベを急停車させ、急発進した。
ぼくの身体はガックン、と大きく揺れた。
「どうしたの?」
「あれを追い掛けるぞ」
小父さんの顔は真剣だ。
路地に入り、小さな角をいくつも曲がった。
やがて諦めたのか黒猫は逃げるのをやめた。
「よぉ、182年振りだなぁ」
「もう、勘弁して下さい」
混乱するぼくにむかって小父さんは言った。
「少年、そいつのしっぽを切るんだ」
黒猫はぼくに尻を向けた。
小父さんに渡されたハサミでパチンとやると黒猫は言った。
「これであと200年は生きることになってしまったよ」

2003年5月27日火曜日

SOMETHING BLACK

小父さんが上着のポケットをごそごそとひっかきまわていた。
「どうしたの?」
「ちょっと見当たらなくて……」
「さっき上着脱いでたから、落としたのかも」
街のカフェでケーキ食べた帰りなのだ。
ぼくはチョコレートケーキを食べ、小父さんはエクレアを四つも食べた。
その後、熱いコーヒーをブラックで飲んでいた。
そのコーヒーを味見してみたけど、熱いし苦いし、もう飲まない。
「で、何が見当たらないの?」
「……黒くて」{失すと一大事}
フクロウが大げさに騒いでみせた。
「そう、大変……。あ、あった」
「見せて!」
「駄目」

2003年5月26日月曜日

ある晩の出来事

ある新月の晩(新月の日小父さんは来ない)街をブラブラしていると、空色のワンピースを着せられたのマネキンに話し掛けられた。
「坊や、お月さまと友達なんですって?」
「そうだよ」
「ねぇ?今度お月さまをここに連れてきてちょうだい」
「なんで?」
「アタシもお月さまと仲良くなりたいの」
マネキンは腰に片手をあて斜め上を見上げたまま続けて言った。
「ねぇ、お月さまってどんなタイプが好きなのかしら?坊や、知らない?」
「知らない。じゃあね。おばさん」
「やっだ、お姉さんって呼んでよ」
もちろん、ぼくは無視したさ。

2003年5月25日日曜日

月光鬼語

「話し掛けてみな」
満月の晩、ピーナツ売りから煙草を買った帰り道だった。
「え?誰に?」
周りには誰もいない。
「足元だ」
満月の明かりでできたぼくの影。
「や、やぁ。こんばんは」
[やぁ!こんばんは!]
影は立ち上がり威勢よく言った。
[いつもありがとよ!踏ん付けてくれて!それから!そうやってオドオドするのやめろ]
「なんか意地悪だよ…この影」
「そりゃそうだ。これは鬼だ。少年の裏の顔がこの影に表れる。
こうやってたまには影の意見を聞くのもいいもんだ」
小父さんはニコニコして言うけど、すごく疲れるよ……。

2003年5月24日土曜日

IT'S NOTHING ELSE

きのうの晩は別に何もなかった。
小父さんが来て、一緒に街に行ってピーナツ売りの手品を見て
ピーナツ一袋(二十円)とシナモン煙草を買った。
ただそれだけ。
……本当のこと言えば、ぼくの誕生日だったんだけど。

2003年5月23日金曜日

A CHILDREN'S SONG

嵐の晩。小父さんはぼくの部屋にいた。
「帰らなくてもいいの?」
「こんな日は帰らなくても大丈夫。誰も困らない。」
それからしばらく、ぼくも小父さんもフクロウも黙って窓の外を見ていた。
風がうなり、木々がしなり、雨が地面を叩く。ゴミ箱が転がる音がした。
それはめちゃくちゃなようで、規則正しい。うるさいようで、静か。
「ふしぎだね。」
ぼくがつぶやくとフクロウが言った。
{子供の歌のようだ}
小父さんは何も言わずに煙草に火を付けた。
ミントの香りが広がった。

2003年5月22日木曜日

A PUZZLE

小父さんがプレゼントしてくれたパズルは変わっていた。
手のひらに乗る程の小さなブリキの箱に、たった二つのピースしか入っていなかった。
「これだけ?」
「そうだ。今は、な」
ぼくはその二つをぴったりはめ込んだ。
すると箱の中には新しい二つのピースが生まれていた。
どちらを先に手に取るかでパズルの完成具合が変わるのだ、と小父さんは言う。
だからぼくはいちいち悩まなければならなかった。
「ゆっくり悩めばいい。どうせ一個しか選べない」
「いつ終わるの?このパズル」
「満足すれば終わる、かもしれない」

2003年5月21日水曜日

A MEMORY

「小父さんにも子供の時があったの?」
夜の公園でシーソーに乗りながらぼくは聞いた。
「もちろん、私にも少年時代はあった。」
「昔話聞かせて」
「淋しかったよ……、こうして遊んでくれるヤツはいなかった。」
「どうして?」
「どうしてもだ。此処にはまだ誰もいなかったんだ……」
「隣町にも?外国にも?」
小父さんは質問には答えずに、すごく遠い目をした。
ぼくはシーソーを降りてハーモニカを吹き、小父さんはハッカ水を飲んだ。
ゴクリ、と大きな音がした。

2003年5月19日月曜日

お月様とけんかした話

ベベに乗って夜の遊園地に来た。ぼくは初めて遊園地に来たのだ!
「観覧車に乗ろう」
と言うと小父さんは「高いところは厭き厭きしている」
と言うので
「じゃあメリィゴーラウンドがいい」
と言えば
「ぐるぐる回って何が楽しい」
と言う。ぼくはイライラしてきた。
「おばけ屋敷ならいいだろう!」
「暗いとこなんぞつまらない」
ぼくは半分泣きながら
「何しに遊園地に来たんだよ!」
と怒った。
「ポップコーンを食べに」
ぼくは帰るまで小父さんと口をきかなかった。
別れてから月に瓶の星を投げ付けた。月は真っ赤になった。

2003年5月18日日曜日

月とシガレット

「小父さん、タバコ喫みなんだね。ぼくも欲しい」
「何を言い出すんだ。コドモが吸うもんじゃないぞ」
{よいではないか、教えてやっても}
「ほらー。だってさぁそのタバコ、タバコじゃないでしょ」
「タバコだ」
「嘘つき。チョコレートの香りがする。昨日はコーヒーだった」

小父さんがしぶしぶ向ったのは、顔の知れた街角のピーナツ売りの所だった。
この男、手品をしながらピーナツを売る。
「やぁ、お月さん。今夜はイチゴにしておいたよ」
と鳩を飛ばしながら言った。
この人が月御用達煙草様筒型香職人だったとは! 

2003年5月17日土曜日

ある夜倉庫のかげで聞いた話

「少年よ、秘密の話がある。どこか人気のない場所はないか?」
ここだって誰もいやしないよ、と思ったが
おじさんを古い倉庫の裏に案内した。
「話ってなぁに?」
「実はだな…ちょっと待て何か聞こえるぞ」
耳を澄ますと確かに話し声が聞こえてきた。倉庫の前の道を歩く通行人のようだ。
「ばかな事言わないで頂戴」
「オレは見た!月の上がパカッて開いて!人が出てきたんだッ!」
「そんなこと余所で言い触らしたら変人扱いだよ」

「見られちゃったんだね、小父さん」
小父さんはため息をついた。
秘密の話は聞きそびれた。

2003年5月16日金曜日

ハーモニカを盗まれた話

「上手いもんだな。どうしたんだ、そのハーモニカ」
「拾った」
{錆びている}
「うん」
{出ない音もある}
「いいんだ」
ぼくはハーモニカを吹き続けた。
小父さんとフクロウは静かに夜空を眺めている。
雲が月を覆い始めた。
「こりゃそろそろ帰らないといかんな。雲が厚いと帰りが面倒だ」
小父さんはヒュンと口笛を吹きコウモリを呼ぶ。
「じゃあな、少年」
「ばいばい」

手の中のハーモニカは小父さんがいなくなるのと同時に消えた。
ベソをかきながら部屋へ帰ると
机の上にピカピカになったぼくのハーモニカがあった。

2003年5月15日木曜日

流星と格闘した話

「今夜はドライブだ」
「……なにコレ」
「知らんのか、最新の車だよ。プジョー・ベベだ。時速60Kmだぞ、速いだろ」
小父さんとぼくはその小さくてヘンテコな自動車で夜中の町へ繰り出した。
いつのまにかフクロウが付いてきていた。
「どうだ気持ちがいいだろ」
「……恥ずかしいよ」
ピュン {ギャン!}
フクロウが叫んだ。
「小父さん、追い掛けよう!」
「ありゃ流星だ。ほっとけ」
「でも!」

