2017年10月11日水曜日

十月十一日 御用聞き

孫が生まれた人と生れそうな人に「注射器がご入用でしたら、いつでもどうぞ!」と私は言った。
結局、誰も注射器を必要としなかったし、生まれそうな孫はまだ生まれなかった。
念のために言っておくと、注射器で蓮根の穴に糊を注入するのである。

2017年9月27日水曜日

九月二十七日 黒板と白墨

白墨を持つのなんて、何十年ぶりだろうか? 黒板に白墨が擦れる感触を味わう余裕もなく、「字が小さくならないように」ということばかり気にして、覇気のない白い文字を書き連ねる。「漁師芸術の採光」という美術展のお知らせ。会期は明後日から二週間。招待券はない。

2017年9月26日火曜日

九月二十六日 詩集

一度読んで、そっと閉じた詩集があった。カタツムリが無音でしゃべる詩が延々とつづいた。
音のない詩なのにページを繰る音ばかりがだんだんと大きくなるので、それが爆音にならないうちにとそっと閉じたのだった。
その詩人の本をまた手にとった。9年ぶりだった。今度は子猫がしゃべる詩がつづく詩集で、無音ではなかった。ページを繰る音は、聞こえなかった。

2017年9月9日土曜日

九月九日 チャチャチャ

見知らぬ学生街を散歩した。かわいらしいお菓子屋を覗くとお茶が出た。甘くて濃いミルクティーだった。
素敵な雑貨屋にいくと、お茶が出た。香り高い煎茶だった。飯碗を買った。
紅茶屋を覗いたら、もちろん茶が出た。秋の香りのする紅茶だった。
さて、そろそろ帰りましょう。と駅の改札を通ったら、駅長が茶を振る舞っていた。ホームで茶会が始まった。

2017年8月29日火曜日

八月二十九日 狂速度

今日の駅のエスカレーターは妙に速くないか? いつもと違うリズムで転びそうになる。
たどり着いた先の百貨店、今度のエスカレーターは超低速だった。苛苛しながら6階の文具売り場へ向かう。

だいぶ早いけれど、来年の手帳など見てから、超低速エスカレーターに乗って、地下の食料品店に行く。お弁当を持って、レジに並ぶとレジスターは超高速になっていて、レジ係が目を回して倒れていた。

みんな飛翔体のせい。

2017年8月8日火曜日

ショートケーキ

 もう何年も、美しいままのショートケーキを見ていない。
 甘くなめらかな生クリーム。艶やかで真っ赤な苺。私は小さいころからショートケーキひとすじだった。たまにチョコレートケーキを選ぼうものなら「ああ、やっぱりショートケーキにすればよかった」と後悔する。
 ショートケーキ狂いの妻の機嫌を取るため、なのかどうかは知らないけれど、夫はせっせとショートケーキを買って帰ってくる。
 満面の笑みで夫が掲げる箱を見て、私はそっと溜息をつく。その箱は、既にひしゃげている。毎度毎度、どこをどうやって持ち運べば、こんな有様になるのだろう。
 私はとびきり丁寧に紅茶を淹れ、潰れたケーキの箱を開ける。もはや原型を留めていないショートケ ーキ。苺の汁で汚されたクリームは箱の壁面に飛び散り、フワフワのはずのスポンジ生地は崩壊し、固まっている。
 ケーキを皿に出すことも諦め、私と夫は顔を寄せ合い、夢中でケーキの残骸をほじくり、貪る。「おいしいね」と夫を見つめると、「また買ってくるよ」と耳元で囁かれた。


ガリレオ・ホラー超短編 大賞受賞 →選考結果と評
まんがの図書館ガリレオ発行 月刊ガリレオ新聞2017年8月号掲載

2017年8月7日月曜日

木星から来た不死鳥

夜の川面に金色の火花が広がる。不死鳥が舞い降りようとしているのだ。羽ばたきに合わせて火花が雨のように降り注ぎ、辺りが明るくなる。

不死鳥はついさっきまで、木星にいた。大きな木星の周りを優雅に飛ぶのは、不死鳥にとっても気分のよいことだった。

木星を巡ってからこの川に来るのが、地球の暦でもう十二年も続いている。毎年夏になるとどこからともなく呼ばれる気がする。川面に舞い降り、羽繕いなどして、また飛び立つ。それを川岸で見る大勢の人々が時に涙を流して喜ぶのだ。

不死鳥には、どうしてそんなに人々が喜ぶのか、理解できない。だが、木星の周りを飛ぶのとは違った心地よさを覚える。また次の夏、ここに来るのも悪くない。