2017年8月8日火曜日

ショートケーキ

 もう何年も、美しいままのショートケーキを見ていない。
 甘くなめらかな生クリーム。艶やかで真っ赤な苺。私は小さいころからショートケーキひとすじだった。たまにチョコレートケーキを選ぼうものなら「ああ、やっぱりショートケーキにすればよかった」と後悔する。
 ショートケーキ狂いの妻の機嫌を取るため、なのかどうかは知らないけれど、夫はせっせとショートケーキを買って帰ってくる。
 満面の笑みで夫が掲げる箱を見て、私はそっと溜息をつく。その箱は、既にひしゃげている。毎度毎度、どこをどうやって持ち運べば、こんな有様になるのだろう。
 私はとびきり丁寧に紅茶を淹れ、潰れたケーキの箱を開ける。もはや原型を留めていないショートケ ーキ。苺の汁で汚されたクリームは箱の壁面に飛び散り、フワフワのはずのスポンジ生地は崩壊し、固まっている。
 ケーキを皿に出すことも諦め、私と夫は顔を寄せ合い、夢中でケーキの残骸をほじくり、貪る。「おいしいね」と夫を見つめると、「また買ってくるよ」と耳元で囁かれた。


ガリレオ・ホラー超短編 大賞受賞 →選考結果と評
まんがの図書館ガリレオ発行 月刊ガリレオ新聞2017年8月号掲載

2017年8月7日月曜日

木星から来た不死鳥

夜の川面に金色の火花が広がる。不死鳥が舞い降りようとしているのだ。羽ばたきに合わせて火花が雨のように降り注ぎ、辺りが明るくなる。

不死鳥はついさっきまで、木星にいた。大きな木星の周りを優雅に飛ぶのは、不死鳥にとっても気分のよいことだった。

木星を巡ってからこの川に来るのが、地球の暦でもう十二年も続いている。毎年夏になるとどこからともなく呼ばれる気がする。川面に舞い降り、羽繕いなどして、また飛び立つ。それを川岸で見る大勢の人々が時に涙を流して喜ぶのだ。

不死鳥には、どうしてそんなに人々が喜ぶのか、理解できない。だが、木星の周りを飛ぶのとは違った心地よさを覚える。また次の夏、ここに来るのも悪くない。

2017年7月23日日曜日

細く、冷たく、赤い

気が付くと、夜道を誰かと手をつないで歩いている。真夜中の住宅街。周囲に歩く人の気配はない。
初めて手をつないだのは、酔っ払った帰り道だった。左手に夜食用のカップ麺と水の入ったレジ袋。空いた右手を、ふいにきゅっと握られた。少しひんやりした細い手の感触。人恋しさもあって、握り返して、そのまま歩いた。隣は見なかったし、手も見なかった。そんなことは、どうでもよかった。

それから、夜11時を過ぎるころに歩くと、必ず手をつなぐようになった。回数を重ねるうちに、少し冷静になってきたようで、その手の存在が気になってきた。隣に人がいるわけではないことは、とっくにわかっていた。
ぐっと握って、手を目の前まで持ってくる。
細くて白い女の手。長く伸ばした爪は鋭く整えられ、夜道でもわかるほどに艶やかな真っ赤なネイルに彩られていた。

2017年6月9日金曜日

六月九日 たんぽぽがシャボン玉

バスで隣り合ったおばあさんと話し込む。おばあさんは、お連れ合いの介護で大変だそうだ。
私は頭に季節外れのたんぽぽが咲いて大変なのだとこぼした。
すると、おばあさんは私の頭を撫でて、あっという間にたんぽぽを綿毛にして、「ふう~」と吹き飛ばしてしまった。
バスの車内は綿毛だらけ……にはならず、シャボン玉だらけになった。
私がバスを降りるとき、おばあさんは「気を付けていってらっしゃい」と何事もなかったように手を振ってくれた。頭にたんぽぽが咲くのも悪くない。

2017年5月24日水曜日

五月二十四日 魔女カラー

魔女は会うと色水をくれる。「今日もいいカラーになったわ」と言って、「どう? 持っていく?」と訊くので「よろこんで」とこたえる。魔女は七割が白い髪をふわりと靡かせて、小瓶に色水を詰めてくれる。
前回は、紫だった。「パープウ」と魔女は言った。
今日は黄土色だった。魔女は色の名を言わなかった。

2017年5月10日水曜日

五月十日 とかげ週間

今週に入ってから既にニ度とかげを見た。とかげなんかしばらく見たことなかったのに、数日で二度も遭遇するとは何事だろう。
チョロチョロと動くとかげを目で追いかけるといつも不思議な心持ちになる。とかげの大きさと動きと時間は、噛み合っているように思えない。どうにもチグハグに見えて仕方ないのだ。
今週はすでにそんな気分に二度も陥っているわけで、とかげは一体何を訴えているのだろうかと考え始めたが、何かを訴えているはずもないことに気が付いて、またチグハグな気持ちになる。
今日は水曜日、今週はあと何回とかげに遭うのだろう。

2017年5月8日月曜日

午睡

ぼくが伸びをする。ねこが伸びをする。真似しないで。
ぼくが欠伸をする。ねこも欠伸をする。また真似した。
ねこがゴロゴロいう。ぼくはゴロゴロいえない。ちぇ。
ねこが昼寝をする。ぼくも昼寝をしよう。