まもなくガス燈の下で煙草をふかす流星を見付けた。
ぼくは流星に殴り掛かった。
「フクロウに謝れ!」
ぼくは埃塗れになっただけだった。

2003年5月14日水曜日

投石事件

えーと、小父さんを呼ぶには、瓶の星を一つ…一個なんて小さすぎて摘めないよ。
えぇいひとつまみでいいや。それで合い言葉はなんだっけ。ラ、ラン
「ラングレヌス!」
思いっきり星を空に向ってぶちまけた。

「おい少年、やってくれたな。星はひとつ、と言わなかったか?ここじゃ砂つぶだが、あっちでは小石だ」
小父さんの頭はタンコブだらけになっていた。
「仕方ない、ショウガハッカで勘弁してくれよう」
小父さんとぼくはジンジャーエールで乾杯した。
真夜中のプラットホーム。

2003年5月13日火曜日

星をひろった話

「少年よ、星を拾いに行くぞ」
と言われて着いた所は廃ビルだった。
黴臭い階段を上がり、屋上に出る。そこにはフカフカした物が床に積もっていて砂漠みたいだ。
「たくさん拾ってこの瓶に入れるんだ。でも適当はいけない。よく見て好きなのを選びな」
これが星か……冷たくて小さいけれど色も形さまざま。好きなのを選んで拾うのはなかなか大仕事だ。
ようやく瓶がいっぱいになった。
「星を一つ空に投げれば私に会えるよ。合言葉は……『ラングレヌス』」
ヒュンと口笛を吹くとコウモリが飛んできた。
小父さんは黒い傘を差して月へ帰った。

2003年5月12日月曜日

月から出た人

コツンコツン
窓を叩く音がするのでカアテンを開けてみると
ふくろうが言った。
{屋根に上ってごらんなさい}

満月の蓋がパカリと開き
真っ黒な傘を持った人が出てきた。
その人はレンガ色の屋根にするりと降り
「やあ、少年!」
と言った。
そして黒い傘をヒョイと放り投げパチンと指を鳴らすと傘はコウモリになって飛んでいった。
「やあ、少年」
と、その人はもう一度言った。
「今夜は何して遊ぼうか?」

2003年5月11日日曜日

23:00

電気を消すのは11時。オレはもう少し起きていたい時もあるけど、弟も同じ部屋で寝ているから仕方ない。
オレは椅子に座ってボーっとしてた。
暗くなった部屋ですることもないから
横になればよかったんだけど窓の外を眺めていた。
弟はまだ眠っていないのか、さかんに寝返りしている。
外には一頭の蝶が飛んでいる。ひらひらというよりふらふらと。
じっと見ていると蝶はそれに気付いたように、こちらに向ってきた。
窓を通り抜けて部屋に入ってくると
弟の上を飛び回り粉を降らせてフッと消えた。
途端に弟は寝息を立てはじめたのだった。

2003年5月8日木曜日

PM10:00

ベッドにゴロリと横になってマンガを読んでいる。
正確に言えば、読んでないな。眺めてページをめくってるだけ。
もう何度も読んでるから、内容は分かってる。
YOU GOT A MAIL!
机の上の携帯が教えてくれた。
携帯を開いて身構えた。送信者アドレスが白紙……ありえないだろ。
メッセージはまるで暗号だった。
「キサマトモダチ二ナラレマスカスグニヘンジクレゴザイマス」
貴様なんて言われたの初めてだ。親指が素早く動く。
「おまえは誰だ」送信ボタンを押す前に返事は来た。
「ソンナニツヨクオスナラバワガハイワハカイナサル」

2003年5月6日火曜日

21:00

っはあ゛~
いかん、またオヤジ声を出してしまった。
極楽極楽、なんて言わないだけマシか?
近ごろは、風呂に浸かるのも「どっこらしょ」状態である。
やはり年だろうか、それとも過労だろうか。
どちらにしても嬉しくない事態である。
フゥー
もう一度息を吐く。あれ?窓の外になんかいる。
やいやい痴漢かよ、趣味悪いな、こちとら不惑男だぜ。
立ち上がって、窓を開けようとした……。
オツカレサン ハハヨリ
窓になぞられた文字はすぐに水滴とともに流れた。
オレの顔もしょっぱい水滴だらけになった。

2003年5月2日金曜日

20:00

この時間、テレビを見ずに過ごす日は年に何日あるだろう?
もちろん遊びに行くこともある、食事に行くこともある、何か用事があることだってある。
「それ以外の日は?」
たぶんテレビが付いてないことはない。家に帰ると、とりあえずテレビ。何年もそうしてきた。面白い番組がないからといって消すこともしない。
なんだか情けないな……。
バチン
画面が白くなりアナウンスが始まった。
「私共テレビジョンの存在に疑問を持った方にお送りする特別プログラム《テレビにおける真実と虚構、もしくはその中毒性、並びに実害について》です」

2003年5月1日木曜日

19:00

ぼくは勉強机に頬杖をついていた。
母さんは夕食の支度をしてる。もうすぐ「ごはんよー」と声が掛かるだろう。
そしてあれこれ今日の出来事を聞いてくるんだ。懲り懲りだ。

何もすることがない。
何もしたくない。
頭の中にクラスの女子の顔をいくつか思い浮かべようとしたけれど、すぐに消えた。
部活の事は考えたくない。先輩は先生より絶対だなんて思わなかった。
みんなが騒ぐアイドルもどこがいいのかわからない。
「ごはんよー!」
ぼくは無言で居間のドアを開けた。
知らない女の子がいた。

2003年4月30日水曜日

午後六時

私は仕方なく台所に立つ。
自分が食べたい物だけを作るわけにもいかず
「今日のおかずは何かな?」とワクワクして待つこともできない。
家族の時間と好みに合わせるだけの、事務的な料理。
作る楽しみも食べる楽しみもすっかりなくしてしまった。
今日のように体調がいまいちの時はなおさらだ。
食欲がないのに肉料理を作るなんて……。

カチャカチャカチャ
食器棚から音がして私は振り向いた。
すると棚の扉が音を立てて開き、グラスや皿がぽこぽこ飛び出てきた。
踊る皿たちは食事中も止まらなかった。
夫も子供も見えないみたいだ。うふ

2003年4月27日日曜日

17:00

学校からの帰り道、僕はいつも一人だ。
学区のほとんどは四年前にできた新興住宅地で、そこから離れた僕の家は一番遠いのだ。
家の周りには田んぼがあって、そのあぜ道を通学路にしている。
はじめての友達は、たいてい驚いて僕を田舎者扱いするんだ。
自分んちがほんの数年前まで田畑だったことも知らないで。
カエルも触れないヘナチョコのくせに。
「まぁまぁ、落ち着いて。町の子にだっていいとこがあるって
キミはよくわかってるじゃないですか」
え?周りには誰もいないのに。何の声だろう?
「下を向いてください。ゲコ」

2003年4月26日土曜日

16時

私は大きなトートバッグに財布を入れて家を出た。
早めに買物を済ませてしまおう。
スーパーはまだそれほど混んでいない。

あちこち店内を回ってレジに並んだところで腕時計に視線を落とすと、四時だった。
私は食料品をバッグに入れる。レジ袋は貰わない。
レジ袋を持つ姿は素敵じゃないから。
店を出ても外はまだ明るかった。
ついこの間まで四時過ぎれば夕暮間近、という空だったのに。
その時、バッグの中で何かが動くのがわかった。
覗き込んだバッグの中ではヒヨコが生まれ、鰹のタタキは鰹の姿で跳ね回り、大根は花を咲かせていた。

2003年4月22日火曜日

午後三時

退屈。
眠くないけど、遊ぶとすぐ疲れるし、ママに叱られるし。
明日は学校行けるかな。席替え、どうなったかなー。
たかが三日やそこいら休んだだけなのに、ちょっと緊張する。
ママ、アイス買ってきてくるかなー。
時計の秒針って結構うるさい。
コッチンコッチンコッチンコッチン
ドッキンドッキンドッキンドッキン
心臓の音もうるさい。
コッチンドッキンコッチンドッキン
ドッキンコッチンドッキンコッチンドッキンコッチンコッチンコッチン
綺麗だなー。小川が流れてる。花が咲いてる。

あ、ママが帰ってきた。アイスアイス。

2003年4月21日月曜日

午後二時

午後二時って空白の時間だよなぁ。
眠い午後の授業中、時計を見上げてフトそんな思いがよぎった。
子供の時は昼寝や遊んでいるうちに過ぎ去ってしまっていた。
小さい子はおやつの三時がメインで、その前は印象が薄いんだよね。
出掛ける支度とか、待ち合わせとか、見たいテレビとか、
そーいう意識しなきゃいけない時間にも、あんまりあてはまらないし。
実際、午後二時に気付かない日って多いよなー。なんかかわいそー、二時って。
その時見たんだ、時計の針がすごい速さで回るのを。
そうか、二時は本当に早く進むんだ!
大事にしよっと。

