2017年11月16日木曜日

十一月十六日 泥棒

昼寝をしていると、ドアが開く音を聞いたような気がした。いま、家には自分ひとりしか居ないはずだった。
泥棒だったらどうしようか。
揺れる意識はそれ以上の思考にはならず、しばらく記帳していない通帳を持って銀行に行くと銀行員が誰もいない、という夢を見た。泥棒からの連想にしては、手が込んでいる。
今度はなんだか身体が重くて意識がはっきりしてきた。いよいよ目が覚めて重たい腹の上を探るとフワフワなのにやたら重量のあるボールが乗っかっていた。ボールというより毛玉。
これがドアを開けて入ってきた泥棒か……。何を盗んだのかと部屋を見回すと、いや、泥棒なら盗んだら逃げるはずで、ではこれは何だ? 
と思ったら、コロコロと毛玉は転がっていってしまった。

2017年11月14日火曜日

森の奥深くにある湖の話だ。
その湖は冬になると必ず鏡のように凍ってしまう。月が二つあるのではと思うほどにくっきりと映る。

その凍った湖へ、どこからともなく少年がやってくる。これも毎年のことだ。

少年は滑り、踊る。音楽を寄せ付けないほど静かな森の夜だけれど、音楽が聞こえてきそうな氷上のダンス。

毎夜やってきては、踊り、明け方にはどこかへ帰っていく。けれどもその冬一番寒い夜に、少年は凍ってしまうのだ。毎年のことだ。

氷になった少年は、春になると跡形もなく消えてしまう。湖底を捜索しても、見当たらない。これも毎年のことだ。

湖底を捜索するのは、必ず少年の姉だ。彼女はまだ冷たい湖に裸になって飛び込む。だが、弟の髪の毛一本見つけることは叶わない。

陸に上がった姉が何一つ残さずに消えてしまった弟を思って涙を流す。これも毎年のこと。そのせいで、この湖は少しだけ塩辛い。


2017年11月7日火曜日

しっぽ

 飼い猫の姿が見えない。たぶんクローゼットの中で丸まって寝ているんだろう。俺の脱ぎ捨てたパジャマの上でぬくぬくとしているに違いない。
 クローゼットの戸を猫が自力で開けるようになったのは、生後八か月くらいのときで、俺は小学4年だった。
 それから十六年。服はいつも毛だらけだけれど構いもせず、猫は自由にクローゼットに出入りしている。近頃は、年のせいか暗くて静かなクローゼットを特に好んで寝床にしているようだ。
 老猫は、案の定クローゼットの中に……いたけれど、いなかっ た。しっぽはいたけれど、しっぽしかいなかった。
 しっぽに向かって「おーい、本体どこ行った?」と訊いてみると、しっぽは気忙しそうにパタパタと動いた。
 しばらくしっぽの様子を注視していたが、動くしっぽを見ていると催眠術にでも掛ったかのよ、う、にねむ……
 目を覚ますと、猫がこちらをじっと見ていた。
「どこに行ってたんだよ、しっぽだけ置いて! 一緒に連れていってやらなきゃ、かわいそうじゃないか」
 我ながら頓珍漢な説教を猫にする。
「よっこらしょ」とでも言いそうな様子で立ち上がった猫の下に、小学4年の夏休みに失くした自転車の鍵があるのは、何故なんだ?

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「もうすぐオトナの超短編」松本楽志選
兼題部門(テーマ超短編「此処と此処ではない何処か」)投稿作

2017年10月29日日曜日

十月二十八日 ショールーム

地下鉄の駅を出て、傘を開く。目的のショールームへの地図を確認したものの、自分の向いている方向がわからない。少し広い通りまで出て確認しようと歩き出したら、そこにあった。
広げたばかりの傘を畳み、ショールームに入った。八畳ほどだろうか、小さなショールームだ。
ここは、財布と巻尺のショールームである。
機能的な財布、高価な財布、大きな財布、小さな財布。
長い巻尺、短い巻尺、革のケース入り巻尺、ステンレスの巻尺。
財布をひとつ手にして「コインの出し入れの具合を確認したいのです」とスタッフに言うと、真鍮の小皿を差し出してくれた。そこには小さな小さな巻尺がザラザラと入っていた。

2017年10月11日水曜日

十月十一日 御用聞き

孫が生まれた人と生れそうな人に「注射器がご入用でしたら、いつでもどうぞ!」と私は言った。
結局、誰も注射器を必要としなかったし、生まれそうな孫はまだ生まれなかった。
念のために言っておくと、注射器で蓮根の穴に糊を注入するのである。

2017年9月27日水曜日

九月二十七日 黒板と白墨

白墨を持つのなんて、何十年ぶりだろうか? 黒板に白墨が擦れる感触を味わう余裕もなく、「字が小さくならないように」ということばかり気にして、覇気のない白い文字を書き連ねる。「漁師芸術の採光」という美術展のお知らせ。会期は明後日から二週間。招待券はない。

2017年9月26日火曜日

九月二十六日 詩集

一度読んで、そっと閉じた詩集があった。カタツムリが無音でしゃべる詩が延々とつづいた。
音のない詩なのにページを繰る音ばかりがだんだんと大きくなるので、それが爆音にならないうちにとそっと閉じたのだった。
その詩人の本をまた手にとった。9年ぶりだった。今度は子猫がしゃべる詩がつづく詩集で、無音ではなかった。ページを繰る音は、聞こえなかった。