2024年3月11日月曜日

古時計

家にある五つの時計は、それぞれ好き勝手な時刻を示している。人と会う約束もないから困らない。時計たちと同じ勝手気ままなその日暮らしである。それでも年に一度だけ、誕生日の正午に五つの時計を一斉に合わせる。さぁチクタク、カチコチ、ビィビィ、ポッポー、リンリン、この老頭児を祝っておくれ。

2024年2月23日金曜日

金魚鉢(もしくは猫の日)

ね、この猫は金魚を狙っているわけではないんだよ。金魚には気の毒だけどね。ほら、こんなに逃げ回って。水草を触りたいわけでもないんだよ。ゆらゆら揺れてるけどね。水は触るの好きじゃないね、この猫は。撫でてごらんよ。金魚鉢の前で、じっとしている、ふわふわの、この猫を撫でてごらんよ、人間。

2024年2月13日火曜日

図書館

 あなたは今日からこの図書館の雑用係として働き始める。長く働けば、司書見習い、司書助手、司書、と出世することも可能だ。
 この図書館はあるお方の邸宅だった建物で、ほとんど宮殿と言っていい、6階建ての大きな図書館だ。階段の踊り場は、初代館長の膨大なコレクションの展示に使われている。下階から、デスク、チェアー、ランプ、万年筆、便箋だ。展示物には触れないように。え? さっき万年筆を使ってしまった? インクが掠れて、罵詈雑言を書かされた? そうだろうそうだろう。万年筆には私から詫びを入れておく。
 トイレは6階だ。6階にしかない。だが、数え切れぬほどある個室は非常に広く、デスクとランプ、ソファも備え付けられている。自分の部屋として使っている職員も多いから、適当な空き部屋を見つけるといい。名札が掛かっていないトイレならどこを使ってもよろしい。ちなみにトイレは和式だ。あまり下を見ないこと。
 あなたは足音を立ててはいけない。だからこの図書館内では宙を泳いで移動するのが基本となる。水中と同じ要領だ。難しいことはない。空気を手足で掻き分けて飛べばいいのだ。もちろん、図書館を一歩出れば、空中に浮くことなんてできない。
 あなたは図書館を訪れる人を見ることはない。だが、本が動いたり、ページが捲られたりするのを見ることはあるだろう。本が独りで動いているように見えるが、ちゃんと人がいるから安心しなさい。当然あなたの姿も他の人からは見えない。
 あなたの主な仕事は、館内の掃除だ。書棚の埃を落とし、閲覧室のテーブルと椅子を拭き、廊下を磨く。6階のトイレの掃除と紙の補充も忘れずに。ああ、名札が掛かっているトイレの掃除は不要だ。それから初代館長のコレクションも。
 一番大事なのは、本から落ちた文字の回収だ。何しろ古くて大きくて重たい本が多いから、毎日のように文字が落ちている。埃や塵と一緒に捨ててしまわぬように。一文字残らず箒と塵取りで壊れないように集めて、本に戻す。どうしてもどの本かわからない時は、専用の封筒に文字を入れて、5階の館長室のポストに入れておきなさい。文字が落ちていた場所もメモするように。私が本に戻しておこう。

2024年2月8日木曜日

洗濯機

誰も住んでいないように見える古いアパートの玄関前で、洗濯機が唸りながら揺れていた。数時間後、再びアパートの前を通ると、洗濯物はどこにも干されておらず、洗濯機は低く唸り揺れて続けている。私は家に一度戻り、使い古したハンカチを持ってきた。洗濯機に近寄ると、コンセントもホースも繋がっていない。蓋を開け、がらんどうの洗濯槽にハンカチを落とした。洗濯機の唸り声が僅かに高くなった。

2024年1月22日月曜日

#冬の星々140字小説コンテスト投稿作 「広」投稿作

カラフルなバスも、かっこいい文字が並んだ看板も、きれいな写真がいっぱいのチラシも、すべて「広告」というものだと知ってしまった子は、世界に心底がっかりした。今夜も、チラシで折った紙飛行機から夜の町に真っ白なペンキを撒いて、白くなった町にクレヨンで大きな鳥の絵を描く夢を見ている。

2024年1月13日土曜日

#冬の星々140字小説コンテスト投稿作 「広」投稿作

子供の頃に住んでいた町には広場があった。小さな時計台があり、フィドル弾きが鳩や猫を相手に演奏していた。古い郵便ポストがポツンと淋しそうにしていたから、よく手紙を出した。書ける文字は少しだけ。切手も貼っていない。その手紙が60年を経て届いた。孫が喜び、返事を書くんだと張り切っている。

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予選通過 

2024年1月8日月曜日

#冬の星々140字小説コンテスト投稿作 「広」投稿作

往来で文字通り大風呂敷を広げている人がいる。警官に注意されても気にする様子はない。口上を述べるが異国の言葉なのか、聞き取れない。最後に風呂敷に飛び込み、吸い込まれた。大風呂敷は軽やかに宙に舞い、電線に絡み付き停電が起きた。大風呂敷に消えた人を案ずる者が一人でもいればよいのだが。