2003年4月19日土曜日

13時

昼休みになるのが待ち遠しかった。
今日は朝からK屋の「ハムチーズサンド」が食べたくて仕方なかったのだ。
私はほとんど小走りでK屋に向かい、無事ハムチーズをゲット、グレープフルーツジュースも一緒に買った。
このハムチーズはチーズがカマンベールで、とっても贅沢な気分になれる。
ああ、早く戻って食べよう。
仕事場へ戻る足取りはフワフワに軽かった。
お昼ご飯を買っただけでこんなにウキウキするなんて、ほんと安上がり。
お腹が空いてるからだけじゃ、こんなに身体が軽いわけないよね。
気付けば町はおもちゃのように小さくなっていた。

2003年4月18日金曜日

正午

まだ花に水をやってないことに気付いた私は庭に出た。
きのうまで元気だったチューリップたちが一斉に落ちてしまい庭は幾分静かになっている。
ァアーーーーー
正午のサイレンが聞こえてきて、私は少し顔をしかめた。
なんだか焦燥感というか、追い立てられているような気がして聞くたびに心が波立つのだ。
サイレンが鳴り止むと私は小さく深呼吸をしてから
ブリキの如雨露を再び傾けた。
シャワーは虹を作った。
私は飽きもせず、小さな雨の行方を見守る。
雨はいつのまにか、赤黒い血に変わっていた。
遠くでサイレンが聞こえる。

2003年4月16日水曜日

AM11:00

「うわっ!」
私はブレーキを踏み、息をついた。
渋滞の時でなくてよかった…・・・。
ここは都内の環状線。
先頭で信号待ちになった私は、カーラジオに耳を傾けながら赤信号を睨んでいた。
十時台最後のニュースが終わり、十一時の時報…
ピ・ピ・ピ・ポーン
それとぴったり同時に信号は青になった。
私はほとんど反射的にアクセルを強く踏み、車は急発進…・・・というわけだ。
私はもう一度呼吸を整えしっかりと前を見て驚いた。
今度こそ急ブレーキをかける番だった。

浮世絵でしか知らない、江戸の町が今ここにあるのだ。

2003年4月15日火曜日

10時

雨の日の二時間目、国語、とくれば退屈の極みだ。
時計はなかなか進まない。
私は頬杖をついて、結露越しにぼんやりとグラウンドを眺めてた。
雨はいい降りで、もちろん体育なんかやってない。
グラウンドも空も、ひたすらどんよりとしていた。
それでも棒読みで教科書を読むセンセーよりはマシな気がする。
私は、校庭の真ん中にもやもやしたものがあるのに気付いた。
くねくねしている。少しづつ見えてきた。
……ピエロだ。
踊るピエロ。
なんだかゴキゲンになってきた。
もう雨の日も退屈しない。

2003年4月13日日曜日

朝九時

リ、リリリーンリリリーン
朝の家事は忙しい。
手を抜いても気合いを入れても、毎日仕事がある。
私は家事が嫌いではない。掃除も料理も洗濯も、それなりに楽しみを持ってやってる。
でもやっぱりバタバタしてる時に電話がなるのは嬉しくない。私はイライラしたまま受話器を取った。
「はい」
「もしもし、まぁちゃん?」
相手は私を子供時分の呼び方で呼んだ。
「あの、どちら様で……」
「覚えてないんだね。あんなに遊んだのに」
「えっ…と」
「にゃんたん、だよ」
ぬくぬくとした感触と匂いが甦る。私の最初のともだち。

2003年4月12日土曜日

午前八時

朝八時。オレは走ってる。朝練だ。
毎日変わらない景色。変わらないタイム。もはや惰性だ。
やれやれ次の角を曲がれば終わりだ。
オレはその時初めていつもと雰囲気が違う事に気付いた。
景色は変わりない。学校の裏門前の道。
だが、実はよく見えない。
いつのまにか霧が異常に濃くなっているのだ。
こんな濃い霧は初めてだった。
なんだか、夢の中にでもいるような、心許ない感じだ。
すぐ前にいたはずの先輩も見えない。
50m程で着くはずの門になかなか辿りつけない。
オレは急に不安になった。
オレ、ひとりぼっちじゃん。

2003年4月11日金曜日

AM7:00

「起きなさーい」母さんの声に続いて目覚ましもピーピーと鳴る。そしてさっきより尖った母さんの声
高校生になったオレは目覚めが悪くなった。
学校は遠くて疲れるし……好きだったMちゃんには会えない。しかも高校は男子進学校。
そう、起きる動機が非常に乏しい。
それでも学校に行かない訳にはいかず、母の声はますます狂暴になりオレは無理矢理身体を起こした。
窮屈な洗面台に立ち、半ばヤケクソになって冷たい水を何度も顔にかける。
ようやく腰を上げて驚いた。
鏡にネコが映ってる。
「おはよう。ボク、キミがかぶってるネコだよ」

2003年4月9日水曜日

朝六時

まだ暗い冬の朝、六時。
いつものように駅に向かっていた私は、妙にウキウキとしていた。
楽しみな予定などないのだが。
駅までの景色は相変わらずだ。
それに定年間近の身体には、朝の寒さがマフラーを巻いても堪えるというのに。
私は自分を訝しく思った。
「どうしたオレ?気持ち悪いくらい心がおどってるぞ?」
胸の高鳴りは、ホームに電車が入ってきた時に最高潮となった。
プーシュー

早めの通勤電車の乗客たちが私を見て一斉に叫んだ。
「久しぶりだな!元気だったか?」

2003年4月8日火曜日

午前五時

朝飯前の犬の散歩は十年来の日課である。
コースは近所の中学校を廻る1キロ強だ。
夏の早朝は気分がいい。
学校の正門までくると少しストレッチをしてから、犬と走り始める。
あれ。いつのまにか子供が一緒になって体操していた。
「おじさん、たまには違うコースにしようよ。」
「なんでいつも同じだって知ってるんだ?」
少年は答えない。
そして我々は走りだした。
少年は目的地でもあるかのようにズンズン進む。
「おじさんこっちこっち」
そこはジョンの実家だった。
ジョンの母とその飼い主の老婆は、無言の出迎えをしてくれた。

2003年4月5日土曜日

午前四時

ジャンパーとオーバーパンツを着込む。星図、双眼鏡とホットコーヒーもオッケ。
竜座流星群の観測に出掛けよう。
……というのは建前で。もちろん観測はする。
それよりもこれは年に何度かの「独りになれる」貴重な機会なのだ。
妻との関係は悪くないが、仕事に追われる毎日だ。
自分だけの時間を作るのは年々難しくなってきている。
誰にでも独りになる時間は必要だろ?

僕は秘密基地を持っていて星の観測はいつもそこからする。
本当に秘密の秘密基地だ。
流星の観測は明け方がいい。
急ごう。基地には僕が手に掛けた愛しい人が待っている。

2003年4月3日木曜日

午前三時

コンビニまで歩いて四分。
それは徹夜仕事の気分転換兼、夜食の買い出し。
毎晩決まって三時頃である。
すっかり寝静まった住宅街から、表通りに出ると眠らない蛍光灯のカタマリが出現する。
安堵と拒絶が同時に沸き起こる。
ガラスドアを押す。
「いらっしゃいませ」
おや、ずいぶん老けた声だ。
数分後、酒と弁当を抱えてレジの前に立つ。
老店員は小さな声で言った。
「……をお忘れではありませんか?」
その瞬間、僕は幻を見た。涙が独りでに流れた。

あれからその店員は見ていない。
今夜も僕はコンビニへ行く。

2003年4月2日水曜日

丑三つ時

勉強の手を休め時計を見る。
[02:00]
……こんなに遅くまで起きているのは初めてだ。
勉強しすぎちゃったなー。明日も朝練あるし、早く寝ないと。
いそいそと布団に潜り込んだ。
二時だよー。人生14年の夜更かし記録更新だぜー。
二時。丑三つ時?丑三つってなに?ゆーれーとか出るん?
20回くらい寝返りしても人恋しさは消えず、ついにテレビのリモコンに手を伸ばした。
闇に慣れてきた目にテレビは眩しすぎる。ちょっと顔をそらす。
「どうした?眠れないか?どれ、じーちゃんが昔話をしてやろう」
もう聞けないと思っていた声が

