2017年9月26日火曜日

九月二十六日 詩集

一度読んで、そっと閉じた詩集があった。カタツムリが無音でしゃべる詩が延々とつづいた。
音のない詩なのにページを繰る音ばかりがだんだんと大きくなるので、それが爆音にならないうちにとそっと閉じたのだった。
その詩人の本をまた手にとった。9年ぶりだった。今度は子猫がしゃべる詩がつづく詩集で、無音ではなかった。ページを繰る音は、聞こえなかった。

2017年9月9日土曜日

九月九日 チャチャチャ

見知らぬ学生街を散歩した。かわいらしいお菓子屋を覗くとお茶が出た。甘くて濃いミルクティーだった。
素敵な雑貨屋にいくと、お茶が出た。香り高い煎茶だった。飯碗を買った。
紅茶屋を覗いたら、もちろん茶が出た。秋の香りのする紅茶だった。
さて、そろそろ帰りましょう。と駅の改札を通ったら、駅長が茶を振る舞っていた。ホームで茶会が始まった。

2017年8月29日火曜日

八月二十九日 狂速度

今日の駅のエスカレーターは妙に速くないか? いつもと違うリズムで転びそうになる。
たどり着いた先の百貨店、今度のエスカレーターは超低速だった。苛苛しながら6階の文具売り場へ向かう。

だいぶ早いけれど、来年の手帳など見てから、超低速エスカレーターに乗って、地下の食料品店に行く。お弁当を持って、レジに並ぶとレジスターは超高速になっていて、レジ係が目を回して倒れていた。

みんな飛翔体のせい。

2017年8月8日火曜日

ショートケーキ

 もう何年も、美しいままのショートケーキを見ていない。
 甘くなめらかな生クリーム。艶やかで真っ赤な苺。私は小さいころからショートケーキひとすじだった。たまにチョコレートケーキを選ぼうものなら「ああ、やっぱりショートケーキにすればよかった」と後悔する。
 ショートケーキ狂いの妻の機嫌を取るため、なのかどうかは知らないけれど、夫はせっせとショートケーキを買って帰ってくる。
 満面の笑みで夫が掲げる箱を見て、私はそっと溜息をつく。その箱は、既にひしゃげている。毎度毎度、どこをどうやって持ち運べば、こんな有様になるのだろう。
 私はとびきり丁寧に紅茶を淹れ、潰れたケーキの箱を開ける。もはや原型を留めていないショートケ ーキ。苺の汁で汚されたクリームは箱の壁面に飛び散り、フワフワのはずのスポンジ生地は崩壊し、固まっている。
 ケーキを皿に出すことも諦め、私と夫は顔を寄せ合い、夢中でケーキの残骸をほじくり、貪る。「おいしいね」と夫を見つめると、「また買ってくるよ」と耳元で囁かれた。


ガリレオ・ホラー超短編 大賞受賞 →選考結果と評
まんがの図書館ガリレオ発行 月刊ガリレオ新聞2017年8月号掲載

2017年8月7日月曜日

木星から来た不死鳥

夜の川面に金色の火花が広がる。不死鳥が舞い降りようとしているのだ。羽ばたきに合わせて火花が雨のように降り注ぎ、辺りが明るくなる。

不死鳥はついさっきまで、木星にいた。大きな木星の周りを優雅に飛ぶのは、不死鳥にとっても気分のよいことだった。

木星を巡ってからこの川に来るのが、地球の暦でもう十二年も続いている。毎年夏になるとどこからともなく呼ばれる気がする。川面に舞い降り、羽繕いなどして、また飛び立つ。それを川岸で見る大勢の人々が時に涙を流して喜ぶのだ。

不死鳥には、どうしてそんなに人々が喜ぶのか、理解できない。だが、木星の周りを飛ぶのとは違った心地よさを覚える。また次の夏、ここに来るのも悪くない。

2017年7月23日日曜日

細く、冷たく、赤い

気が付くと、夜道を誰かと手をつないで歩いている。真夜中の住宅街。周囲に歩く人の気配はない。
初めて手をつないだのは、酔っ払った帰り道だった。左手に夜食用のカップ麺と水の入ったレジ袋。空いた右手を、ふいにきゅっと握られた。少しひんやりした細い手の感触。人恋しさもあって、握り返して、そのまま歩いた。隣は見なかったし、手も見なかった。そんなことは、どうでもよかった。

それから、夜11時を過ぎるころに歩くと、必ず手をつなぐようになった。回数を重ねるうちに、少し冷静になってきたようで、その手の存在が気になってきた。隣に人がいるわけではないことは、とっくにわかっていた。
ぐっと握って、手を目の前まで持ってくる。
細くて白い女の手。長く伸ばした爪は鋭く整えられ、夜道でもわかるほどに艶やかな真っ赤なネイルに彩られていた。

2017年6月9日金曜日

六月九日 たんぽぽがシャボン玉

バスで隣り合ったおばあさんと話し込む。おばあさんは、お連れ合いの介護で大変だそうだ。
私は頭に季節外れのたんぽぽが咲いて大変なのだとこぼした。
すると、おばあさんは私の頭を撫でて、あっという間にたんぽぽを綿毛にして、「ふう~」と吹き飛ばしてしまった。
バスの車内は綿毛だらけ……にはならず、シャボン玉だらけになった。
私がバスを降りるとき、おばあさんは「気を付けていってらっしゃい」と何事もなかったように手を振ってくれた。頭にたんぽぽが咲くのも悪くない。