2003年4月1日火曜日

AM1:00

ブ、ブブブ……
携帯が身悶えるのは午前一時。
仕事を始める合図。
寝ている家族に気付かれぬようにそぉーとドアを開け夜の住宅街へ繰り出す。
物音が響かないようにしなくちゃ。街灯の下を通ると、自分の影に怯えたりして。
僕は一軒の家の前で足を止め二階を見上げる。鼓動が速くなる。
あの娘の部屋の明かりはついていない。
昼間だったらこんなジロジロ見れないよな。
明日は学校でオハヨって言いたいな。よし、絶対言うぜ。
再び歩きだす。軍手の手にゴミ袋を提げて。
収集日前の秘密の仕事。

2003年3月31日月曜日

午前零時

ラジオの時報とまったく、まさしく、同時にベルは鳴った。
胃が縮みあがった。
あまりに驚いて、受話器を取ることができない。
だがベルは鳴り続ける。10回、20回……夜中の電話ほどイヤなものはない。
不幸を知らせる警報に聞こえる。
実際そんなことがこれまで三回あった。
ベルはもう34回目。
出なければ朝まで鳴り続けそうだ。
深呼吸をひとつして意を決した。
「もしもし……」
「HAPPY BIRTHDAY!!」

2003年3月29日土曜日

ワインを飲みながら惑星は、わははと笑う。
詫び状を読みながら若殿は、わなわなとわななく。
侘助を眺めながらワニは、わんわんと喚く。
わいわいと猥談をしながら我輩は、悪知恵を働かす。
みんなわくわく
みんなわっしょい

2003年3月28日金曜日

ろくに路銀も持たずに出掛けたのは六月の晴れた朝だった。
路面電車の車内は、ガラガラだった。
私は炉端で聞いた老人の昔話にロマンを掻き立てられて、飛び出したのだ。
大事な荷物は露天で買ったロイド眼鏡だけだった。
路面電車の次は、ロケットに乗った。
金はなかったが、ロケット内で働くことを許された。
私は労働者として優秀らしい。
以来、六百年間こうしてロケット内でロバの世話とロゴスの論考をしている。
論敵は魯鈍なロボットだ。
まったくこの私がロボットなんぞと論争するなんて……。

2003年3月27日木曜日

レンタルのレモンのスイッチを入れると
冷蔵庫になり、その扉は霊界の入り口。
そこは玲瓏とレクイエムが鳴り響き、烈日降り注ぐ冷寒世界。
麗麗しく着飾った人々が蓮歩している。
フェイクレザーを着込んだ私は沸き上がる劣等感を無理矢理抑えつけながら礫土を歩く。
これからもずっと

2003年3月25日火曜日

留守番の類人猿はルーズリーフに家計簿を付ける。
累増してきた黒字にニンマリ。
「ルビーをルパンに頼みましょう、それとも、瑠璃がいいかしら」
ルネサンスをはた目に流浪するイタリア人、
ルンペンのくせに羸弱で類火から逃げ遅れる。
ルクセンブルクで死んだルンペン、焼け残った誄詩も類

2003年3月24日月曜日

リュックを背負った竜は流木に掴まって、リアス式海岸に辿り着いた。
竜を見付けたのはリアリストのリスだった。
筋骨隆々の竜はリスに尋ねた。
「理想郷というのはここですか?」
律儀なリス、「いいえ、違います」と喨喨とした声で言い放った。
竜が蓼蓼となったのは一目瞭然だった。
気を取り直した竜は流木にしがみ付き離岸した。
流行歌を口ずさみ、おのれの旅情を慰めながら。
背中の小さなリュックに
リベラルな理想郷への夢を詰めて。
リスはそれを稜稜たる視線で海岸を見下ろし見送った。
彼の有名な竜宮は理想郷ではないのか……。

2003年3月21日金曜日

重いラバーソールを引きずって螺旋階段を降りると、そこは楽園だった。
春爛漫、らんちき騒ぎ。
小さなランタンがたくさんが灯っている中、
人々は思い思いに乱舞していた。
ぼくはちょっと考えて、赤いラジオのスイッチを入れラッパを吹いた。
それはララバイで、なんだか春の夜には似付かわしくなかったけど
だれも落胆してなかった。そんなもんさ。

2003年3月20日木曜日

夜明けの町
酔っ払いが歌うよ。夭逝した息子の歌。
朝がきたよ、喜びな
宵越しの麻雀は朝焼けが目に染みる。
夜がくるよ、用心しな
欲情にかられて夜這を企んでるヤツがいるよ。妖光を放ってる。
抑制ってコトバは知ってるかい?
夜が更けた
夜泣きのよちよち赤ちゃん、夜なべのおばちゃん、よぼよぼじいちゃん。
ほら、夜汽車が駅についた。
陽光は今日も燦燦と降り注ぐ。

2003年3月19日水曜日

湯上りに夕涼みする幽艶な

 女を悠然と覗き見するひとりの遊侠。
その夕影に気づいた女は男の色濃い幽愁にハッとした。
 雪女は勇者を誘惑し、その白い浴衣を落とす。
残ったのは雪煙と紅く染まった弓矢だけ。
 夢物語のあとに遊女は抱く。
湯に浸かり、豊かな乳房と憂悶を。

愉悦と憂愁は ゆらゆらと 悠久に

2003年3月18日火曜日

屋根に上って夜陰に溶け込む。
ヤカンに茶を入れて、月明かりに浮かぶ向かいの山を眺める。
あの山には八百屋をやっているヤマンバがいる。
ボクは夜行列車に乗って山を降りると薬局によって薬を買ってヤマンバに届ける。
するとヤマンバはたくさんの野菜をくれるんだ。
ヤマンバの娘は柳腰の美人で、これはボクの彼女ね。
柔肌で山吹色の着物がよく似合うんだ。
ボクの山小屋で夜半過ぎまでふたりで休んでいるとやっぱりヤマンバに
怒られちまって自棄酒飲むと彼女にも怒られてサ……。
実はややが生まれたんだ。
やんちゃな山男になりそうだんだ。

2003年3月16日日曜日

もう森には入らないと申し出を受けたときには、やはりショックだった。
猛虎のようなじいさんにも耄碌する日が来ると頭ではわかっていたのに。

じいさんは猛勇なだけでなく、魑魅を手懐け魍魎とよく話をした。
森守としての才能をすべてもっていた。そしてそれは彼しか持っていないのだ。
もはやこれまでだ。
じいさんは黙々と最後の仕事の準備をする。
最後の守が最後の森を、燃やす時がきた。
燃え上がる、朦朧とする、

2003年3月15日土曜日

明月の晩、冥土への旅が始まった。
こころは誠に明澄である。明鏡止水とはよく言ったものだ。
とりあえずは冥王星を目指せばよい
と死の瞬間に名僧が囁いたので、星々を愛でながらいこう。
ところが冥王星にはあっという間に到着してしまった。
目下迷霧の中である。
目星はない。明答は、瞑想によってのみ得られるのだろう。
生前の面倒をひとつづつ滅却していかなければならぬ。
名実ともに冥界人になるには、しばらくかかりそうだ。

2003年3月14日金曜日

無意識のうちに難しいことをあれこれ考え始めることがよくあって
どうにかならないかと思っていた。
まもなく、無理に考えまいとすれば、容易にできることに気付いた。
それは無意識ではないからだ。
私は無意識を意識するあまり、無我夢中状態と夢遊病状態の繰り返しの生活になった。
いつでもむっつりしているかむにゃむにゃしているかのどちらかである。
結局は、「無意識」という難しいことを我を忘れて考え続けていたのだ。
むちゃくちゃである。

2003年3月12日水曜日

そんなに見つめられると身動きできないわ。
いつでも身綺麗にして、髪は三つ編み、ミニスカートは穿かなかったの。
操を守るためよ。

水仕事で荒れた手を撫でてくれるのね。
耳元で淫らなことを囁くのはよして。
こんなに乱れたらみっともないわ。どうしましょう。

魔王は参っていた。迷子になったのだ。
まったく魔界の町は曲がりくねっていて
たびたび小道に紛れ込んでしまうのだが、今回はもう三日も迷ったままなのだ。
魔王が行方不明で今頃騒ぎになっているだろう。
負けず嫌いの魔王が迷子だとは間違っても言えない。
焦るばかりで魔術も効かず、ついに目を回して倒れてしまった。

翌日、町の人が発見したのは一体のマヌカンだった。
摩可不思議、幻の魔王のお話。

2003年3月11日火曜日

望郷の念にかられた北極星は芒洋な宇宙を彷徨し始めた。
驚いたのは船の帆を揚げていた水夫である。
彼らは呆然となり、天の神に宝物を納め奉拝した。

北極星は吠えた。芒芒たる宇宙にむかい母星を求めて。
彼は誇りを持っていた。
人々の指針として感謝される星は他にいないという自負である。
しかし、本拠の方角も分からなくなった今、誇りは崩壊した。
ぽつんと佇んでいただけの日々は程遠くなってしまった。
このままぼんやりと星屑になる日を待とう。

翌日、水夫たちはほっとした。北極星はいつものように輝いている。

2003年3月9日日曜日

ヘソマガリはヘアピンをたくさん付けて塀を歩く。
「へっちゃらさ。」
すれ違う人にぺこり。

ヘリクツはペガサスにまたがり平野を翔る。
「まったく、辟易するね」
ひどいペシミスト。

ヘナチョコはヘリコプターで四国遍路。
「へとへとだよ」とへたりこむ。

ペテンシはへんちくりんな変装でへらへら笑ってる。
年中へべれけ。

ヘイタイはぺろぺろべたべたベッドの中で別世界。
へなへなでぺちゃんこでへっぴりごし。

2003年3月7日金曜日

ふわりふわり風船が降り積もり、ついに富士山が見えなくなった。
膨れた風船が次々と不時着しているのだ。
長い間風雨にさらされた風船たちは皆ファニーフェイスだ。
不器用なのや複雑すぎるのは、どこにでもいるもので膨れすぎて自爆したりぶつかって破裂する風船も後を断たない。
風雲児は数が少ない上に、不運な目に合うか、口先ばかりで腑甲斐ないかのどちらかで実に頼りない。
一方で風癲や風来坊もいて、こちらは気持ちよさげに浮流を続けている。

不条理だって?ふざけちゃいけねぇ。
古い文献にも書いてあるよ。たぶんね。

2003年3月6日木曜日

火を暇そうに弄んでいる美少女。
「それ、熱くないの?」
「冷えてる」
「火花が飛んでるよ」
「飛沫は飛んでる」
「火だるまになるよ」「びしょぬれ」
「火種は何?」
「秘密」
そう言うと美少女は瓶に火を入れて振って見せた。
ぴちゃんぴちゃん

2003年3月5日水曜日

歯抜けの番人はパントマイムが好きでパラパラと奇妙な動きで働いている。
番人の仕事は旅籠屋の腹黒く嫌われ者の経営者の屋敷の蝿取りと
晩鐘を打つことだけ。
が、番人はとても楽しく働いた。
そしてどこかの芝居の端役のように何事か話ながらパラパラと動いた。
町の人は番人を白眼視した。
そして旅籠屋の事もますます悪く言った。
「旅籠屋は白痴か発狂人を雇っている」
「馬鹿が屋敷を徘徊してる」
だが禿の旅籠屋は馬耳東風、実は彼らは莫逆の友なのだ。
確かに番人は賢くはない。だが蛮力にも白面があることを知っている。

2003年3月4日火曜日

のんきなのんちゃんは野遊びが大好き。
野バラを摘んで野道をずんずん歩きます。
野ウサギの巣を覗き込んだり、伸び上がってキツツキの穴をつついたりします。
小川の水をごくごく飲んだり、野蒜をかじったり
野原に寝転がってのんびりします。
ボロ屋の軒下で野宿したり、野武士に襲われてのたうち回ったりします。
のんちゃん野垂れ死に。

2003年3月3日月曜日

寝癖頭のネコは願い事をします。
「ネズミに値引きされませんように」
寝坊助ネコは練り餡屋さんです。
大事な練り餡を安く売っていては好物のネギが買えません。
ネズミは念力使い。念力で熱雷を作ります。
砂漠の水不足を解決しようと粘り強く修業しました。
ネズミの念力には練り餡が欠かせません。
大量の練り餡と一本のネジからネズミ花火を作り、それを大きくして熱雷にし、雨を呼ぶのです。
頻繁に雨が降り、おいしいネギがたくさん採れるようになりました。
ネコには内緒。妬まれてるけど、内緒です。

2003年3月1日土曜日

盗人が抜き足差し足で盗んだのは、ぬいぐるみだった。
盗人は、抽んでた技術を持っていた。
主の興味がなくなった…つまり忘れられたぬいぐるみだけを間違いなく抜き出して盗むのだ。
万事抜け目なくやりとげる。
そして家に帰り、ほつれた縫い目を修繕し、温い湯にゆっくり浸かった後、ぬくぬくとぬいぐるみを抱いて眠るのだ。

2003年2月28日金曜日

ニンニクがニヤニヤしながら言うには
「肉まんってニンゲンに似てるよなー」
ニンジンはニンゲンを憎んでいましたので
「肉まんはニラレバ炒めだよ」
と言い返しました。
「ニンゲンって美味いのかな。二の腕の煮付けとか。でもニンゲンって臭いそうでやだな」
とニワトリが言うと皆頷きました。
「でもニンゲンって偽物が多いからな」
「偽物は売っても二束三文らしいわよ」
と言ってるのはニシキヘビの夫婦です。
「ニンゲンの中ではニンジャがよく売れる。ニホンジンは駄目だ」
ニンニクはにたにたしています。ニヒルなつもり?

2003年2月27日木曜日

南極の流れ星はナーバスだった。
よっぽど泣き叫んでやろうかと思ったが情けないのでやめた。
仲間があれこれ宥め慰め、何故ナーバスになったのかと聞いたが答えなかった。
何しろナメクジになぶられたのだ。言えるわけがない。
事実、流れ星は艶めかしい。なんとも悩ましげに歩いた。
そして少々ナルシストだった。
泣きっ面に蜂なことにナマズとの内通がバレてしまったのだ。
それで流れ星の自尊心はすっかり萎えてしまった。

南無三!なよなよになった流れ星を狙っている成金が一人いるようだよ…。
艶めく女も難儀だねぇ。

2003年2月26日水曜日

ドクロは戸を開けると同時に言った。
「逃げるぞ。投獄される」
ドクロが率いるトカゲ盗賊団の逃避行は当然のことながら困難を極めた。
一向はあえて東進したが既に世界中に通せん坊が待ち受けていた。
十重二重に取り囲まれていたのだ。
だましだまし通り抜けては来たが、特に年端もいかぬ少年トカゲにとっては塗炭の苦しみであった。
どのみち捕らえられるなら、早く独居房にでも入って眠りたいとさえ思った。
実際、まもなく一行は取り押さえられた。
頭領ドクロは途方にくれた。
トカゲ盗賊団は事実無根の豆腐屋なのだ。
とんちんかん

2003年2月25日火曜日

手風琴弾き天狗は、大層照れ屋で天井裏の部屋で独り手風琴を弾く。
本当は淋しい天狗は出窓からいつも外を眺めていた。
ある日窓から身を乗り出しすぎて天狗は転落した。
だが、そこは天狗、自前の翼で難を逃れた。
その顛末を目撃していたのがDJデンデンムシ。
素敵な手風琴の音色の出所が判って天にも昇る気持ちだった。
これが天狗の転機となったのだ。
DJは電波に手風琴の音色を乗せた。
電光石火で広まり天才と呼ばれた天狗。
でもやっぱり天狗は照れてばかりで世間に顔を出す事はなかったとさ。
これで伝説の天狗のお話はおしまい。

2003年2月24日月曜日

ツバメはツグミに頼まれ銀行へお遣いに出た。
ところが月夜カラスに掴まって、ついつい釣りに行ってしまった。
このカラスは艶種の絶えない男だった。
若いツバメは知らなかった。ただのカラスだと思っていたのだ。

カラスは、ツバメが通帳を持っていることに気付きこう言った。
「どうだ?このまま津々浦々巡ってみないか?」
遠い港町まで行き、夜になると旅館に
芸者を呼びツバメを遊ばせた。
翌朝、カラスはすさまじい面構えで言った。
「オマエが呼んだ女は俺の妻だ。」

こうして月夜カラスは美人局を成功させたのだった。

2003年2月23日日曜日

沈没船を調査した知識人は言った。
「緻密な調査の結果、小さな蝶のマークが見つかった。
沈没船は地底人の物であると確定した。また地下都市の地図を入手した。
提灯工場があるかもしれない。」
あるものは「誅殺だ!チョイチョイのチョイだ!」と言い
またあるものは「まずは忠告だ」と言い
別のものは沈思黙考のフリをした。
そのころ地底人は着々と珍獣にチョコレートを与えていた。
ちょこ才な奴らも縮緬雑魚の徴用をはじめていた。
まったくちゃんちゃらおかしな茶番ですこと。

2003年2月21日金曜日

退屈していたタヌキはたすきを掛けて旅に出た。
田畑を突っ切り竜巻に遭い飛んできたタンスにぶつかりたんこぶができタトゥーを入れた。
海に入り鯛の食べ放題に満足しタツノオトシゴとダチになって玉手箱をもらった。
太陽が恋しくなったので滝を登りタニシを助け台風と戦い宝を奪い立ち小便して黄昏た。
たまには煙草を吸い溜め息をつき痰も吐いた。
絶え入ったタヌキの玉屋の前にて黙って訊ねる。
「タヌキ?垂れ目は退治できた?」

2003年2月19日水曜日

「そなたは空飛ぶ僧侶でございますか」
「そのとおり。某、空飛ぶ僧。これは側近のゾウである」
「某は蕎麦職人のゾンビでございます」
「そんな!あのゾンビが目の前に!」
「僧侶が蕎麦好きと聞いて倉庫からあるだけの蕎麦粉を持って参りました」
「某はともかくこのゾウは底無しに食べるぞ」
「もちろんそのつもりで。これで倉庫の掃除ができます」
「礼にそなたを供養してやろう。供え物は何がよいかね?」
「有難うございます。それでは空豆を」
僧侶は即座に念仏、
それゆえ蕎麦を食べ損ねた。

2003年2月17日月曜日

朝十時、先陣を切るのは宣伝鳥
「石鹸買うなら清潔堂。洗剤使うなら清潔堂」
せびられても目を合わせてはいけない。石鹸千個は買わされる。
蝉は専業主婦派遣専門。生活のだらしない家の門柱に張り付いて宣伝する。
「潤いある生活をしましょう。一家に一台専業主婦。専業主婦なら節約機能付きの当社の専業主婦をご用命ください」
せちがらい世の中を説教するのは仙人。
「あなたがたは洗脳されている。賎民などこの世にはいない。雪辱を果たすため今こそ戦士よ、立ち上がれ」
これぞ寂寥の極み。戦跡に響く宣伝機械の声。

2003年2月16日日曜日

垂涎の的だったその翠玉は手に吸い付くような感触だった。
もう一度、灯りに透かしてから
俺は翠玉を口の中に放りこんで水筒のお茶と一緒に飲み込んだ。
次に翠玉のお姿を拝めるのは推定数時間後。スキップでもしたいくらいすこぶるいい気分だ。
だが油断は禁物だ。スローステップ、忍び足。
ところが、ここでスケべ根性が顔を出した。
水晶玉も戴こう。
筋書きは変わるが、まあいいだろう。スリルもある。素敵じゃないか。
その途端スプリンクラーが作動した。
足がすくんだ。
水を吸ったステテコがずり落ちる。
素裸につき遂行不能。

2003年2月14日金曜日

しっとりと品をつけたシッポがしなだれ
シニカルな死体がシッポをしゃぶる。
シッポ至極幸せ。

死体、シッポを邪険にすれば、シッポしおしおと泣く。
朱唇が死体に吸い付けば、シッポ嫉妬す。
シッポが姿容、端麗につき、情痴に溺れる者後を立たず。
シッポしらばくれる。死体は知らん顔なれば、真意はかりがたし。
死体とシッポ、しっぽり濡れた霜月十三夜。

2003年2月13日木曜日

さあ、サーカスの始まりですぞ。
サイケデリックなサーチライトに照らされてサイかサイクリングして入ってきました。
さてさてお次ぎはなんですかな?
才芸秀でたサルの登場。逆だちで玉乗りとはさすがですな。
さぞかしたくさん稽古をしたことでしょうよ。
颯爽と現れたるはサテンの衣裳のサラブレッド。
燦燦とさくらの花も咲き乱れておりますぞ。
サイボーグと噂のピエロが三人。一人は三白眼で逆とんぼ
一人はサックス吹き、もう一人はサイドステップ踊ってますぞ。

興奮覚めやらぬサーカス小屋、今夜の酒が楽しみですな。

2003年2月12日水曜日

コイが鯉濃をすすっていたらコケティッシュなコアラが言った。
「あら、共食い」
コイは高熱を出した。後悔した。
コアラは公園で恋に落ちた。狡猾そうなコウモリに。
コアラは腰を振り恋の歌を歌いながら身を焦がした。
コウモリは困っていた。高価な蝙傘をどのように売り付けるか。
公衆電話で傲然なゴリラと交渉をはじめた。
ゴリラは興奮していた。高利貸しで高額な金を手に入れたのだ。
小踊りするゴリラを見てコオロギは恐がった。
小癪なコオロギは蒟蒻を拵えコスモスを摘んでコックピットに向う。
婚約者のコイに会いに行くため。

2003年2月11日火曜日

ケシゴムとケムシが境内でけんかしていた。
ケシゴムはけばけばしい警戒色になり、ケムシは毛穴から煙を吹き出させている。
数日前から続くけんかは激化しており
ケシゴムは顔にケムシは足にひどい怪我をしていた。
けんかの原因は一人の傾城だった。実は既に彼女は源五郎に請け出されていた。
けれどもケシゴムもケムシもそれを知らない。
このけんかは、もはや形骸化しており、寺を荒らした二人には検非違使による刑罰しか待っていないのだ。
それでも激戦は続く。
いったいいつケリがつくのか、この狷介なケシゴムと外道ケムシの懸想決闘。

2003年2月9日日曜日

薬売りのクラゲが苦しんでいるクジラに出会いました。
「クジラ、具合が悪いのなら薬をやろうか?」
「頼むよクラゲ、果物が腐ってたんだ」
クラゲは葛湯をやりました。
しばらくしてくちびるを腫らしたクマが来ました。
「クラゲ、薬をくれ、雲助に食わされた。糞味噌だ」
クラゲがクローバーのクリームを塗ってやるとクマのくちびるはすぐによくなりました。
クラゲは良い気分。
くるりくるりと空中回転を繰り返して、狂ってしまったグズなクラゲ。

2003年2月8日土曜日

消えた記憶を取り戻す旅に出た生真面目なキクラゲは傷を負って、義賊のキリンが経営する喫茶店に寄宿していた。
キクラゲは気弱になっていた。
「奇跡でも起きなければ私の記憶は戻らない」
「キクラゲ、きっときみの記憶は戻る。希望を持とう」
キツツキが切手のない手紙を運んできた。
「キクラゲ、吉報だ。おまえはキャラメルを食べて倒れたという情報だよ」
そこへ客の吸血鬼がやってきて牙を剥いて言った。
「キャラメルの解毒剤はキクラゲで作ったキャンディーだ」
あぁ、気の毒なキクラゲ、己を切り刻む。

2003年2月7日金曜日

買い込んだカレーライスとカービン銃だけを頼りに
海賊カタツムリが開拓した海王星に下級階級の怪獣が移り住んだ。
怪獣のカバンに隠れていたカエルが異常繁殖した。
苛酷な環境に負けた怪獣に代わってカエルが活躍。
カエルは生き残った怪獣たちを飼い馴らして家畜にした。
やがてカエル同士の合戦が起き、カブキ者のカエルが割拠し、それなりの平穏が訪れた。
だが蚊取線香が不足し風邪が大流行した。
怪獣は蚊帳作りに精を出したが追い付かず、我慢強いカエルも風邪のため影が消えはじめた。
カバが鳴くから火星に帰ろ。

2003年2月5日水曜日

おてんばなオコジョは尾をフリフリ、丘から飛び降りた。
落ちるオコジョをおしゃれなオバケが追いかけた。
「おーいオコジョ、置いてけぼりにしないでよぉ」
「老いぼれオットセイに聞いたんだ。この下にオアシスがあるって」
遅れてオアシスに降りたオバケは驚いた。
オアシスはおチビなオニのオンパレード!
恐ろしい顔のオニたちが輪になって踊っていた。
オコジョもオバケもはじめは怯えていたが、そのうちおずおずと踊りの輪に入って大騒ぎ。
踊りがお開きになるとおこわとおしることオレンジをお土産に貰って帰った。
おめでたい。

2003年2月4日火曜日

エンピツは英断を下した。あの煙突に謁見するのである。
エンピツは出発に合わせて鋭角に削りあげた円錐の頭を輝かせ、遠路を行く。
途中、園児に襟首つかまれて縁談を持ち込まれてもへこたれなかった。
獲物がなければエスカルゴを餌にしてエンゲル係数は下げなかった。
そして、ついに煙突に謁見することが許された。
煙突は言った。
「この世は永遠の絵空事」
エンピツはこの言葉を枝に彫った。
「エレジーだ」とエンピツは思った。
さらにエンピツは栄位を授かった。
エポックメイキングなエンピツは英雄になったのだった。

2003年2月3日月曜日

自惚れウサギは嘘つきでウシを騙す。
「ウミウシを見たら歌えばいい。『ウグイスにはウイスキーがうってつけ』
うかうかしてるとウミウシが羽化してウジムシになっちまうよ」
ウシはうーむと唸った。
ウシはウサギの嘘を打ち崩したかったが、うってつけのうんちくを持ち合わせていなかった。
仕方なくウシはうやうやしく言った。
「その胡散臭い噂話はうろんな奴からの受け売りでしょう?」
そこにウミウシがやって来たので、ウサギは狼狽えた。
ウシとウミウシは仲麗しく憂さ晴らし。嘘つきは疎まれ右往左往。

2003年2月2日日曜日

田舎育ちのイナゴ曰く
「いつかインドへ行ってみたい」
「いっそのこと今すぐ行けば?」
いい加減なことを言うはイナ背なイモムシ。
「いいね」
言うが早いかイナゴは一足飛びで異国に行ってしまった。
あれから幾年月、イナゴは未だ帰らず、イモムシは慰霊碑を建てた。
「一本気のイナゴよ、きみは何処に眠るのか。イナゴよ、きみは勇ましかった」
いみじくも一部始終眺めていたのが威風堂々のイヌ。
イヌはいじらしいイモムシを見つめて溜め息ついた。
イナゴは一尺先の石の上で稲荷寿司を食べていると、いずくんぞ教えん。

2003年2月1日土曜日

ある暑い朝のことでした。
アリンコがあじさいの葉の上を行脚していると、アヒルに会いました。
「あけましておめでとう、アリンコ」
アヒルは愛想よく挨拶しましたのにアリンコは「あぁ」と言ったきりでした。
アヒルはあっけらかんと、歩いていきました。
雨が降ってきましたよ。
アリンコはあわてて帰ると行灯を点け、あんころ餅とアスパラガスの和物を味わい、アイロンを掛けました。
そして雨傘を持って愛するアメンボと逢引きしに出掛けます。
案外アリンコは甘えん坊なのでした。

2003年1月31日金曜日

月世界へ

『スターダスト』の店内は客もまばらで静かだった。
私は長い間疑問だったことをお月さまに聞いた。
「アポロが月へ行ったとき、お月さまはどうしたんですか?」
「……黙っていましたよ」
「……そうですか。そうですよね」
「本当は聞きたかったのです。『何か御用ですか?』って」
「……ずいぶん失礼でしたね、人間は。『ごめんください』くらい言わなければいけませんよね」



「何用あって月世界へ…月はながめるものである」
                   山本夏彦

2003年1月30日木曜日

お月様が飛ばされた話

あなたは知らないでしょう?
ひどい吹雪の晩は月も凍えて吹き飛ばされてしまうことを。
一年の半分を雪とともに過ごすような
寒い寒い街の大吹雪の夜は
あのお月さまでさえ、凍えてしまうのです。
吹雪の次の夜、もしも星が出ていたら、
もしもその夜が満月ならば
きっと見付けることができるでしょう。
月が飛ばされた跡を。
もっとも大吹雪の翌日が晴天で満月なんてことは
滅多にないでしょうけれど。

2003年1月29日水曜日

星の上を歩いた話

霰が積もった。
ラジオでも霰の話題でもちきりで、喜ぶ子供や
作物が傷み頭を抱える人の声が繰り返し流れた。
私は軋む霰を踏みしめ『スターダスト』に向かった。
雪見酒ならぬ霰見酒はなかなか飲めるものではない。
すると同じく『スターダスト』に行く途中のお月さまと一緒になった。
「いやーすごいですね。こんなに霰が積もるものとは思いませんでした」
と私が言うとお月さまは怪訝な顔をした。
「アラレ?違いますよ。これは星です」
「え!」
今夜は霰見酒もとい星見酒か。
それもいいな。すごくよいな。
軋む星を踏みしめた。

2003年1月28日火曜日

流星製造機

「ここだけの話……」
閉店間際の『スターダスト』でお月さまは切り出した。
「今年の獅子座流星群は危ないという噂なんです」
「はぁ。でも獅子座流星群の大出現のピークは過ぎたから……」
「いやいや。危ないのは他の流星群でも同じです。流星群はピークではなくとも、かなりの数になりますから」
「なるほど。で、危ないというのはどういうことなんですか?」
「流星製造機が故障したらしいのです。製造機がないと塵に手作業で箒をつけてやらなきゃいけません。私も手伝いにいきますから、その間の張りボテの月を用意しなければ……」

2003年1月27日月曜日

月が怪我をした話

お月さまが歩いてきた街灯とぶつかってしまった。
街灯の方はなんともなかったがお月さまは顔が擦り剥け、アザもあちこちにできた。
しかし、大きな怪我はないようなので私は安堵していた。
ところがお月さまは「まずいな」と繰り返しながら帰っていった。
なにがそんなにまずいのだろうかと思っていたら
翌日の新聞で月の模様が変わったことが写真付きで報じられた。
ラジオはウサギの仕業に違いないと言った。
当の街灯はあれから行方不明で、そのことも町ではちょっとした騒動になっている。

2003年1月26日日曜日

月の上で寝た話

「すごい写真が撮れたんだ」
と友人が見せてくれたのは、下弦の三日月に寝ている人影が写っているものだった。
「月の上に影があるのに気付いて望遠で撮ってみたら……これだよ。本当の人間が寝てるんだったらすごいぜ?なあ、月って寝心地いいのかなぁ?」
興奮している彼に私は訊ねた。
「……これ、いつ撮ったんだ?」
「えーと一週間前だな」
やっぱり…。お月さまとしこたま飲んで記憶がない日だ。私は友に言った。
「それ、本物の人間だよ」
混乱している友を横目に、何にも覚えてないのがやけに悔しかった。

2003年1月25日土曜日

闇職人

闇職人はずいぶん年寄りだが腕のいい職人だ。
だが、近ごろやたらと愚痴っぽい。年をとったからではない。
愚痴っぽくなっているのは月も同じなのだ。
「なんと言ってもエレキがいけねぇ。なぁお月さん。
オレがいくら腕を奮っても追い付かねえ」
「そうですよ。こんなに街が明るいようでは、私の美しさや有り難みがなくなってしまう」
「実際、最近は月を見上げる人なんかあんまりいねぇじゃねぇか」
「まったく。私を頼りに夜道を歩く人なんていませんよ」
「エレキの野郎、なんとかなんねぇかなぁ」
「私を侮辱してますよ、エレキは」

お月さんはかなり自分が好きなようだ。

2003年1月24日金曜日

月からの手紙

旧式のゼンマイロボットが手紙を届けにきた。
月のお手伝いロボットであるそいつは、今にも倒れそうだったので油をさして休ませた。
手紙の内容はどうってことはない。
今年の満月予報の告知、つまりダイレクトメールだ。
近ごろは月も宣伝に余念がない。
「特に中秋の名月にはお誘い合わせの上、御鑑賞下さい」
しばらく休ませたロボットは、ゼンマイをきっちり巻いて帰してやった。
どうもお月さまは、ロボット扱いが荒いようでゼンマイ巻きに45分もかかった。
世話したお礼に今度『スターダスト』でうまい酒をご馳走してもらおう。

2003年1月23日木曜日

月が溶けた話

昼間の白い月を眺めていたら、なんだかだんだんユラユラしてきて
ついにグニャグニャになってしまった。
私は仰天し、焦っていたが、なんにもできず、ただグニャグニャ月を見上げていた。
そこに通り掛かった子供が
「お月さんがソフトクリームみたいになってるよ!急がなくちゃ全部溶けちゃう!」
と言って月をペロペロ舐めだした。
「おじちゃんも舐めれば?」
と言うので少し舐めた。

あとでお月さまに「気色が悪い」と叱られたが、何故溶けたのかは教えてくれなかった。

2003年1月22日水曜日

MUR MUR

壁からでてきたのはウサギだった。
「なんだ、おまえか」
「なんだはないでしょ、旦那。遠路はるばる来たというのに」
はるばるだって?壁から出てきておいて?そう思ったが、口には出さなかった。
ウサギは大きな風呂敷包みを開いて商売を始めた。
「これは星の欠片。新鮮だよ。こっちの流星のシッポも貴重品だ」
「どうせまがい物なんだろう。帰った帰った」
するとウサギは素直に帰ってしまった。さっきの壁から。
壁には黒い跡がくっきり残っていた。
ウサギ形ではないその影に、私は見覚えがあった。
「待ってくれ!」

2003年1月20日月曜日

THERE IS NOTHING

旅から帰った友人はひどく疲れていた。
「どうだった?旅行」
「何もなかったよ」
彼は憔悴している、と言っていいくらいだった。
私は気にはなったが、それ以上何も語ろうとしない彼を追求はしなかったし、やがて忘れてしまった。

彼の憔悴の意味に気付いたのは八年後、彼の通夜の席だった。
そうか、あいつの旅行の行き先は八年後の未来だった……。

「何もなかったよ」彼の声が頭の中で繰り返された。
帰り道、ガス燈を思いっきり蹴った。
明日の朝、ガス燈に謝っておこう。

2003年1月18日土曜日

フクロトンボ

あの行き止まりは本当に行き止まりなんだ。気をつけな。
ウサギはそう言ってたけど私は信じていなかった。
だが、それは本当だった。
あのフクロトンボに入ったら、人生は止まる。
私の知り合いで迷い込んだ人がいたのだ。
彼はそれきりだった。
ちょっと覗いてみたくなるけど、それはやめておいた方がいい。
ウサギだってたまには本当の事を教えてくれる。

2003年1月17日金曜日

思ひ出

昨晩、私は雪世界に迷い込んだ。暗くて寒い夜だった。
全身疲労し、一面の雪景色に方角もわからなくなっていた。
私は天に祈った。せめて月明かりを!
願いは通じた。
立ちこめていた雲は去り、新月間近の細い月が見る見るうちに逆戻りし、明るい満月になった。
私はしばし呆然としていたが、気を取り直して歩きだした。
月が明るい内に家に戻らなければ!
だが、心配は無用だった。
私が家に着き、礼を言うのを待ってから、月は静かに痩せていった……

屋根裏から出てきた祖父のノートを見せるとお月さまは少し驚き、多いに照れた。

2003年1月16日木曜日

辻強盗

その十字路を曲がるとある物をなくす、という事件が頻繁に起こった。
人々はそれを辻強盗と呼んだ。
強盗と言っても、なくなるのは金目の物ではない。
だが、それ以上になくしては困るものだった。
その十字路を曲がった物は自分の名前を忘れるのだ。
呼び掛けられてもわからない。家族が教え込んでも無駄だった。
それは三日という短い間だったが、日常生活もままならなかった。
月は問い詰めた。「なぜこんなことをするんだ?」
流星は答える。
「冥土の土産にもってこいなのさ」
月は何も言えない。
流星の言葉はいつも謎だらけだ。

2003年1月15日水曜日

THE GIANT-BIRD

巨大な鳥が我が家を訪ねてきたのは日曜の午後だった。
家にはとても入らないので庭で話をした。
普段雑草だらけで手に余る庭に初めて感謝した。
巨大な鳥は、ここに来るまでに人を呼んでしまったらしく、外は野次馬だらけになっていた。
鳥はそれを気にして何度も「相済みません」とペコペコした。
巨大な鳥の用件は大したことではなかった。
だが、それは大仕事だし、すべてが済むには時間もかかる。
そして少しばかり気の毒だった。
だが断るわけにはいかない。
「わかりました」

2003年1月13日月曜日

停電の原因

史上最大の停電はきっかり24時間48分続いた。
正確に分かっているのは、停電を起こした張本人に問いただしたからで停電の間、時計と睨めっこしていたからではない。
さて、犯人の言い分はこうだ。
「私だってたまには休みたい。百年に一度なんだから見逃してくれてもいいではないか。人間のケチ」
この証言の真偽を確かめるため、至急天文記録が調べられた。
だが、それはたいして意味のない仕事だった。
百年前、地球上に電気は普及しておらず、月のサボりを誰も気付かなかったのだ。
未来人諸君、百年後の日付は(絶筆)

2003年1月12日日曜日

A MOONSHINE

「ふと見上げた月に魅せられて月に向かって歩き出した人がいた。その人はそのまま月を追い掛けて世界一周してしまったんだってさ。そんなに昔の話じゃないんだ、ついこの間のことさ」

2003年1月11日土曜日

どうして彼は喫煙家になったか?

お月さまは時々煙草を吸う。
煙草を吸う時のお月さまの表情は、なんだかはかなげで気になっていた。
「お月さまはどうして煙草を吸うようになったのですか?」
「はじめは憧れでした。
でも本格的に吸い始めた理由は他にあります」
「それはどういうことですか?」
「ここに来るには、この煙草が必要なのですよ」
お月さまはそれ以上語らなかった。

2003年1月10日金曜日

はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか?

友人が置いていったビール瓶の始末に悩み、お月さまに相談した。
「箒星が入っているらしい、珍しいからやるよ、なんて言って置いていってしまったんです」
ただの空瓶にしか見えないそのビンを友人は大事そうに抱えてきたのだ。
お月さまは、ためつすがめつビンを覗き込み
「こりゃいかん。指名手配中の箒星ですよ」
「え……」
お月さまは私が驚く間もなく消えてしまった。
しばらくして戻ってきたお月さまは
「暴走星」
と言ってビンを返してくれた。ビンはやはり空だった。
珍しいビールが入っているかも、と期待してたのだが。

2003年1月8日水曜日

星と無頼漢

星を拾ったのは見るからにガラの悪い孤独な男だった。
皆、星に同情した。
「あんな男に拾われて可哀相ねえ」

星は、男の身の回りの世話を焼いた。
男に笑顔が戻り、身なりもさっぱりしてきた。
星は彼の子を産み、しばらくしてから再び空へ戻っていった。
だが男はもう荒むことはないだろう。
彼の妻はちゃんと彼を見守っている。

2003年1月6日月曜日

お月様が三角になった話

「トライアングル?」
「そう。トライアングル。今でも同級生にからかわれるんです」
私はお月さまに子供の頃合奏で失敗した話をした。
お月さまはトライアングルを知らないようだった。
「トライアングル……三角形……」
「そうです。三角形の金属の楽器で……」
お月さまは私の説明を聞いていなかった。
お月さまは「トライアングル……」と呟きながら自分も三角形になっていたのだ。
私が「あ!」と言ったときには元に戻って「秘密だよ」と笑った。

2003年1月5日日曜日

お月様を食べた話

黄色い飴玉を買った。缶に入ったドロップでレモン味のだ。
缶の残りが少なくなってきたころ味のおかしい飴があった。
レモン味どころか甘くも酸っぱくもなく、ガサガサしていた。
飴が傷むはずがないと思つつ、あまりまずいので吐き出して紙にくるんで屑籠に投げてしまった。
試しにもうひとつ舐めてみたが、こちらは全くおかしなところがなくますます不可解なのだった。

その夜、随分疲れた顔のお月さまに
「まずくて悪かったですね」
と言われたのでアァあれは月であったか、と了解した。

2003年1月4日土曜日

土星が三つ出来た話

太陽系の模型を作ることにした。ちょっとした遊び。
惑星の大きさを計算し、紙粘土を丸める。
そして図鑑を見ながらひとつづつ色を塗った。
小さな白い玉が私を宇宙に導く。
お楽しみは土星だ。だが土星は輪を付けるのにも工夫がいるし、
思いのほか色付けも難しかった。
結局、土星は二つも出来損ないを作ってしまった。


夜、完成した模型を肴に飲んでいた。
二つの不出来な土星を指で弄ぶ。
その時、ラジオから流れていた気持ちの良い音楽が途切れた。
「臨時ニュースです。宇宙局によると先程土星と見られる惑星が三個発見され……」

2003年1月3日金曜日

赤鉛筆の由来

赤鉛筆は言った。
「ねぇオイラの身の上話、聞きたくない?」
私は面食らった。
赤鉛筆の一人称が「オイラ」なのは予想外だったし、手の中から話し掛けられたら誰でも驚く。
「オイラはさぁ、マルバツ付けるのは本職じゃねぇんだよぉ」
赤鉛筆の喋りは湿っぽい。
「女の子が夕焼け空の下で言った。『私、夕焼けの絵が書きたいの』
それを聞いたお天道様が、茜に染まった雲を集めてオイラを作りなすったのさ。泣ける話だぜ、くぅ」

お月さまにこの顛末を話すとなぜか文句タラタラだった。
赤鉛筆の由来なんて私はどうでもいいのだが。

2003年1月2日木曜日

月夜のプロージット

静かな夜だ。
私とお月さまはテラスに出て熱燗を飲むことにした。
七輪を出して火を入れると、なかなか幸せな気分になった。
月の光がちょうどよい。星もいつになくよく見えた。
「では」
「HAPPY NEW YEAR!」
酒はただただ旨かった。
「お月さまがこちらにいる間のあの月は、何ですか?」
「それは、秘密ですよ。偽物の月はではありませんから、ご心配なく」
偽物じゃなければ何だろう?
夜空を飛び回るヒツジたちを見ていたら、眠たくなった。